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324【アクティブ・ラーニングとは①】

アクティブ・ラーニングとは?

教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)(平成24年8月28日)用語集より

アクティブ・ラーニングに関する議論

まずは、上のリンクをしっかり読む読む。

問題解決学習
完全習得学習
構成主義学習論

さらに上のリンクを踏まえる。そして、学習指導要領の編成や時代背景を踏まえると、、何を目指してきたのかがなんとなく見えてくるように思う。

ここから何度かに分けて議論したいのは、私たちが、アクティブ・ラーニングを実現させるためには、「生きる力」「確かな学力」「21世紀型能力」などの提案をごちゃごちゃに受け入れるのではなく、教師の側に「学習論」と「授業論」を分けたフィルターが必要だと言うこと。

文部科学省による用語集によると
「学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称」

アクティブ・ラーニングってのは、質的転換。
アクティブ・ラーニングとは、学びの方法であって、目的ではない。

本格的なアクティブ・ラーニングとは、、、
単位時間だけでなく、学習者が主体的・協働的に学びへ向かう方向性。
行動評価やポートフォリオ評価等のリーフレットを用いた評価、
さらに、カリキュラムまで計画も含めて実施していくのが絶対条件だ。

「アクティブ・ラーニング」と「カリキュラム・マネジメント」は今回の目玉の両輪として述べられている。

思い出してほしい。2013年8月、北海道で開催された日本理科教育学会全国大会において、「総合的な学習の時間」を新設し「ゆとり教育論」を展開した有馬朗人は、こう説明している。

「このとき「総合的な学習の時間」について、新設の予定では、週一時間くらいを予定していたそうだ。ところが、官僚たちが、総合的な学習の時間をえらく気にいってしまい、時数が大幅に増え、学習指導要領に位置付けられた。この時間を、基礎学力の定着に当てるべきだったかもしれない。」

「子どもの主体性」という理念は戦前から、ずっと日本の教師たちの思いとして強くあった。では、官僚たちが気に入ったのは、何だろう?基礎学力の定着ではないことは確かだと思う。『応用力』なのだ。学んだ知識をいかにして知恵にしていくか?思考力・判断力・表現力の育成と社会への参画、グローバルな視点、ESD、ICT活用といった新学力観の育成にある。

2050年の日本は、人口減少により、量から質への時代になる。量が増えていくのであれば、現状通りで、どんどん利益は得られる。しかし、量が減っているのだから、新しいものや現在のものに一工夫する付加価値を与えないと利益は得られない。

0から1がイノベーション。
1から2がリノベーション。

2000年くらいから加工して製品にする、付加価値を加えることで、世界に進出出来たが、それも手詰まり。これからは、新しいものを創造する力が必要になってくる。

こうした危機感で教育を煽るようなのは、嫌いだし、背景としては考えられるが、核心は違うように思う。2002年に示された「生きる力」の理念がずっと変わらないことからも、学びを単なる「知識の尊重」から「知恵」とする教育を展開したかったように思う。1970年代から考えられた教育の個別化が、やっと成熟した形で、現場に展開されようとしている。

アクティブ・ラーニングっていうのは、、学校の中で展開されてきた教育を、家庭や地域と連携し、社会とつなげて、実践的な知恵とする教育論。

最近になって、
「アクティブ・ラーニングなんて言われているが、何も変わらない。私たちは、いままで通りの教育を進めていきましょう」
という校長や教員に出会う。

「勉強してください。違いますよ♪」(笑)

「アクティブだから、協同学習など、授業で子どもが動き回る授業をすればいいんだ。話し合う活動を増やせばいい。それが主体的・能動的ってことじゃないか」
という人にも出会う。

「もっともっと勉強してください。違いますよ♪」(笑)

主体的とか、能動的とかってだけだったら、ほんとの協同学習で十分カバーできる。

協同学習入門―基本の理解と51の工夫/ナカニシヤ出版

活動させればいい、話し合えばいいなんて人は、一度、読むことをおすすめする。知識をより実践的な知恵へ。学習が学修と書き換えられた意味をもっと考えなければならないと思う。子どもたちの幸せのために、どんな姿を、いつ、どんな関わりをするか?「総合的な学習の時間」の看板の掛け替えなんて人は、2002年の理念をもう一度見直して欲しい。「言語活動の充実」とは言ってないでしょ。個々人が、自己肯定感を高め、社会における役割を意識して関わっていく。インクルーシブ社会やESDを意識している。どんな子どもを育てるか?いつ、どうやって地域や専門家と関わっていくか?教師の意図や思い、創造性を持たなければ実現することは出来ない。いままでの学力観とは、ぜんぜん違う。

「アクティブ・ラーニング」と「カリキュラム・マネジメント」これは、本気で考えないといかんぜよ。

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