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戦艦探偵・金剛~比叡の悲劇~④

「それで、発見したのはあんたかね」
 角刈りの、背広を着た年配刑事が、先ほど比叡が会った男に質問した。「はい」
「私も一緒に見つけたよ」
 隣にいる老女も言った。すると刑事は努めて優しい声で、
「お母さん、お母さんは部屋の方で待っていてください」
「息子は犯人じゃないよ。きっとあの人は階段で滑って頭を打ったんだ。私も階段からあんな風に落ちたことがあるから分かるんだ」
「ええ、分かってます。別に息子さんを逮捕しようってわけじゃありませんよ。これも事務処理上の問題でね、ちょっと話を聞くだけなんです。すぐに済みますから。誰か、この方を部屋までお連れしてあげてくれ」
「あっ、はい!」
 宿泊客や同僚と、遠巻きに様子を見ていた比叡が手を挙げた。人垣をかき分けて、老女の手を掴む。それから近くの階段を上ろうとして、
「ああ、そっちはまだ現場検証中だ。すまんが向こう側の階段を使ってくれ」
 刑事が受付近くの階段を指さす。
「はぁ」
 比叡が踊り場の方を向くと、制服を着た警官が写真を撮っているのが見えた。
 救急車の到着も遅れていると聞いたし、まだ死体はあそこにあるのだろうか? 
 そう思った途端、比叡は死体を運んだときの生々しい感触を思い出して急に吐き気がしてきた。老女の手を引いて、人垣の中へ埋もれようとしたとき、
「おい、あんた! 勝手に入って来ちゃだめだよ!」
 という警官の声と、
「むーん!」
 という聞き覚えのある唸り声が聞こえた。
「何だ何だ、一体どうした」
 刑事が階段を上る。比叡も老女の手を放して後に続いた。すると踊り場では、かけ布が半分捲られた日暮の死体と、警官に羽交い絞めにされる金剛の姿があった。
「何だこいつは?」
 飽きれたように刑事が言うと、
「すいません、私の姉の金剛です」
 と、比叡が頭を下げた。
 刑事は怪訝な顔をして、
「従業員なのかね?」
「いえ、私の家族で今日は客として来ています。まだ酔っているんでしょう」
「ふん、何だかわからんが、関係がないなら出て行ってもらおう」
「はい、私がさっきのお母さんと一緒に部屋へ送ります」
「頼むよ」
 比叡と刑事がそんなやり取りをしていると、
「ちょっと待つデース!」
 羽交い絞めする警官を振りほどき、金剛はやはりまだ酒が残っているのか、フラフラとした足取りで刑事へ向かってくる。
「えーと、あなた―――」
「大取警部です」
 刑事は襟を正して言った。
「大取警部、先ほど下の会話を小耳に挟みマシたが、あなたはこの事件を事故だと考えていらっしゃるのデスカ?」
「それ以外、考えられないじゃないか。あんたには分かんないだろうがね。警察には警察のやり方と言うものがあるんだ。まず下の第一発見者は、八時五十分ごろにあんたの妹と一緒にお母さんを階段から下ろしてる。そこにいる日暮さんは、下の親子が風呂から出た九時ニ十分の間にこけて死んだんだ。その間、この旅館にいるほとんど全員にアリバイがある。従業員は仕事で宴会場の片づけや、料理の後始末、事務仕事。宿泊者はほとんど全員が風呂に入っているか、部屋で遊ぶか話すか、あとは寝ているかだ。下の部屋の住人は、争う物音さえ聞いておらんのだぞ」
 そう聞くと金剛は、
「ははぁ」
 と、したり顔をして、
「失礼デスガ、オオトリ警部は極めて基本的な事実を見落としていマース」
「何だと?」
 大取警部はあからさまに不機嫌な態度を取って、
「なら行ってみたまえ。我々が何を見落としたと言うんだ」
 すると金剛は日暮の死体を指さし、
「いったい、この人はどこへ行こうとしていたんでしょう?」
「はぁ?」
 大取警部は心底どうでもいいように、
「風呂じゃないかね?」
「だとすれば着替えや、せめて手拭いを持って行くはずデース。現場からは見つかりましたネ?」
 大取警部が現場にいる警官に目配せする。警官は首を横に振って、
「いいえ、見つかってません」
「ならトイレだろう」
「トイレは二階にもありマース」
「だったら誰かが入っていたとか………」
