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戦艦探偵・金剛~シルバー事件23区~ PLACEBO *1 UMI ③

九月五日 北海道札幌市 旅館 午後八時二十四分

 三日ぶりに手記を書いている。三日間、書いていないとどう続きを書いていいか分からなくなるのは不思議だ。不思議と言えば、この手記は元々、俺が俺のために書いているもののはずなのに、知らず知らずの内に俺以外の読者を想定して書いてしまっているのは何故だろう。
 一般的にどれだけ取材しても、百パーセントの情報が紙面に載ることはありえない。一つの取材対象に割り当てられているページ数、あるいは一ページ当たりの面積が決まっているからだ。
 どれが大事で、どれが大事でないか、ジャーナリストはその都度、取捨選択を迫られている。何を書くべきで、何を書くべきでないか。それはちょうど、裁判官の仕事に似ている。人間の罪をどう測るのか。懲役何年、執行猶予何年、あるいは無期懲役、死刑、無罪。ときに明確であれば、その境界が曖昧なときもある。未だに「あのときの判断は正しかったのか?」と疑問を持つ仕事だってある。そのとき、俺の胸はモヤモヤする。俺は載らなかった情報をこの手記に書いて、胸の中にあるモヤモヤを吐き出しているのだろうか。
 空気が澄んでいるからだろうか、北海道は本州と違って星が綺麗だ。星はなんでも知っている。だけど世の中、知らない方がいいことも多い。だから俺は事件記者を辞めた。エリカとのことは、そのきっかけに過ぎない。
 しかし辞めたところで、俺は文章を書く以外に生きる術を知らなかった。C級映画や新興舞台の論評、益体な商品のレビュー文、小説の代筆………それはそれで面白かったし、何より金になった。通信社に勤めていたころより収入が増えたのは皮肉な話だ。
 だが俺は再び殺人事件に向き直っている。悔しいが、たるんだ体が引き締まって、感性が鋭くなっていくのを感じる。
 疲れた、だがそれすらも心地よい。
 本調子にはまだまだだが、俺は俺を取り戻しつつある。きっとこれは宿命なんだ。

 出発から三日、正確には二日かかったのには、請けていた仕事を終わらせるためだった。すぐ帰る予定だが、北海道は遠い。締切が近いものは片づけておきたかった。
 俺は九月四日、午後六時の急行『おいらせ』に乗って上野駅から青森駅へ向かった。
 青森駅からは青函連絡船で函館へ上陸。このとき、駅から乗客が青森桟橋へ一斉に兵隊みたいに走っていったのは凄かった。一瞬、あっけにとられた俺は何も分からずにとりえず乗客に紛れて走ったが、そうしないと船に乗り遅れるからだ。
 青森駅についたのは午前五時だった。寝台車を取っていたが、慣れないせいでよく眠れなかった。疲れて食欲も無かったから、船の上で駅弁の残りを食べた。
 青森桟橋から連絡船へ乗ったとき、久しぶりに潮風の香りを感じた。そういえば、ここ数年、海へ近づいたことも無い。東京に住んでいると、ずっとそばにあるような気がするけれども。
 船で青森湾を出て、平舘海峡を通り過ぎ、津軽海峡を越える。
 波は穏やかだった。睡眠不足だから船酔いを心配したが、俺はむしろさわやかな気分で函館の地を踏んだ。意外だったのは暑さだった。北海道だから涼しいのかと思いきや、やっぱり暑い。それでも東京よりはマシだったけどな。
 函館に着いてからは、急行『すずらん』で札幌を目指す。札幌に着いたのは午後三時頃だったが、体調を考えてここで一泊することにした。
 明日はここからまた電車に乗って、札幌本線から余市駅を目指す。俺が調べたところによると、そこから積丹町へ向かうバスが出ているはずだ。
 積丹という町名はアイヌ語の『シャックコタン』から来ている。『夏の場所』という意味らしい。どういうことだろう。夏に行きたいくらい涼しい場所なのか、あるいはいつでも常夏みたいに暑い場所なのか………まぁ、行ってみれば分かるか。

