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【短編小説】絵画

絢さんと出会ったのは日差しが肌に突き刺さる八月のことだった。表参道、外苑前、青山、普段聞き慣れていない地名だがそこが東京の中心部にあたるのだろうということは分かった。これまでの人生を関西で生きてきた私にとって東京はいつまで経っても異質な場所だ。標準語を話す人たちに混じって関西弁を出すことに抵抗がある。少し身を潜めつつ、それでも時代の流れには遅れていないぞ、と無理矢理胸を張る気持ちで青山の坂道を歩く。

個展の会場は涼しく、一歩踏み入れただけで気管に冷ややかな空気が流れ込んだのが分かった。入って右手にあるアルコール消毒を手に取りつつ会場を見渡す。素敵な絵がたくさん。
「こんにちは、お久しぶりで。」
「今年も来てくださりありがとうございます。こんな時期ですけどお会いできて嬉しいです。」
私は今日悠人さんに連れられてここに来た。悠人さんは過去に数回、絢さんの個展に足を運んでいたようで挨拶と世間話を繰り広げている。その間私はひとつひとつの絵をじっくりと眺めることにした。

絢さんを一目見たとき、綺麗な人だと思った。こんな灼熱の八月には似合わない色白の肌に、大人の女性らしい品のある落ち着きを兼ね備えていた。絢さんの絵は女性をモチーフに描かれているものばかりだった。そしてそのどれもがちょっと物憂げで、内に秘めている苦しみを吐き出そうとしているように見えた。私は絵に関する知識は何ひとつなかったが、絢さんの絵が表現しているものには心惹かれた。すごく素敵。拙い言葉しか出てこないがこの五文字が精いっぱいだった。女性である私がこんなにも強く惹きつけられる絵に悠人さんは一体何を感じているのだろうか。やっぱり男の人の考えていることはわからない。東京への異質さと男の人への異質さが合い混じるなか、絢さんの絵が私の救いになった。

その中でひと際目を惹く絵があった。持って帰りたい。ポストカードサイズのその絵は、小さくも私の中で絡んでいた複雑に絡む糸を解きほぐしてくれる気がしたのだ。
「すみません、これください。」
「ありがとうございます。すぐにご用意いたししますね。」
しばらくして絢さんから名前を尋ねられた。
「るりです、瑠璃色の瑠璃。」
「瑠璃ちゃんですね!先ほど悠人さんから大阪の方だと伺いました。遠いところからどうもありがとうございます。あと、瑠璃ちゃんが選んでくれた絵、私もすごく気に入ってるものなんです。」
「そうなんですか!なんだか嬉しいです。」
絢さんには悩みがあるんですか、なにか苦しかった経験があるんですか、聞きたいことはたくさんあったが初対面なので軽い挨拶で済ませた。人の心に突き刺さる作品を創る人は、本人が乗り越えた何かが大きいものがあることがほとんどじゃないかと思う。そうでなければ天性の才能と呼ばれるのだろう。

その後、記念に絢さんと写真を撮って会場を後にした。
「もうすぐ誕生日だから、さっきなにかプレゼントしてあげようと思ったのに、瑠璃がそそくさと絵を選んで買ってるし。」
私はまた悠人さんの思い通りにいかない行動をとってしまっていたようだ。
「すごく気に入ったんやもん!」
東京も男の人の異質さも今とさっきでは変わりもしないけど、絢さんと出会って絢さんの絵を自分で手に入れた私はなぜか少し強くなった気がした。
八月の午後三時は相変わらず暑い。しかし青山の坂道も、帰りの足取りは軽やかだった。

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