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占いカード

小学生のとき、手書きの占いカードを作っていた。プリンターからこっそり1枚引き抜いてきた真っ白のA4のコピー用紙を36等分くらいにしたちっちゃいカード。手作りの占いカードは誰にも触れさせてはいけない秘密中の秘密だったから、とにかく目立たないように小さいサイズにこだわっていた気がする。
もしも見つかったら即座に両手で掴んでぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に捨てる予定だった。
そのちっちゃいカードに、勝手に考えたラッキーな出来事とアンラッキーな出来事を表す、トイレの男女を分けるときの標識みたいな人間と地図記号みたいなのを組み合わせた絵を描いた。
あと、ローマ字みたいに母音と子音を組み合わせた一定の法則で出来上がる自作の文字みたいなのも作っていたから、絵の下にその出来事の意味も書いていた。ローマよりもアラビアで使ってそうな文字だった。
例えば、マルに逆三角形の人が片手を挙げてる背後に虹が架かってる絵の下には、「めっちゃ当てられる」って自作のアラビア文字で書く。
授業中にめっちゃ当てられるって意味だ。
小学生の時はテストで100点しか取ったことない優等生かつ出しゃばりだったから、自分が分かる応用問題に他の子が当てられるのになぜかむかついてたから、「めっちゃ当てられる」のそれはいい方の意味のカードだった。
人型をふたつ並べた間にハートマークが描かれた絵には、「れんあいうん」って書かれてたと思う。
当時、小学校4年生くらいから片思いをしてた子がいた。しかも、同時に2人いた。
占いカードの「れんあいうん」にはAくん用とBくん用の2パターンあった気がする。
人生でモテたことなんてないのに、勝手にふたりを選べる仕様になっていた。かわいい。

占いカードはいつも夜に宿題をやるときに、同じ部屋の隣の机で勉強してた姉にバレないようにコソコソと勉強机の引き出しから取り出して使っていた。トランプの要領でちっちゃなカードを一生懸命切って3つの山にした後に、好きな山を選ぶ。そのあとサイコロを振って、出たサイコロの目の数でカードの上から何番目のカードをめくるかを決める。
そのカードが明日の運勢を決めるカードだ。
わたしの手作りの占いカードは、なぜか本当によく当たった。「れんあいうん」カードが出た日は本当に好きだった子とたくさん喋れたし、カミナリカードが出た日は、お母さんに怒られた。
「れんあいうん」カード(Aくんバージョン)が前の日に出た日の席替えでAくんの隣の席になったのに、その席替えの日に「人型が倒れてる」カードが出た翌日、「目が悪いから前の方の席を代わってほしい」と先生に言った奴と目が良かったAくんの席が交換されることになった。
隣だったのに一気に席が遠のいた。ねじれの位置。平行でもなく交わりもしない位置関係のことを「ねじれの位置」と言うと知ったのは、もう二股はやめてAくん一筋で好きになってた中学生の時だった。(付き合ってもないくせに二股というのだろうか)

怖いくらいに当たるから、100パーセント信頼していたそのカードを引くときは、胃がひゅっとなっていた。

小学生が作るカードだから、表す意味も極端に悪いカードもあった。自分を表す人型はぽつんとひとりで、奥の方でふたつの人型が楽しそうに会話しているカード。
そのカードの意味は「しゃべれない」だった。
奥の方で楽しそうに話すふたつの人型は、ひとつがAくんで、もうひとつはわたしの友達Cちゃん。
Aくんは明らかにCちゃんのことが好きだったし、CちゃんもAくんのことが好きだった。
発表会の出し物の準備を話し合うために、Aくんとふたりで放課後の教室に少しだけ残っていたときに、Aくんは「信頼してるから言うけど、誰にも言うなよ」とCちゃんのことが好きだとわたしに打ち明けた。
Cちゃんもめちゃくちゃ仲が良いわたしだけに話すって言って、内緒話でAくんが好きだと教えてくれた。

平行になってるふたりをねじれの位置から見つめるのは、わたしだった。
そのカードは呪いのカードだと思って、思わず破り捨てた。
一回だけ引いたそのカードは、これからの人生で「わたしが好きな人はとことんわたしの友達を好きになる運命」の序章だった。

でも、そんなこともう、どうだっていい。
「わたしに興味ない人はわたしも興味ない」
そんなカードを作ろうかと思っていたところだ。

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