九月六日 北海道札幌市 旅館 午後十一時二分

 俺はどうしてこんなところに来てしまったのだろうか。今、考えてみると疑問が尽きない。どう考えたってエンザワは頭のイッたおっさんだ。そんなおっさんの戯言に振り回されて、取材費として前金百万渡されたとしても、どうして北海道に来たのか。
 昨日の手記を読み返す。希望に溢れた文章だ。きっと積丹町にはカムイの手掛かりがあるに違いない。ダメで元々だ。やるだけやってみよう。そういう気概で溢れている。
 しかしこの世には魔物が潜んでいる。勇者と魔王が戦うのには必然的な意味がある。勇者とは無謀なバカのことで、魔物とは世間一般で言う常識的な観点や、壁を現しているに違いない。
 愚痴ってばかりいちゃ取材手記にならねぇから、ここらで一区切り打って、いい加減、俺が積丹町で体験したすべてを書き記そう。
 そんで寝て忘れるんだ。

 午前六時と言う極めて健康的な時間に目を覚ました俺は、美味くもまずくもない旅館の朝食を済ませて札幌本線は余市駅を目指し、余市駅からバスで積丹町へ向かった。余市駅に着いたのがだいたい午前八時ごろで、余市駅から積丹町まではバスでニ十分の距離だったから、現着したのは午前八時二十分ごろということになる。
 積丹町で俺がやったのは、徹底的な聞き込みだ。こういうやり方は結局、記者も刑事も一緒になる。喫茶店の客やバーテン、八百屋のおじさん、おばちゃん、犬の散歩している暇そうな老人まで、俺は聞き込みをした。傍からみりゃどこからどうみても怪しい兄ちゃんだが、これが仕事だし、俺は目的のためには手段を選ばない(というより選んでいられない)。
 エンザワが言うには、カムイは余別にいたという。正確には旧余別村だ。一九五六年までここは村として存在していたが、積丹町に吸収合併されたのだという。自治体は今日明日にいきなり消滅するわけじゃ無い。吸収合併されて、徐々に忘れられていくのだ。
 聞き込みを始めて三時間ほど経過したころ、ボチボチ漁から漁師が戻り始めていた。俺は彼らにも聞き込みをすることにした。すると漁師の一人が、
「カムイ? ああ、カムイなら海でよく見かけるよ」
 という奴が現れた。
「カムイを見たのか?」
 カムイは俺の中でいつの間にか神話上の伝説的存在となっていたから、思わず聞き返した。しかもよく見かけるとはどういうことだ。それほどカムイはこの地元にとって日常的な存在なのだろうか。彼が東京で女の子を二人殺し、男を一人殺した事実を認識しているのか。
 今思えばこの辺りをよーく聞いておくべきだったが、はやる気持ちを抑えきれなかった俺は、カムイをどこで見たのかを聞いた。すると、どこそこの場所でウニを取っているという。
 ウニ。
 この辺から怪しい気がしていたが、俺はとりあえずカムイがウニを取っているという海辺へ向かった。

 カムイがいるという海辺には、海女がいた。俺は海女は上半身裸で潜るもんだと思っていたが、今時の海女は浴衣みたいな服を水着のように全身に着て潜っていた。まぁ、おばさんばかりだから、熟女趣味の無い俺にとっては正直、助かった。海女はたき火に当たりながら、今日の収穫を仕分けていた。
 俺はその中の一人に、カムイを知らないか? と訊ねた。
「あんた軍人かい?」
 北海道弁で女が言った。どうしてそんな風に思うのかと聞くと、
「だってカムイだし」
 と言った。
 カムイと軍がどう結びつくのか不思議に思っていると、その女は遠くへ向かって、
「カムイちゃーん! あんたに用があるって人が来たよ!」
 と叫んだ。
 この場にカムイがいるのか? そんな馬鹿な。そう思っていると、海辺の向こうから若い女の子が走って来た。
 走ってきたというのは正しい言い方じゃない。その女は海の上を走っていた。白い海女の様な装束に、額にアイヌがやるような青い鉢巻をしている。髪は一見、老婆の様な白髪だが、近くで見るとハリと艶があった。それは健康的な銀髪だった。
「イランカラプテ、私が神威型一番補給艦『神威』です」
 と、神威が言った。カタカナで書くと『カモイ』だ。実は漁師の話からおかしいと思っていたんだ。だけど、北海道弁だからそう聞こえるのだと自分を欺いていた。
「ふーん、君が神威か」
「はい!」
「なるほど、そうかそうか」
 神威が俺の様子に首を傾げる。
「そうか………」
 俺は文字通り頭を抱えてしゃがみこんだ。脳裏にエンザワの顔が浮かぶ。あいつが見た『カムイ』というのはおそらく―――。
「あの」
 神威の言葉が頭から降ってくる。俺は答える気力もなく、しばらく頭を抱えたまま、ここまでの道のりを思い出していた。
 結論、北海道のカムイは艦娘『神威』だった。

