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消された叔父の話

私には大人になるまで存在すら知らなかった叔父がいる。

その存在を知ったきっかけは祖母のお見舞いに行った時だった。母と2人でお見舞いに行くと、知らない人と祖母が楽しそうに話していた。

その人は、私たちをみて気まずそうに慌てて去って行った。誰だろう、気を使わせてしまったのかもしれない。

「あの人、お父さんの弟なのよ」

小声で母にそう言われた時、驚いた。だって今まで父に兄弟はいないと思っていたから。今まで一度も会ったことがなかった。

「気性が荒い人だから、あなた達に会わせたくなかったみたい」

私が訪ねるまでもなく、母はそう話を続けた。私はその話をすんなりと受け止めた。父も少し気性が荒い人だったから、そうなのかも、と素直に思った。

そうでもしないと、今まで隠された理由が分からなかった。

それが生きている叔父にあった最初で最後の時だった。

次に会ったのは叔父がなくなった時だった。

病気の発見が遅れ、若くして亡くなったという。亡くなる時まで私に彼が病気であるという事実は伝えられなかった。

気性が荒くて、働きもせず、祖母のお世話になっているという叔父。

隠そうとされるほどだからよっぽどなのだろうな、と思っていた。だから、悲しみもあまりなかった。

でも祖母が葬式の時に叫んでいた。

「こんなに優しい子なのに。どうして。どうして先に行くの。辛い思いばかりさせちゃったね。ごめんね、ごめんね」

祖母には優しく見えていたのだろうか、それとも死んだら美化されてしまうのだろうか、そんなことを思っていた。

どうしても家族、というふうに思えなくてどこか冷めてそんな光景を眺めていた。

その帰り、両親とは別に電車で帰ることになった。その時に、親戚の1人と一緒になった。それまであまり話したことない人で、私は少し緊張していた。

他愛のない会話をする途中で、叔父の話になったときになってようやくおかしいな、と気づいた。

「あの子は優しすぎる子だったから、やっていけなかったんだろうね。いつも周りを気にかけていた。ほとんど外に出ることもなかったけど、最近はご近所さんとは話ししてうまくやっていたみたい」

話の噛み合わない会話にその人は察したようにそう会話を続けた。

「あなたのお父さんとはうまくやっていけなかったみたいね。ほら、結構気が強い人だから」

多分、父は引きこもりである叔父を見放したのだと思う。聞く勇気がないから聞いたことはないけど。

私は祖母達の家に子供の頃何度も行っている。その時、叔父もそこに住んでいたはずなのに、一度も会うことはなかった。そして、その存在すら教えられてこなかった。きっと口裏を合わせていたのだと思う。そう思うと、とても怖かった。

叔父は消されていたのだ。存在を知った後も、私は本当の彼を知ることはなかった。最後まで会話をすることができなかった。一度会釈をしただけだった。

社会に出れないと、存在を消されてしまうのか、という恐怖を味わった。


そんな話を思い出したのは、炎上事件がきっかけにある。生活保護を受けている人に対する差別発言。

正直私は炎上とかって好きではない。友人が言ったって突っかからないことでも、他人である有名人が言ったら過剰に反応するのってなんなんだろう、て気持ちになる。

でもそう言った働けない人を非難する言葉が世の中に溢れてたら、その家族はその存在を消してしまうのではないだろうか、と思った。

それを有識者が言ったのなら尚更のこと。

私は家族のことをあまり知らない。話されていないことは踏み込まない方がいいことだと思って深く聞いてこなかった。

だから、非難するには足りないかもしれない。それでも、私は父の対応は正しいと思えない。間違っている、と思う。

自分だって、社会に役立っているのか、と言われたら時々不安になる。頭の良くない自分なんかがお金を使ってもらって大学に行くよりも、もっと賢くて社会に貢献できるような人にお金をかけるべきではないのか、と大学の時には不安だった。

もっと堂々と生きて大丈夫なのだと思える、そんな社会にしたい。今でも、私は叔父と一度も会話できなかったことを後悔している。もっと外と会話できていたら、病気の発見も早かったかもしれないのに、とも思っている。

でもそのためにはどうしたらいいんだろう。

個人が変わって社会が変わる、そう上手いこといくとは思わないけど、少なくとも差別をもたずに接するところから始めようとおもう。

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