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043【リーダー論2】

リーダー論を語る際によく引用される映画『八甲田山』。二つの連隊が別のルートで雪山を行軍し、一方の連隊のリーダーが『天は我々を見放した』という一言を口にした途端、その連隊はみんなバタバタと倒れてしまう。もう一方の連隊のリーダーは案内人の協力を得ながら緻密に進んでいき、『絶対に死ぬな』と言い続け、一人の脱落者も出さず進んでいく。また、この話では、一方のリーダーは自然を大人数で征服しようとし、もう一方のリーダーは自然を少数精鋭で調和しようとする。

これからの学校を考えるとき、そしてこれまでの学校を考えたとき、どちらのタイプなのか。

困難な状況に陥ったとき、子どもたちに、どんな声をかけていたのか。

「信じているよ。君なら出来る!!」

と力強く言っていても、『天は我々を見放した』と愚痴ってしまってはいないか。たとえ愚痴らなくても、心の中では諦めてはいなかったか。『一人も見捨てない』学校、学級には何が必要か。子どもたちを征服してやろう、あるいはコントロールしたいという緊張型の関係を強いてはいないか。それはいずれ破綻し、リーダーはどんなに信じていると口にしても、絶望へとつながっていく。子どもたちに勝とうとせず、力まず、互いに希望を語り合える関係、調和型の関係がいいのだと思う。縦糸-横糸の意識はもちろん大切であるが、そこに希望が見いだせなければ、子どもは安心して学び合うことは出来ない。

『一人も見捨てない』という教育哲学は一緒でも、築こうとする関係性によって、得られる結果は全く別なものになってしまう。これをリーダーや教員の【愛情】というのはなんとなく簡単過ぎるように思う。この関係性こそ、子どもと教師の間に生まれる【信頼】であり、【信頼性】なのだと思う。「この先生は本当に私たちのことを信じてくれている」そういう行動、在り方が強固な関係性を持続していく。

「信じているよ。」

と言っているのに、

「出て行きなさい。」

と言ってしまったり、思い通りに行かない現状にイライラしたりするということは、行動と在り方が一致出来ていない証拠である。ただしこの行動と在り方、わかっていても出来ないのが人間というもの。所詮、教師も人間。新しいシステムを導入するとか、革新的な教育方法を取り入れているとか、そういうことではなく、リーダーは『一人も見捨てない』という教育哲学を、強烈に意識しなければならない。そして、数多くの修羅場をくぐり抜けるからこそ、希望を見いだせる関係性を築いたり、声かけが出来たり、さらにそれはごく当たり前に出来ていくのではないだろうか。困難な状況も、みんなが成長出来る好機と見て、楽しみながら共に進むことが出来る。そんなリーダーが、まさに僕が理想とするリーダー像と思う。

リーダーは、安心と興奮を同時にくれる!!

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