「それなら余計におかしいデース。トイレは二階も一階も中央部にありマース。また、受付の近くにもありマース。私だったら遠回りせずに、受付近くの階段を使うデース」
「ふむ」
 ついに大取警部は口元に手を当てて考え込んでしまった。
「最後に」
 金剛はその場からジャンプして、踊り場に飛び込んだ。
「こらっ!」
 思わず大取警部が怒鳴った。金剛が踊場へ着地すると、ドカン、という大きな音が響いた。
「何をするかね!」
「オオトリ警部も聞いたデショー。すごい音がしたデース。私の体重が五十キロでここまで大きな音が出るのデスから、太ったヒグラシ=サンが階段で倒れればもっと大きな音が出ると思いマース。それを下の部屋の人が聞かなかったのはおかしいデース!」
 すると階段の下から年配の女性が、
「何ですか、今の音は?」
 と訊ねる声が聞こえた。
「すると、いったい君は何が言いたいのかね?」
 大取警部が訊ねると、金剛は得意げな顔で、
「ヒグラシ=サンは転んで死んだのではありまセーン。殺された後、事故に見せかけるためにここへ運ばれたのデース!」
 と答えた。
 比叡は今更ながら比叡は痛感した。敬愛する姉が、とてつもない名探偵であることを。

 昨晩は一睡も眠れそうにないと思ったが、実際には午前二時くらいになるとウトウトしだして、結局は五時時まで眠ってしまった。比叡は今朝も六時に旅館近くの寮から着替えて出勤し、いつも通り朝食の配膳を行うのだった。
 ただ、昨夜はあんな事故があったので、縁起が悪いと朝食も食べずに早々と旅館を出て行ったり、ゆっくり眠りたいから遅めでお願いしたいという客もあって、六時から朝食を食べようとする客は少なかった。
 その少ない客の一人が、金剛である。
「いやぁ、旅先でこんな事件に出会えるとは思えなかったヨ」
 昨夜の醜態はどこへやら、今や金剛は活気に満ち溢れ、食欲も旺盛である。
 一方、五月雨は無理やり金剛にたたき起こされたのか、眠そうな目で、箸を動かしながら、ネズミの食事みたいに口を小さくモグモグとさせていた。
「大丈夫、五月雨ちゃん? 昨日はだいぶ酔っ払っていたけれど」
 比叡がご飯のお替りを金剛に手渡して言った。
「調子に乗って飲みすぎちゃいました。頭が痛いですぅ」
「二日酔いね。五月雨も、それからお姉様も、今日はお酒はよしなさいな」
「酒なんか飲んでられないヨ! 事件が起こったんだらネ!」
 鮎の塩焼きを食べながら金剛が言った。
「でも、別に誰からも依頼されているわけじゃ無いでしょう? 警察だって迷惑がっていたじゃない」
「なーに、これは趣味みたいなもんネ。それに比叡の働いている旅館で殺人なんて許せないデース。犯人は必ず捕まえてやりマース」
 その言葉に比叡はドキリとした。金剛は、今自分の目の前にいる妹が犯人だと知ったらどう思うのだろうか? やはり上機嫌に、比叡を追求するのだろうか?
 いや、そうは思えない。金剛お姉様は私のことを愛してくださっている。
 比叡はそう思うのだけれど、真犯人が自分とわかっても、それを見逃すとは思えなかった。金剛の正義感は、比叡もよく知るところだった。
「比叡?」
 金剛に呼びかけられて、比叡はふと我に返る。
「どうしたネ比叡、ぼーっとして」
「あっ、いいえ、何でもありません。昨日はあんなことがあったからよく眠れなくて」
「オー、無理もありまセーン。私もちょっと無神経デシタ」
 と、金剛はすまなそうな顔をした。
「いいんです。ところで、お姉様にはもう犯人の目星がついていたりするんですか?」
 比叡にしてみれば結構、思い切った質問だったが、金剛は軽く笑って、
「さすがにまだ分からないヨ。ヒグラシ=サンの人となりや人間関係も分からないし、どこで殺されたかもまだ分からないネ」
「そうですか」
「もしかすると、比叡にも手伝ってもらうことがあるかも知れないデース」
「それは………」
 もちろんです、と言おうとして言葉に詰まる。
「先生、あまり比叡さんを困らせないで下さい。比叡さんには仕事がありますし、従業員というお立場もあるんですからね」
 すかさず五月雨のフォローを受けて、比叡は内心ホッとした。
「それで、どうなさるおつもりですか?」
 比叡が訊ねると、金剛は、
「ヒグラシ=サンの部屋は警察の方で今朝から現場検証に入るというし、差し当たって私は富山市内の観光をするつもりデース」
