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280【しあわせは ありがとうの 積み重ね。】

本当のチャレンジには、失敗と挫折が付き物だ。それは枝分かれして、すべて木のようにつながっていく。苦しみと喜びはつながっている。でも、失敗と挫折が楽しめないなら、勇気をもって降りろ。楽しめなかったら、下山しろ。執着しないことも大事。

「執着」ってさ、なんだろうなぁ~って。

そこに自分の心やわがままがあると、執着で、それが無い状態で、選択ができると、無執着?執着から、逃れられると、きっと楽しくなる。この矛盾を悶々と考えてました。楽しいです。

苦しみを引き受けてでも執着したいものこそが、自分にとっての宝物。

メンツや「これまでやって来たことだから手放したくない」だけの執着は、自分を苦しめるだけ。手放す勇気って、自分を解放することでもあるなあって思います。

神のごとくゆるしたい
ひとが投げるにくしみをむねにあたため
花のようになったらば神のまえにさえささげたい

八木重吉「ゆるし」

怒りを怒りで返す
悲しみを哀しみで応える
そうではない。
裏切りや報われない努力に苛立つくらいなら、祈る

ただひたすらに祈る。

「期待」っていう思いの波動を見つけてから、人の思いってものすごい力があることを知る。多くの場合、言葉のやりとりによるけれど、ただ単に思いが飛んでくることもある。これが、こわい。

犯した間違いから教訓を学び、自分から進んで償おう。何をするときにも最善を尽くそう。

世阿弥は「風姿花伝」の中で、幼い子どもの時分から、少しでも大人びた完成された芸をさせようとするのは間違いであり、そんなものは、いずれそのときになればできるようになる。そんなことを先にさせたからといってもあまり意味がないという。幼い子どもの時分にしか発揮できない良さ、それは、自然に任せて出てくる良さであり、その良さを十分に発揮させてやることが最も大切なのだという。そして、その良さは、やがて成長してしまえば消えてしまう「時分の花」と呼ぶ。

教師は自分自身を受け容れ、自分らしさをつくりあげていけばいい。自分らしさを磨き、大切にしていってこそ、子供達のそれぞれの個性に対しても優しくなれる。人に会い、対話して、気付かされる。

研修計画を考えてると…

あれもしたい、これもしたいとか。

あれもしなきゃ、これもしなきゃとか。

って、ベクトルが自分の方に向かってくる。実践書や講座、誰かのものまねは、参考にはなるけれど、まず自分らしい仕事の仕方、学校らしい提案が大事かもしれない。

やりたいも大事だけど、まずはやることをやろう。おやすみなさーい。(*^_^*)


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