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黒糖フークレエとわたし #キナリ杯

黒糖フークレエというお菓子をご存知だろうか。

茶色くて四角いふかふかの黒糖蒸しパンで、ラップに包まれスーパーなどで売られている。食物アレルギーのため卵と乳製品を含む食品を除去しているわたしにとって、数少ない食べられる市販のお菓子のうちのひとつだった。

今回、キナリ杯に背中を押してもらい、黒糖フークレエについて好き勝手語りたいと思う。

まず、黒糖フークレエ、という名前がよい。
カタカナだし、フークレエがなんたるかは知らなかったけれど、なんかエクレアっぽい響きでかっこいい。チョコレートもクッキーもプリンも、カタカナのお菓子といえば食べられないものばかりなのでカタカナお菓子に飢えていたわたしにとっては特別なお菓子だった。

中身について語ると、てのひらで余るほどの長方形したふかふかの蒸しパンで、もっちりずっしりとしていてやさしい黒糖風味の甘さで、腹持ちがよい。裏面にはクッキングシートのような薄紙がくっついていて、これをきれいに剥がせるかどうかで食べるテンションが違ってくるので心して。そして、5つに切り分けられたうち4つはおなじサイズで、はじっこのひとつだけは他よりも大きいため、ここをだれが食べるかでわたしたちきょうだいは毎回揉めた。

部活動をはじめると、大会などでまわりの友だちが菓子パンを持参しているのを見て、わたしも黒糖フークレエを持っていった。いざ食べようとしたときにはリュックサックのなかで押しつぶされ、見事にぺちゃんこになっていた。それはそれでふかふかにかわる新たな食感を発見することとなりおいしかったのだけど、黒糖フークレエは家で食べるものなのだと学んだ。

さて、このように思い出は数々あるけれど、実のところきちんと黒糖フークレエについて知らないことに気づき、これを書くにあたりあらためて検索してみた。

黒糖フークレエ 検索

https://www.yamazakipan.co.jp/product/03/fukuree.html

トップは山崎製パンの公式ページだった。カーソルを合わせクリックしようとしたとき、ふと目に入った3文字に手が止まる。

[和菓子]

えっ
和菓子。

黒糖フークレエ、和菓子だった。
カタカナだのエクレアっぽいだの思わせて(?)の、
和菓子だった。

たしかに、公式サイトでカステラのように和食器に盛りつけられた姿は完全に和菓子だ。

じゃあ、フークレエというハイカラな名前はなんなのだとさらに検索すると、鹿児島県、宮崎県で親しまれているふくれ菓子という郷土菓子が由来とのことだった。黒糖フークレエ、生まれも育ちもバリバリ日本である。

なんてことだ。

高台の洋館に住んでいると思っていた憧れのあの子が近所の日本家屋の住人だった、みたいな気持ちだろうか。

でも、よいのだ。
生まれとか育ちとか由来とか、そんなことはどうでもよくて、幼いわたしのカタカナお菓子欲を満たしてくれたのは紛れもなく黒糖フークレエなのだ。

最近ではアレルギー対応商品がずいぶんと身近なものになり、スーパーなどで簡単に、しかも手頃な価格で購入することができる。憧れていたカタカナお菓子の筆頭であるチョコレートもクッキーもプリンも、安心して食べられる時代になった。おしゃれなカフェでマクロビケーキを食べることも、ソイラテでお茶することもできる世の中だ。夢みたいだけど、夢じゃない。

これまで、食べられる!とよろこんだたくさんの商品が発売されては姿を消していくのを何度も経験した。わたしが数回買っただけでは、お店に置いておくほどの需要を満たすことができなかったのかもしれない。

そんななか、黒糖フークレエはいつも変わらずそこにあった。当たり前のように置かれていたけれど、それはとても有難いことなのだと思う。
そしてふと、あのふかふかでやさしい黒糖の甘さが恋しくなり、見かけては買い物カゴにお招きするのだ。

黒糖フークレエを包むうすっぺらいラップに貼られているシールには、超ロングセラー商品と大きく書かれている。
どのくらいのロングセラーなのか、少なくともわたしが子どもの頃にはあったから30年近いのは間違いない。

発売日も検索したところ、なんと1987年だった。
同世代である。なんなら同級生かもしれない。

33年間、変わらずにいてくれてありがとう。
これからも、末永くよろしくね。

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