 で、問題はここからだ。
 その後、よく覚えてねぇが大衆食堂で昼飯と酒を飲みつつ、神威相手に俺はここまでの経緯を話したような気がする。神威の真剣な眼が印象深かった。つっても、こいつは人の話すことならなんでも真剣に聞いちゃうような素直な心の持ち主のようだった。
 それで酔いが回ってきた俺に、
「私と同じ名前の殺人鬼がウロウロされては困ります!」 
 と宣言してきた。いや困らないと思うよ? 君は艦娘だし、世の中に犯罪者と同じ名前の人なんてたくさんいる。そりゃ、親族と間違えられて嫌がらせを受けるケースもあるが、人のうわさも七十九日で、しばらくすると引いてくるもんだ。気にすることは無い。気にすることは無いつってんのに、神威はそのあと何て言ったと思う?
「私も東京に行きます!」
 それに俺はどう答えたのだろう?
「いやいや、やめろやめろ」
 と答えたのだろうか。
 だが、
「ああ、そう」
 と答えたかもしれないし、
「そうだあの野郎! 一緒にとっ捕まえてやろうぜ!」
 と言ったかもしれない。丸が三角に見えて、日本語が英語に聞こえる俺の酒癖だ。いずれも十分可能性がある。
 ………そして俺の布団のとなりの、もう一つの布団でむにゃむにゃと神威が寝ているのが紛れもない現実だ。
 こいつの寝顔を見ていると安らぐか? いや、全然。酒のせいか頭が痛くなってくる。猛烈に痛くなってくる。こいつも東京に連れて行く? 嘘だろ?
 俺は今から函館本線に乗って、青函連絡船に乗って、上野までの急行に乗る。二人なら交通費は二倍だ。誓ってもいいがこいつは金を持っていない。証拠に俺の財布を調べてみると、きっかり二人分の電車代が無くなっていた。
「まじかよ、積丹町へ帰れ」
 この手記を書きながら、思わず声が漏れ出る。
 そんでマジにどうするんだろ。
 疲れた。
 こういう時は、未来の俺に期待する。ということで、一つ頼むよモリシマトキオくん。

九月八日 午後五時四十七分 東京都世田谷区 自宅マンション『タイフーン』

 俺は過去の俺の期待を裏切って、神威を東京まで連れてきちまった。というより、付いてきたという方が正しいか。
「俺はこれ以上、切符代を出さねぇぞ」
 と言ったら、神威の奴、
「だったら自腹で行きます!」
 と抜かしやがった。それが普通だってぇの。しかも交通費を浮かすためとかいって、青函連絡船に乗らずに自力で津軽海峡を越えてきやがった。まぁ、艦娘だからそれが普通(?)なのか。
 神威が連絡船と並走していると、乗客から歓声が上がった。曲がりなりにも深海棲艦から世界を守った英雄様だ。そりゃ人気があるのも当然か。
 帰りの船旅は晴天なれど浪高し、ってな。揺れに揺れたね。ここ数日の旅の疲れも出たんだろうが、俺は見事に船酔いを起こした。
 青森桟橋から青森駅までは、行きも帰りもダッシュだ。当然、船酔いを起こした奴はこの波に乗れない。俺は人ごみにもみくちゃにされながら、陸にいながらにして溺れたようになっていた。
「モリシマさん! 大丈夫ですか!」
 背後から声をかけてきたのが青森港から上陸してきた神威だった。神威は艦娘特有の馬鹿力で、俺を荷物ごと持ち上げて駅まで運んで行きやがった。
「補給艦ですから!」
 と元気よく答えてくれたが、答えになってなくないか。
 まぁ、とにかくちゃっかり神威は俺と相部屋の寝台列車に乗って、青森から東京は上野駅までやってきたというわけだ。その間、俺はまるで死体のように寝台に寝そべっていた。そうしてようやく懐かしの世田谷に帰ってきたのがお昼前。地獄坂を思わせるマンション五階の階段を登り切り、夏の温い水道水を飲んで布団へ突っ伏した。
「モリシマさん! 大丈夫ですか!」
 俺のマンションに神威が付いてきたことはクドクドと語る必要もないだろう。夏の日差しに白く染まったマンションの室内で、俺は扇風機を薄れ行く意識の中で付けながら、
「しばらくそっとしておいてくれ………」
 と言って目を閉じた。
「わかりました!」
 神威が返事をする。頭の中がグルグルして、それで俺は眠りに落ちた。

