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将来なりたい職業はなんでしたか?

子供の頃から人見知りをしたことがなく、コミュニケーションは得意な方だった。
しかしそれをよく思わない子供もいる。
(大体いじめっ子というのは親とのコミュニケーションがうまく行ってないパターンが多いように感じる。完全に個人的感想ですが)

コミニケーションが得意なのにいじめられた。小学校低学年にして人付き合いというのは人の顔色も窺わないといけないのだと悟った。クソ生意気
そこ達観したクソ生意気加減もいじめっ子には気に入らなかったのだろう。

いじめられている事は悲しかったが、自分とあいつらは違うんだという根拠のない信念が幼少期の孤独を満たしていた。
というのも孤独な時間もいろんな事を妄想する事で楽しい時間にもなっていた。
イマジナリーフレンド(脳内にできる友達)が居たわけではないが、物語を想像するのが好きだった。本当に少しだけだが絵を描くことも好きだったので、
『将来の夢は漫画家になることです。』
と、密かに思っていた。いや全くそこまでの画力はなかったし、物語を紡ぐ能力も神童になる程は持ち合わせてなかった。

ただ、ここまでの話を整理してもどうやら私は文系であろうということに気がつくのは中学生の頃。
クラスの友達ほとんどが、地域の公立高校や私立高校を進学先に選んでいた頃、仲の良い友人が青山学院高等部へ行くのだと言い出した。いくら関東圏内とはいえこんな田舎から青山学院の名前が出るとはおったまげた。

しかしその友人は致命的に国語が苦手であった。私は青山学院を受験しようという頭のレベルの人間に国語を教えることになった。

後になって気がついたのだが、彼女はどちらかというと天才肌で完全なリケジョ。
仲のいい友人も少なかったし、それは思春期の女子には好かれなかったことだろう。
完全なるコミュ症であったのだ。
とても変わった思想の持ち主でとても面白いのだけれど。

あの時にちゃんと自分は文系だ。と認識していたし、その後の人生において就職先は全て事務員(という名の雑用)であったのも自分の身の丈に合っていたはずなのに、30を過ぎて出会ったオンラインゲームの中の人たちが殊更、エンジニアまがいの人たち(完全な自宅警備員もいたが)で、その人達とたくさん交わってしまったことが
『プログラミングって言語じゃん!コンピュータとの対話じゃん!』と筋金入りの文系女子に勘違いを起こさせてしまったのだ。

完全なバグ。

人生で1番間違えたことかもしれない。

バグを5年くらい抱えたままモヤモヤした日々を送り、40手前で
『いつやるの?今でしょ?』とばかりに仕事を辞め、webの世界に足を踏み入れる決断をしてしまったのだ。
(正確にはこの頃はまだ林先生はテレビに出ていない)

本当は、この時点でwebを勉強したいと思ったわけではなく、父の趣味で子供の頃から自宅にPCがあり、PCへの抵抗が全くなかったのも災い(?)し、さらに子供の頃絵を描くことが好きだったし、高校は普通科だったが、デザイン系重視の学校だったので、普通の高校生よりはアートに触れている時間が長かったので、当時後輩からwinyで回って来たAdobeソフトを自宅パソコンにインストールしてあった。
しかしPhotoshopは使えるようになったのにIllustratorが全く使えない事が悔しくて(ベジェ曲線が使いこなせなかった)Illustratorを使いこなしてデザインの世界に飛び込んでみたいだけだった。

仕事になるんじゃないかと大きく勘違いした。これが後に自分を苦しめることになるとは知らずに。

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