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主の平和

何をやっても上手くいかない。。。。

そんなふうに感じる時があります。


自分なりに、

ひたむきに生きてきた。。。


でも、

見下されたり悔しい思いもした。。。


無視されたり、ひどい中傷の言葉に傷ついたり。。。


信じていた者の、その思いを壊すような出来事に失望したり。。。


頑張れば夢が叶うなんて思いが、

どんなに現実味を帯びていないか思い知ったり。。。



1年前のスペイン、トレドでのミサの録音を聞きました。

グロリア少年合唱団、2012年
スペイン carmonaでの演奏会



息子たちのグロリア少年合唱団がミサ奉仕した録音です。

復活祭1週間前、キリストの受難を記念する聖習慣に入るミサです。


いつか、人は、死を迎えます。

何一つ持たず、置かれた全ての環境に関係なく、平等に。


そんなことを考えていたら、

職業の違いや、貧富の差や、社会的な地位などが、

どんなに儚く意味のないことなのかと思えてきます。

その人に与えられた、その人の良さを、

置かれた環境で、大切に、誰かのために役立てることができたら、

それでいいのではないかと思えてくるのです。

誰かの・・・その中には他ならない自分自身も含まれているのだと思います。


「主の平和」

ミサの中で、使われる言葉があります。

それは、

神様から与えられた一人一人の良い部分が大切にされますように、

という意味だと言った神父様がいます。


「主の平和」

今ある所で、

今ある形で、

自分自身の持っているものを大切にしていけばそれでいいのだ。

そして、

自分以外の人の良い部分を見る目を持っていけば、それでいいのだ。


そんなふうに思うと不思議に元気になるのです。


2013年5月1日、facebookに書いた記事です。

息子、小学校3年の時、初めて教会で侍者をしました。

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