 市内の観光と聞いて寝ぼけ眼だった五月雨がぱっと顔を輝かせた。その様子に、比叡は何だか五月雨の苦労が偲ばれるようだった。
「旅館から市内行きのバスは九時ごろに到着しますから、それまで朝風呂にでも入られたらどうです?」
「そうするネ」
 と、金剛は空になったお椀を見せて、三杯目のご飯を要求した。

「それで、金剛さんは市内へ向かったんだね?」
「はい」
 金剛を見送って朝の仕事が終わると、比叡と宗助は昨日と同じように、例の池のそばで落ち合った。だがその雰囲気は昨日とは打って変わって、沈んだものだった。池の鯉ですら、宗助の姿を見ると水面にパクパクと口を開けて出てくるのに、今日は底の方へ引っ込んだままだった。
「話には聞いていたけれど、さすがに名探偵だね」
 宗助がそう言って今日の分の餌を撒いた。それでようやく池の鯉が出てきて、パクパクと餌を啄んでいく。
「宗助さん。やっぱり、私、自首した方がいいと思うんです」
 比叡が言うと、宗助は彼女の二の腕を掴んで、
「そんなの駄目だ!」
「でも、日暮さんへ最後に会ったのは私です。どの道、バレるのも時間の問題じゃないんですか?」
「大丈夫だよ。第一、金剛さんだって日暮が手を振っているのを見たじゃないか。彼女が帰ってから、君が日暮を殺して階段に運ぶなんて出来っこない。それにあの事件は事故みたいなもんなんだ。動機を調べても犯人は辿れないし、計画性が無いから僕に共犯の疑いがかかる可能性も低い。唯一の証拠である、血痕を拭った手拭いも焼却炉で全部、跡形もなく燃やしてしまったんだから」
「いいえ、宗助さんは何も分かってないわ。昔、戦争中だった頃、巡洋艦の川内さんが蒸発してしまった事件があったの。そのときだって、金剛お姉様は数少ない物証と関係者の証言から事件の真相を明らかにしてしまったのよ。今回の事件だってどうなるか。ねぇ、本当に何か見落としは―――」
 言い終わらない内に、宗助が片手で比叡を抱き寄せた。
「たとえ事件の真相が明るみになったとしても、君だけを逮捕させやしないさ。僕だって、立派な事後従犯なんだからね」
「宗助さん………」
 比叡も宗助の背中へ手を回した。身長が比叡より少し低い宗助は、普段は何だか年下の弟のような感じがした。だけれど、このときの宗助は、確かに自分の盾となって守ろうとしてくれているように比叡には思えた。 

「先生~、ちょっと休憩しましょうよぉ」
 五月雨は麦わら帽子の位置を直していった。
 空は多少、雲が出てきているものの、叩き付けるような暑い日差しを遮るまでとは行かなかった。旅館からバスで三十分、市内に着いてからは一時間、五月雨と金剛はぶっ続けで聞き込みを続けながら歩き回っていた。目的地は昨日、旅館の階段にて遺体で発見された日暮恭平の家である。
「もう~、市内観光とか言って結局はこれなんだから」
「しっかりするネ五月雨! きっとあと少し、あと少しだヨ」
「そんなこと言っても、私、昨日はお酒を飲んでいたせいかあまりよく眠れてなくて」
「何言ってるネ。午後九時から午前六時までたっぷりと寝てたヨ」
 富山駅前のバス停を降りて、駅員から交番、八百屋、薬局、次々と聞き回ってみたものの、
「知らないなぁ」
「知りません」
「ちょっと分かんないですね」
 と返されるばかりだった。二日酔いで頭の痛い五月雨は、こんなことなら旅館でゆっくりと休んでおけばよかったと後悔した。
 休む、そういえばこの度はゆっくり金剛を休ませるための旅だったはずだ。その金剛は、今や五月雨の目の前で音頭を取りながら生き生きと歩道を闊歩している。帽子もかぶらずにいるが、熱中症の気配すらなかった。
 二人が商店の前を通りがかる。そこには氷水の入った桶で冷やされたラムネの瓶が、気持ちよさそうに水の中へ沈んでいた。水道の蛇口から出しっぱなしとなった水が、ジョボジョボと桶に降り注ぎ、溢れた水が道路へ出て、側溝へ伝って行くのが見えた。
「先生、ラムネですよラムネ! 休憩していきましょうよぉ!」
 五月雨が金剛に抱き着いて、必死に懇願すると、金剛もため息を吐いて、
「したないネ、五月雨は」
 と言って、財布を出し、店番をしている中年の女性に、
「すいませーん、ラムネを二瓶お願いするデース!」
