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218【チコちゃんに叱られますよ。】

「日本の学校の学習内容は、誰が決定し、何を基準として選定されるのか、知っていますか?」

日本ではほぼ10年毎に改定される学習指導要領。なぜこの学習内容を学ぶのか、なぜこれが適しているのか、よく知らないままに、教科書に載っているからとか、国語の教科書は原作の一部抜粋だとか(そんなことないのに)、やれ新しい教育が必要だの、こども主体だの、好き勝手なこと言ってませんか。チコちゃんは知っています。(笑)

まず、誰が決定するのかについて。

日本の場合、学術的知識を学校現場に置き換える政策決定者、学者、教師らが内容を決定します。そして、その内容を各教室の文脈に合わせて教えるのが教師です。

世界を見てみると、イギリスの場合、学術的知識を創出する学者が内容を決定します。そして、教師の主体性が尊重され、1980年代以降、国家の関与が強くなったといっても、内容は現場に任されています。複数で決めるのではなく、いわゆる学者が教えるべき内容を決めていくため、時代により教えられた知識が異なったり、社会的圧力がかかり、内部論争が起きたり、結果として利害関係者間の影響されやすくなります。アメリカも似た傾向があるように思います。そこで、いまでは世界的に、学者や政策立案者に加えて、教育研究者、教師が各学校の教室の文脈を配慮して決めるようになっています。中でも、日本の教師の教材研究の秀逸さは、世界的にも注目されています。

次に、何を基準として学習内容を決めるのかについて。

日本は科学技術立国として多くの専門的知識を教えた結果、理科離れにより、多くの子どもたちがふるい落とされたという経験があります。そのため、学習内容は、すべての子どもたちに必須のものと将来の専門家の準備教育とするものに分けて決められています。これらを踏まえて、21世紀の教育にふさわしい教育内容として、総合的な基準の重要性もいま求めらています。これは、単に知識を断片的に寄せ集めするのではなく、ストーリー性をもたせることです。その意味で、スパイラルカリキュラムと言われています。

一方、世界では。大人になったときに、意思決定ができ、行動できるための基礎を学ぶことが基準になります。いわゆる将来のリテラシーを備えた市民としての意思決定する能力を育成することです。学術的知識に加えて、心理学や社会の要請、学習内容を問うことが求められます。問うことはできても、答えることができないと言われることがありますが、これは、世界はWhyを常に問い、日本はHowが課題になる国だと表現されることもあります。教育に対する歴史的な要因が大きいと言えます。

私の調べたことなので、いろいろ説はあると思いますが、だいたいは合ってると思います。大事なのは、学術的な知識をもちながら、総合的にストーリー性をももたせることです。はじめの質問に答えられないのに、日本の教育は遅れているとか、やれ学校はダメだとか、批判ばかりしているとチコちゃんに叱られますよ。

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