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045【授業の善し悪し】

「いい授業とは?」

この問いにあなたは、どう答えますか。挨拶が出来る。姿勢が良い。よく手が上がる、などなど。そういうのも大事だなぁとは思うし、ある意味、先生がリスペクトされる状態は、いいなぁと思うのだけど。なんか、「いい授業」は、形も中身も自分が今まで持ってきたイメージじゃないんじゃないかなって思う。

めっちゃめっちゃ、楽しい学級。わくわくどきどきする授業。

それって、いい姿勢で、座ってたり、よく手が上がったり、そんなんじゃなくて。ふざけてるのと、楽しんでるのが違うように、見極めは大事だけど、従来、見せられている形とは違うんだなって感じる。

10年後の学校は、どんな風になっているんだろう。僕がイメージしている場にするためには、5年かけて、いろいろシフトしていかなければと考える。
・世代に配慮した学校への人事権の裁量。
・コンサルティングの導入。
・学校評議委員ではなく、スクールパートナーへ。
・管理職によるメンター研修制度。
・授業づくりに特化した研修体制。
・生徒指導担当には、中級スクールカウンセラーレベルの資格を必要とする。
・教務ではなく、カリキュラムマネジメント。
・事務職員の仕事の見直し。
・栄養教諭、養護教諭の役割を重要視する。
・5年経験者は、他校と授業づくりを交流し合う。
・10年経験者は、まちづくりに参画する機会を持つ。
・幼小中高一貫の人事交流。
・3年に一度は、公開研修を設ける。
・授業や生徒指導に対して、教師は必ずいくつかのスーパービジョンを持つ。
 それは校内に限らず教育関係者として見識のあるものであれば、時も場所も選ばない。

こうしたことを実現していくためには、地道な、ほんと地道な交流を積み重ねるしかない。だからといって、授業を見せ合ったり、講演をしたり、本を書いたりすることを否定するつもりはないが、こうした活動は、どこかこうした動きを後退させるように感じる。

【挨拶が出来る。姿勢が良い。よく手が上がる】

そんな授業だけを追究すると、教師はいつか体罰を起こしてしまう。

【めっちゃめっちゃ、楽しい学級。わくわくどきどきする授業】

そんな授業だけを追究すると、教師はいつか学級を崩壊させてしまう。

講座や授業、講座とは、一面に過ぎない。いまの若手や講座に来る人は、それを全てと感じてしまう。そして、実際に行動に移してしまう。

「わずか十日」で胸像を作れるようになるには、三十年間の修練が必要でした。ただの十日間ではありません。三十年の蓄積に裏付けられた十日間です。その価値がお分かりになりませんか。(byミケランジェロ)

授業の45分、経験を積み重ねるたびに、その時間は、ぎゅ~と凝縮されて、ただの45分間でなくなってくる。
怒るのをやめなさい。
威張るのをやめなさい。
目に見えるものや、現象にこだわらないこと。
無一物となった人には、「いいこと」がたくさんあります。
自分を大切にしてくれる人には、同じ気持ちを返すのが、人間関係の法則です。『ブッダの言葉』より

だから教育を変えていくとすれば、日常の現場で、たくさん交流するしかないのだと思う。そう考えると、普段の学級をビデオで交流し合い、検討するっていう、カンファレンス的な研修はすごく意味があるように思う。

テストは本を読んだり、話を聞いたりすれば、成績が上がる。理解はできる。でも、技術は、知識を得て、実践経験をしたり、努力したりしないと身に付かない。たくさんの経験をして、失敗や成功を繰り返すうちに、自然と体がよい選択をするようになる。それでもどの程度できるようになるかには、内面への意識が大きく影響すると思う。

子どもの前に立ったとき、意識的にどんな行動をするか、どんな表情をするか、どんなことに気を配るか、繰り返すうちにお互いの関係が変わっていく。どんなことがあっても「笑顔でいる」覚悟。困難を修行と思い、感謝して心を込めて取り組むこと。うまく書けないけど、ちゃんと言語化しておくことは、今後の自分にとって大事なことのように思う。恋愛も本を読んだり、映画を見たりするだけでなく、いろいろな経験をしていくうちに内面が変わっていく。「愛」や「幸せ」は技術だろうか。それとも「才能」だろうか。

優しいままで、規律をしっかり定着できなかったり、
規律をしっかり定着させようと、大きな声で叱ったり、
両方のバランスを取って、技術を用いたり、
どちらにせよ、相手の心をがっちりとつかまないと何もはじまらない。

何を言うかじゃなくて、誰が言うか。
何が出来て、それは何が良かったんだろう。
何が出来て無くて、それは何がいけなかったんだろう。

結局なんなんだろうと言うと、すっと前に立ったとき、あの独特の間をちゃんと感じられるようになってきてるだろうか、それに対応する技術は身に付いているだろうか、ふり返る要因は、自分自身のことから教室環境まで、考えればいっぱいあるわけで。

有名な先生の本を読んでわかるなら苦労はしない。そして、いま書店に並んでいる多くの有名な先生の本は、それを十分に知っているから、いくつかのうすっぺらいことを、インパクトのある言葉を並べて、熱く語っているだけ。だから、表面だけのうすっぺらいことを言う若手が、どんどん増えている。そして、現場にも、そんなうすっぺらい理論を頼りに、若手を育成しようとするベテランしかいない。

本気がない。技術もない。形ばかりを追い求めれば、空っぽで。中身ばかりを追い求めれば、身につかない。

「いい授業とは?」

学習者も授業者も幸せになるものじゃないかな。

「与えるとか教えるとかいうことじゃないんだよ、コバちゃん。子供たちから学んでそれを返してやる-それが僕たちの仕事なんだ」
「まあ、学校のできることはしれてるんだよ」
「それじゃ、学校って何なんでしょうね」
「難しい質問ぶつけてくるね、君も。自分で考えてくれよ。…」
「養護学校の歴史だって、まだ浅いんだし、それにな、あの子たちを普通の子供たちから切り放して特別扱いすることに問題があるんだよ。何故なんだよ。あの子たちが普通高校にいちゃ邪魔なのか?あんな天使みたいな子供たちから学ぶことは沢山あるはずなんだよ」【学校Ⅱ】(1996年)より

講座やセミナー、本もどんどんやり続けていけばいいと思う。ただ一つ、必ずやってほしいことがある。やりっぱなしにしないで欲しい。必ず、参加者にアウトプットさせて終わってほしい。教育関係の講座であるならば、企業の研修とは違うという意識は強烈に持つべきだし、それでこそ、プロ。講師と参加者が本気で語り合う、いやおしゃべりし合う場を設けて欲しい。

偉そうに問題解決するだけだったり、
懇親会では女の子をいじって楽しんだり、
Facebookや著書の宣伝のためだったり、

そんな目的で講座やセミナー、本を出すなら、そもそもやめろ!!って思う。本気で教育をやってる人に失礼だ。講座やセミナー講師だけが全てだと思うなよ。すごい実践家は、現場にいる!!だから、この学校という巨大企業はまだ倒産していない。でも、このままだったら、保護者や地域は、黙って私たちを選択しなくなる。そんなことに、なるはずがないと、教育の力を信じたい。教育は、負けない。学び続けよう!!!!!

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