「た、助かった」
 そう言って五月雨は氷水の中へ両手を突っ込んで、ラムネを二瓶引き上げた。
「こちらに座ってもいいデスカ?」
 金剛が店の中にあるテーブルと椅子を指して言うと、
「ええ、どうぞ」
 と、女性が接客で掠れたらしい、ダミ声で返した。
「あんたたち、ここの人じゃないね?」
 女性はそう訊ねながら天井の扇風機の電源を入れて、五月雨と金剛に風が来るようにしてやった。
「はい、東京から旅行に来ました」
 五月雨が椅子に座っていった。中に入ってよく見てみると、ここはどうやら土産物屋のようだった。壁には料理のお品書きもあって、軽い食事もやっているらしい。
 土産物は富山城由来の物品ばかりで変だなぁと五月雨が思って目の前の通りを見ると、堀を挟んで向こう側に富山城の白い城壁を見ることが出来た。暑い、暑いと下ばかり向いていてせいで、全く気が付かなかった。
 五月雨はラムネの栓を開けて、富山城を肴にして飲んだ。炭酸を含んだ甘い汁が口いっぱいに広がって、音を立てながら喉へ落ち込んでいく。
 ぷはぁ、と息を吐いたころにはだいぶ、気持ちが楽になっていた。
「あんたら、お城には行ったのかい?」
 女性が訊ねると、五月雨が代表して首を横に振った。
「いいえ、まだです」
「だったら行ってくるといいよ」
「そのつもりデース」
 金剛のその言葉に、五月雨は少しだけ希望を持った。
「ただし、その前に一つ行かなければならないところがありマース。この辺りにヒグラシと言う、大金持ちの家はないデスカー?」
「日暮ねぇ」
 女性はそう言って少し考え込んだ後に、
「それってもしかして北島さんのお家のことかしら?」
「ん? それはどういうことデース?」
「確かにこの辺りには昔、日暮ってお宅があってね。先代の旦那はよく出来た人だったけれど、今の代になって落ちぶれて行ってね。なんやかんやあって、債権も人の手に渡ってしまって、今の住所も妹の旦那さんのものになってしまって、自分はその敷地の隅に追いやられているって話じゃないか。まぁ、落ちぶれたとはいえ、贅沢をしなければ生きていられるだけの財産があるって聞いたけれど」
「そのヒグラシ家が、この辺りの旅館にお金か何かを話は聞いてまセンカ?」
「さぁ、さすがに私もお金の貸し借りまでは聞いてないねぇ。昔は色々な商売に手を出していたとは聞いていたけれど」
 女性は困ったように言うと、
「あんたたち、どうしてそんなことを訊くんだい? 日暮さんに何か用でもあるの?」
「実はヒグラシ=サンが今、旅館で倒れて動けない状況なんデース。それで宿泊料が足りなくなってしまって、それでこうして私たちが市内観光をすると聞いて、家からお金を持ってくるように頼まれたのデース。しかしマヌケなことに住所を書いた紙を亡くしてしまってネ」
 まぁた嘘ばっかり。
 五月雨はやや呆れながら金剛と女性のやりとりをテーブルから見守った。
「普通、そういうのって妹とかに頼まないかい?」
 女性が目を細めて言った。
「どうもその妹とは二日前に喧嘩をしてしまったと聞いていマース。妹の夫との関係も、あまり良好ではないそうじゃないデスカ」
「まぁ、確かにね。立場を考えたら、どっちにも頼みにくいか。ちょっと待ってな。今、地図を描いてやるからね」
 そう言って女性は、手元の小さなメモ帳に地図を描き始めた。

 日暮、もとい北島の邸宅はちょっとした武家屋敷然としたたたずまいをしていた。屋敷の周りは漆喰で固めた塀に囲まれていて、決して大きいわけではないが、歴史と品を感じさせた。門の前では丁度、黒い洋服を着た女性が打ち水をしているところだった。二十代後半くらいで、長い髪を団子状にして後ろでまとめていた。暑さのせいだろうか、気だるげな横顔はどことなく暗い陰を秘めていて、彼女の美しさを引き立てているように五月雨には思えた。
「ハロー! ひょっとするとここヒグラシ=サンのお宅では無いですか?」
 金剛が質問すると、
「ええ、そうですが」
 と、女性が警戒心を露わに答えた。
「私はこういうものデース」
 金剛が女性に名刺を差し出した。
「戦艦探偵・金剛?」
「私は助手の五月雨って言います」
 五月雨は頭を下げて、
「日暮さんの話はもう聞いていますか?」
