美味しいものはみんなで
遠い昔、戦争中のお話です。
母方の実家は専業農家でした。
母は、11人兄弟、5人目にして初めて産まれた女の子でそれはそれは大切にされて育ったようです。
戦争中、上の4人の兄たちは戦争に行き、まだ10代の母が兄たちに代わって畑仕事などをこなしていました。
薩摩芋を収穫していた時、気づくと小さな子どもをおんぶした女性がいました。
「疎開でここに引越してきました。収穫出来ないような小さな薩摩芋をいただいていいでしょうか。」女性はそう言ったそうです。
畑仕事をしていた母と祖父は、
「いいよ、いいよ、好きなだけ持っていきなよ。」と答えたそうです。
それから、母は収穫する時には大きめの薩摩芋を少しだけ畑に残すようにしたそうです。その女性は母たちの畑仕事が終わると毎回畑に残された薩摩芋をもらっていったとのことです。
母は何度も何度もその話を私にしました。
母がそうしたのは、女性を憐んだり、まして恵んでやるみたいは蔑みからではありません。
「美味しいものはね、みんなで食べるとさらに美味しくなるんだよ。」
母はよく私にそう言いました。
「お腹を空かせている人を知りながら自分たちだけ薩摩芋を食べたら美味しくないでしょ。」と。
世界が全体幸福にならないうちは個人の幸福はありえない。
母の言葉を思い出すと私はいつも宮沢賢治の言葉を思い出します。
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