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帰りました、

大学生、長崎から埼玉に引っ越しました。
埼玉の家が懐きませんでした。
居場所がないと嘆いていました。

大学3年生になりました。
実家に余所者として存在する気分になりました。
もう私の家は埼玉の家なのです。

誰が何が悪いではありません。寝転がった時の感覚、景色、横にいるはずのぬいぐるみ。
それらが私の居心地を左右していることは明確です。

あと一つ、気づいたことがあります。
もう私は両親と喧嘩はできません。
帰ってきた娘としてでしか会話ができません。
手のかかる子のままではありますが、良い子でいようと努めてしまいます。
実家で思う存分大声で歌うこともできません。
きっとそれがこの家が居場所でなくなった所以です。

それは寂しいことのように思います。
それと同時に1人で生きる環境を紡げたという事実が私を強めるようにも思うのです。

人間関係という居場所はいくつか持つが吉だと思います。ですが、私には複数の居場所は荷が重いようです。私は今私が生きる場所を居場所として生きていきましょう。
それは寂しいことではありません。
それが順応するということです。

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