 と、問う。すると女性は、
「はい、昨日の晩に旅館の方から兄が階段で亡くなったと………」
「するとあなたは日暮さんの?」
「ええ、妹の北島加奈子と申します」

「それにしても、探偵さんがどうして兄の事件を調べていらっしゃるの?」   
 加奈子が金剛と五月雨の前に麦茶を出しながら訊ねた。三人は、北島邸の中、和室の客間にいた。風通しがいいのか、客間は外の暑さに反して、不思議と涼しかった。開け放された縁側の向こうには、見事な日本庭園があったが、客間の暗さに対して日差しが強烈に眩しく、見ていると何だか目がチカチカするようだった。
「別に誰から依頼されたわけではありまセーン。実は珍授荘で妹が女中として働いていまして、それでたまたま居合わせて、解決のお手伝いをしようと思っただけデース」
「まぁ、随分と妹思い出いらっしゃるのね」
「それほどでもありまセーン」
 金剛はそう言って、照れたように頭をかいた。
「加奈子さん、お兄さんが珍授荘にお金を貸していたとか、そういうことはありませんでしたか?」
 五月雨が訊くと、加奈子は困ったような顔になって、
「実は先ほども、警察の方がここへやってきて、同じようなことを申されました。兄の死は事故ではないのですか?」
「今のところは何も言えまセーン」
 金剛が答えた。
「しかし、お兄さんのご遺体には不自然な点がありマース。カナコ=サン、お兄さんに対して恨みを持つ人に心当たりはありまセンカ?」
 すると加奈子はため息を吐いて、
「さっきも警察の方に話したけれど、心当たりはありませんわ」
「でも、あまり言いたくはありませんが家の財産を食いつぶして、債権もほとんど人手に渡っていると聞いていますが………」
 五月雨が言った。
「確かに兄は、能力的には無能の部類に入るでしょう。でもそれだけです。傲慢で、わがままで、酒癖が悪いけれど、根は人見知りのする小心な人なのです。ちょっと脅かされただけで怯えて、縮こまるような人なのです。ひんしゅくを買うこそあれ、人から殺されるほどの恨みを買うような人では決してございません」
 そう言って加奈子は不意に涙ぐんだ。
「すいません」
 そう言って、加奈子はハンカチを取り出して目元を拭いた。
「いえ、無理も無いデース………」
「私も、実のところ兄がそこまで好きじゃありませんでした。でも、不思議ですね。こうして死んだ後では、むしろ兄との良かった思い出が次々と思い出されるんです。確かに兄は人間としては、あまり優秀ではございませんでしたわ。だけれど、別にこんな風に死ななくとも良かったではありませんか。世間様に役立たなくとも、この家の片隅で、細々と生きて下さっていたら私はそれで良かったのに」
 そんな加奈子の様子を見ていると、五月雨までも胸が締め付けられるようで、釣られて涙が出てきた。一方、金剛は加奈子を気遣いながら、あくまで冷静に、
「カナコ=サン。教えてください。お兄さんは珍授荘にお金などを貸していることはありまセンカ?」
「ありません。珍授荘に対する貸し付けは、父の代に全て返済が終わっています」
「では、どうしてお兄さんは珍授荘へ行ったのデース?」
「わかりません。でも、ちょっと前までは、ちょくちょく遊びに行っていたと記憶しています」
「お兄さんが最近、お金に困っているようなことはありまセンカー?」
「お金の管理は夫がしています。頻度は、月に一回。でも、兄は夫と仲があまり良くないので、直接、渡すのは私からでした。でも、いつもすぐに使い切ってしまうのです」
「ナルホド、よく分かったデース」
 金剛は唐突に立ち上がって、
「サンキューデース。お邪魔したネ。私たちはこれで失礼するデース」
「え、先生?」
 金剛が部屋を出ると、五月雨も急いで後に続いた。
「金剛さん!」
 後ろから加奈子が叫んだ。
「兄は、兄はやはり誰かに殺されたのでしょうか? いったい誰に?」
「もし、お兄さんが殺されたのナラ―――」
 金剛はゆっくりと振り返って宣言する。
「私が必ず犯人を見つけマース!」
 その後、金剛は五月雨の強い要望で富山城を見て回り、蕎麦を食べてから旅館へと帰った。

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