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死に損ねたあの日から

⚠︎︎この文章には、自殺行為などの表現が含まれます

2020年6月22日。私は死に損なった。
ODをした。ぶっちゃけ死ぬつもりなんてなかった。飲んだ時のことも飲んだ理由も覚えていない。ただ、目を覚ましたら一人暮らしの部屋で12時間吐き続け、床には自分の吐いた血と胃酸が広がっていた。やばい、死にたくない、そう思った私は助けを求め、救急搬送。助けてもらった。そこから死ぬことはやめた。はずだった。

あの日から2年。2022年7月14日。私は死ぬことを選んだ。ODでは死ねないということがわかっていたため、薬を飲んで少しぼーっとしてる時に飛び降りようと思った。痛いのは嫌だったから。

関東から好きな人が来ていた。その楽しい思い出で終わりにしようと思った。16:20発の飛行機を神戸空港で見送って、トイレで薬を飲んだ。睡眠導入剤10錠、眠剤20錠、市販の鎮痛剤を20錠飲み、高い建物に向かうためポートライナーに乗った。目の前に私をニコニコと見つめ続ける老夫婦がいて、ちょっぴり気まづかった。そこで私の記憶は終わっている。

目が覚めたら知らない天井が目の前にあった。吐き気と目眩で「あぁ、死に損なった」と理解した。聞くと7月15日の夜だった。丸1日私は意識を失っていたらしい。少し落ち着いてから話を聞くと、あの後私は大阪駅で倒れ大阪の救急病院に救急搬送されたらしい。意識レベルが落ち、声かけをしても反応無し。叩きまくってうっすら目が開くかどうかだったみたい。その時点で7月14日の午後8時。それまで何をしていたのか、どうやって大阪駅まで来たのか誰にもわからなかった。私も覚えていなくてわからなかった。眠剤で記憶がなかった。ただ、Twitterに鎮痛剤を追加服用した時のこと、目眩がしつつも高い建物を目指していたことなどの下書きが残っていた。

まだ朦朧とする意識の中色んな人に連絡をとった。死に損ねたこと、心配かけて申し訳ないこと、まだ吐き気が酷くここから連絡がまた途絶えてしまうかもしれないことを送った。誤字脱字が酷くて送られてきた人は読むのに苦労したと思う。
この後私はまた眠りについた。起きてからが地獄だということも知らずに。

つづく( ´•ᴗ•ก)

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