見出し画像

僕が10年来の友人のことを信頼している話

※無料で最後まで読めます。

僕は友達が少ない割に、大学からの友人とかともよく話してはいる。基本みんなやさしく他人思いで仲良くしてくれるのだが、ふとした時に強烈な違和感を感じることがある。
美大なんて若いメンヘラの集合体なので、感触が良い子でもよくよく見ると「こわれものステッカー」が貼られてる、みたいなひとばかりである。
僕は、相手に負担をかけたくなく、そういう子達相手にはあまり自分のメンタルの機微とかは出さないようにしているので、結果的に相談を受ける側に周りがちになる。人のネガティブな身の上話などを「そうなんだ〜」と聞き役にまわり、にこやかに通話を終えたのちに考え事が止まらずぐったり疲れることがとても多い。

一方、高校からの10年来の付き合いの子とも定期的に会っている。
その子は、3年中2回同じクラスになり、同じ部活に入り、下校も毎日一緒だった(僕は帰り道が真反対なのに、いつも遠回りして一緒に寄り道したりした)。卒業後も突然連絡して、いきたいお店に誘ってみたり、深夜に10時間前後通話したり、目的なく向こうの家に1週間ほど泊まってみたりした。友人の就職前には一緒に長崎旅行に行った。
僕が上京した後も友人の趣味の用事で度々東京に来るので、狭く散らかった自宅を宿として提供している(アメニティ使い放題)。
家族にさえ渡していない、唯一の合鍵はその友人が持っていて、好きに出入りしていいよと伝えている。

この友人には、なんかそういう(メンタル的な部分など)の弱音を吐露しても、聞いてくれつつうまく受け流してくれるので本当に助かっている(先日ほんとに命が助かった)。趣味のジャンルは合わないが、「苦手」の共通点が多く、食の好みが似ていて外食に行くと頼むものが9割くらいの打率で被る。金銭感覚も衛生観念もかなり通づるものがある。婚活で出会ったら100%結婚すると思う。

前述前者の、こわれものステッカーの子も、基本は優しくて話していて楽しい。楽しいのだが、ふとしたタイミングでこの子変だな、と闇みたいなものをじんわり感じる瞬間があったりする。そういう子はこわれものなので、いつ、どこに触れるとひびが入ってしまい、壊れてしまうかもわからないし、向こうは僕のことを壊れなくて強いもの、安定感のあるものだと認識していまっているせいで、こちらからの「しんどい」は原則言い出すことは不可能である。こちらの「しんどい」が相手を壊す可能性もあるし。
僕が元気な時であれば、僕は基本的に人に頼られることを幸せに感じるタイプなので心からにこにこしていられるのだが、僕が元気のない時にこれをされると寝込みそうになる。「しんどい」を言い出せずに少しずつ苦しくなってゆく。
僕はこわれものステッカーの子もいいところがたくさんあって大事にしたいと思ってるから、離れるに離れられずそうなるのだけど、結局そういう配慮みたいな心掛けって自分に余裕がある時しかできないので、しんどい時に話すと離人感が強くて擦り減りを感じるようになってしまった。

その点、10年来の友人はお互いの弱い部分もある程度なんとなく知っているし、傾聴の姿勢はとるけど自分事としては飲み込まない、みたいな意識が多分お互いにあって、共振して一緒に落ちてしまうことがないのが、とてもありがたい。

この二者の性質について何が違うのかなと色々考えた。自他境界の意識の違い?家庭環境の良さかもしれない。

こわれもの系は、こちらが不幸話の白い玉を投げると、違う色に塗られて投げ返してくるか、キャッチせずにそこらに散らばったまま放置する。

僕は、お互いに自分の白い玉を投げ続けられる相手の方が心地よいと感じている。その点で言うと、上述の10年来の友人は、こちらが投げた玉をカゴでキャッチして集めていい感じに置いておいてくれ、いざ「あの青いボールの…」みたいな話題を出すと、カゴをザーッと漁り、「あぁ前言ってたこれね」と探して取り出してくれる。とってもクールで、人間としてそう言う部分が大好きだ。
投げられてキャッチした玉をポッケやカバンに入れたり、持ち帰ったりしない感じなところが10年続く理由なのかなとも考えた。

友達は大事にしたい。

ここから先は

0字

¥ 300

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?