 目が覚めるともう五時になっていた。布団を敷いている寝室から起きると、神威の奴もソファーの上でぐっすりと眠っていた。
 俺は何か忘れている気がして、顔をかきながら薄暗くなりつつある部屋の中を見回すと、大事なことを忘れていた。
 アカミミだ。エリカに預けてたのを引き取らなきゃならん。あいつのことだから、世話はちゃんとやってくれてると思うが。
 それに気づいた瞬間、電話が鳴った。受話器を取ると、エリカだった。
『帰ってきたようね?』
「ああ、今日帰ったところだ。クタクタだ」
『成果は?』
「どうやらガセネタを掴まされたようだ。疲れたよ」
『そう』
「そっちは?」
『話すことが色々あるわ。とりあえずジャック・ハマーまで来てくれる? 時間は………そうね、八時ごろに』
「分かった。あ、おい―――」
 アカミミを連れて来いよ、と言う前に電話は切れた。
「ったく。まぁ、いいか」

 それから俺は寝ている神威を残してマンションを出た。近くの本屋で週刊誌を何冊かと新聞を買って帰る。帰る途中でそれらを流し読みしてみたが、カムイの事件が表ざたになっている様子はなかった。報道規制はまだ解かれていないらしい。誰だか知らんが、そうまでして事件を闇に葬りたい奴がいるらしい。
 家に帰ると、良い匂いがしていた。
「おかえりなさい」
 玄関を開けると、台所で神威が料理を作っていた。
「何してんだ?」
「何って料理ですよ?」
「いや、見ればわかるけどよ………材料はどこから調達した?」
「すぐそこのお店です。大丈夫ですよぉ、ちゃんと自分のお金で買いましたから。今回は私の奢りです!」
「そういう問題じゃねぇけど、腹減ってるし、まぁいいか」
「もうちょっと待ってくださいねぇ」
 俺は神威が料理を作っている間、買って来た週刊誌と新聞を読み漁った。それによると、どこどこの国が、どこどこの場所で核実験を行ったとか、だれだれが殺されたとか、缶ビールの味はどうだとかいうものばかりで、やはりカムイの名前はどこにもなかった。
 一方、カストリ雑誌やスポーツ紙はというと、さすがに時期が過ぎたかカムイの記事は二面か三面へ回って、カムイらしき男の身元は未だ不明だとか、二十年前のカムイとは別人か? 模倣犯か? などと書かれている。巷に出回るカムイネットに関しても言及されていて、次の号で原寸版のカムイネットが付録として付くという。元々、著作権が曖昧な代物だから、こういうことも出来るのだろうか。
 あるいは抗議を申し立てる輩を捕まえて、情報を聞き出すつもりなのかもしれない。考えようによっては上手いやりかただ。ま、名乗り出ればな。
「出来ましたよ~」
 神威はご飯とみそ汁と焼き魚ときんぴらごぼうと、玉子焼きと簡単なサラダを作った。俺がいない間にマンション五階から買い物に出て、これだけの材料を買って、これだけの料理が出来るとは、正直、見直した。食べてみると、北海道の旅館で出された飯よりもよっぽど美味かった。
「おいしいですか?」
「ああ、美味いよ。たいしたもんだ」
「じゃあ連れってってくれます? ジャック・ハマー!」
 俺はみそ汁を噴き出した。
「お前、電話聞いてたのか」
「はい! ウエハラカムイを捕まえるんでしょう!」
「馬鹿! 違う違う! 俺たちは別にカムイを捕まえようなんて思っちゃいない!」
「じゃあ、何で追いかけるんです?」
「それは―――」
 金になるから、という理由がストレートに口から出そうになって、俺は口をつぐんだ。俺がカムイを追いかける理由はそれだけじゃないような気がしたからだ。けれど、この手記を書いている今でさえ、俺はカムイを追いかける理由を明確に答えることが出来ない。強いて言えば、仕事だからだ。
 金になるから、という理由と仕事だからと言う理由は、似て非なるものだからだ。例え報酬が百円だろうと、俺はカムイを追いかける。それは断言できる。そういう仕事を請けたかどうかは別としてな………。
 じゃあ、何で俺はこの仕事を選んだのだろうか? 北海道で俺はその動機を『宿命』と呼んだ。今から考えると、そんな言葉は大げさすぎる。俺をカムイへ向かって突き動かしているこの衝動は、もっと日常で、もっと些細で、囚人の足に繋がれた鎖のようなものなんだ。

