ヤマグチさんのこと
「100分で名著・新約聖書福音書」を読んでいます。新約聖書は書かれた言葉を読むのではなく、言葉の奥にある意味を味あわなければダメだ、と神父さまが仰っいました。言葉は奥にある意味の「印」として書かれていたりするのだと。
62ページ「祈り」と「願い」
ハンナ・アーレントの著書「人間の条件」の中で労働と仕事は異なる営みであるといいます。
仕事は何らかの意味で「もの」を作ることであるのに対して、労働は、苦役である場合もあるが、別なときには「いのち」に祝福をもたらすものである。(若松英輔)
祈りと願いの違いを伝える前に若松さんはハンナ・アーレントの労働と仕事の違いを例に挙げました。
ここまで読んで私はふと、昔の事を思い出しました。
かれこれ30年以上前のことです。私は義理の祖母が入院している病院に毎日通って昼食の介助をしていました。
当時は、老人施設など今ほど完備されていませんでした。その病院の一室は認知症を抱えたり寝たきりの患者さんがいる大部屋でした。義祖母は幸い認知症はありませんでしたが一人で食事を取ることができず、介助が必要だったのです。
看護師さんは一人で何人もの患者さんのお世話をしていらっしゃるのでとても忙しく大変な状態でした。看護師さんが少しでも楽になって欲しいという思いもありましたが、義祖母のお世話もしたかったので毎日通いました。
義祖母のいた部屋は大部屋で認知症を抱えたかたなど10人ほどの患者さんがいました。
その中にヤマグチさんというお婆ちゃんがいました。2年以上ほば毎日のように病院に通いましたがヤマグチさんのご家族には一度も会ったことがありませんでした。訪ねてくる人も一人もいませんでした。それでもヤマグチさんはいつもニコニコ微笑んでいます。脳梗塞かなにかの後遺症で話しもほとんど出来ません。ただ「こんにちは」と「ありがとう」をやっと聞き取れるくらに話すことが出来ました。
病院に通っている間に、ヤマグチさんがいい笑顔で「こんにちは」というのを聞くと私はとても癒されるようになりました。ほんの些細なことをしてあげても、例えばヤマグチさんが落としてしまったものを拾ってあげたりすると、とてもいい笑顔で「ありがとう」と言ってくれます。
私は、ヤマグチさんに会えるのが密かに楽しみになっていました。嫌なことがあっても、ヤマグチさんの笑顔を見たり「こんにちは」という言葉を聞くと気持ちが楽になりました。
「労働」がいのちに祝福をもたらすことだとすれば、ヤマグチさんは立派に「労働」をしていたのだと思います。
そして、寝たきりで何も出来ないように思われても、そんなことはない。その人にしか出来ないことはちゃんとあるのだ、と思えてくるのです。