同日 午後七時四十二分 世田谷区 バー『ジャック・ハマー』

 俺は結局、神威に押し切られてジャック・ハマーまで連れてきちまった。
 いつも通り、バーのドアを開けて中に入ると、バーテンが俺の方を見るなり、目を丸くして、
「あれ? 今日は若い女の子を連れてますね?」
 と、驚いた。
「神威型一番補給艦神威と申します」
 神威はやや過激な衣装とは裏腹に、丁寧な挨拶をした。
「これはこれはご丁寧に」
 バーテンは穏やかに笑って、
「ささ、どうぞ座って下さい。一杯、ご馳走しましょう」
「ありがとうございます! 日本酒ってあります?」
「ありますよ」
「わぁ!」
 神威はよろこんで席に着いた。俺はその様子を横目で眺めつつ、やれやれと心の中で嘆息しつつ右隣りに座った。
「モリシマさんも、一杯ご馳走しますよ」
 バーテンがついでのように言ったが、ただ酒が飲めるならそれに越したことは無い。
「ああ、ありがとう」
 と、礼を言っておいた。
「それで、待ち合わせには誰が来るんです?」
 神威が訊ねる。俺はいい加減、うっとおしくなって、
「エリカだ。俺の元同僚だよ」
 とだけ答えることにした。もう少ししつこく聞いてくるかと思ったが、神威はそれだけで、
「ふぅん」
 と、黙って店の中を見回していた。どうもこういう店は初めてのようだった。やがてバーテンがグラスに注いだ日本酒と、例の甘くも辛くもないカクテルを持って来た。
「モリシマさんは何を飲まれるんです?」
 神威が訊ねるが、俺は例の如く、
「さぁな」
 と言ってカクテルを飲んだ。
「もう、怒らないで下さいよぉ」
「怒ってねぇよ。本当に分からないんだ。適当に頼んだ奴を、毎回毎回飲んでるんだ」
「何ですかそれ」
「まぁ、自分でもそう思うときが何回かあるよ」
 そう言っている内に七時五十五分になった。店のドアが開いて、エリカがやって来た。
「あら、あなたが先に来ているなんて珍しいわね」
 エリカが素直な驚きを示す。今日はやけに驚かれる日だ。
「あなたが神威ね? 私はイノハナエリカっていうの」
 エリアかが挨拶すると、神威はわざわざ立ち上がって、
「神威型一番補給艦神威です」
 と、あいさつした。
「ああ、わざわざ立ち上がらなくていいから」
 俺がそう言うと、神威の奴は、
「初対面の人への挨拶です。きちんとするのが礼儀です!」
 と答えた。するとエリカも、
「気にしないことね。こういう男なのよ」
 と言う。否定はしない。俺はこういう男だ。
 エリカが俺の右隣りに座ったのを見計らって、
「それじゃ、俺が北海道で無駄足を踏んでいる間、カムイ事件の方はどうなっているのか教えてもらおうか?」
 俺がそう言うと、エリカは、
「それが人にものを頼む態度?」
 と、眉を吊り上げた。
「悪い。別に偉そうにするつもりは無くてだな」
「いいわ。あなたって、そういう人だもんね」
 そう言ってエリカは手帳を広げた。

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