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第25橋 甑(こしき)大橋 (鹿児島県) |吉田友和「橋に恋して♡ニッポンめぐり旅」

「橋」を渡れば世界が変わる。渡った先にどんな風景が待っているのか、なぜここに橋があるのか。「橋」ほど想像力をかきたてるものはない。——世界90か国以上を旅した旅行作家・吉田友和氏による「橋」をめぐる旅エッセイ。渡りたくてウズウズするお気に入りの橋をめざせ!!



辺境の離島をつなぐ
県内一の長さを誇る橋

 新幹線の車内アナウンスで、いまさらながら自分が下りる駅が「せんだい」駅であることを知った。漢字では「川内」駅と書いてあったのだが、勝手に「かわうち」と脳内変換していた。まさか「せんだい」と読むとは……つまるところ、それぐらいに土地勘のない場所に来ていたわけだ。

 鹿児島中央駅から新幹線で一駅。乗車時間はわずか十一分と短い。ローカル線で移動してもいい距離だが、朝早かったので迷わず楽な方を選択した。

 鹿児島中央駅には、黒豚しゃぶしゃぶの巨大な広告が出ていた。実は昨晩、鹿児島に着いて真っ先に食べに行ったのだ。美味しかったなァ、などと寝起きのぼんやりした頭の中で回想しているうちに、あっという間にかわうち駅もとい、せんだい駅に到着したのである。

 川内駅からは路線バスで移動する。ほかの乗客も、みんな大荷物だ。クーラーボックスを抱えて、いかにも釣りにでも出かけようかという装いのオジサンたちもちらほら見かける。バスの行き先は港である。

 そう、船に乗るのだ。海を渡って甑島へ向かう。

 いつか行ってみたいと願っていた。だから、「川内」は読めなかったが、甑島はちゃんと「こしきじま」と読める。念願叶って来島する機会が到来したわけだ。東京からだと、飛行機と新幹線と船を乗り継いでやっとこさ辿り着ける夢の島なのだが——。

 ——港に着いたときには、滝のような雨が降っていた。あちゃー。バスを降りてから港の建物へ入る、わずか数秒の距離でずぶ濡れになってしまったほどだ。

 まあでも仕方がない。梅雨真っ盛りの7月初旬である。幸い船は欠航はしないという。予約していた高速船の乗船券を引き換え、乗り込んだ。

 ところが、いざ船が出発して、僕は天を呪った。いわゆる時化である。想定していたレベルを遥かに超える揺れが待っていたのだ。遊園地のアトラクションを理不尽に激しくしたような、とんでもない揺れ。助けて、と叫びたくなった。

 船内探索でもしようかと思っていたが、無理だった。歩くどころか、立つことすらできない。前の座席のシートポケットに用意されていたエチケット袋に手が伸びそうになったが、ギリギリのところで堪えた。

 上甑島の里港までは約五十分の船旅である。この手の船にはこれまでに幾度となく乗ったが、過去最悪といえるかもしれない。わずか五十分が長く感じられた。

行きは高速船、帰りはフェリーに乗った。時間はかかるものの、フェリーの方が揺れが少ないというメリットも。
行きは高速船、帰りはフェリーに乗った。
時間はかかるものの、フェリーの方が揺れが少ないというメリットも
行きは高速船、帰りはフェリーに乗った。時間はかかるものの、フェリーの方が揺れが少ないというメリットも。



 ヨロヨロしながら船を降りると、名前が書かれたプラカードを持って僕を待っていてくれている人がいた。島のレンタカー屋さんで車を手配していたのだ。

 「大丈夫でしたか? 今日は揺れたでしょう」

 そんな感じで優しく出迎えてくれて、心が少し和んだ。船酔いに効く薬をくれるというので、ありがたく頂戴しつつ、車を借りたのだった。

 甑島は、薩摩半島から西へ約三十キロに位置する。上甑島、中甑島、下甑島と縦に三島が連なっているのだが、これら三島は橋で繋がっており陸路で行き来できる。いや、繋がったと言った方がいいような気もする。

 実は、比較的最近までは中甑島と下甑島の間の移動手段は海路しか存在しなかった。2020年8月に、両島の間にある藺牟田瀬戸海峡に架けられた長い橋が開通して、島どうしが結ばれたのだ。「甑大橋」という名のその橋が、今回の旅のお目当てである。

 借りた軽自動車で出発する。船を降りた上甑島からは、南下していくことになる。港周辺こそホテルや民家などが集まっていたが、数分も走らないうちにすぐに山の風景に変わった。

上甑島の里町は、「トンボロ」と呼ばれる細長い地形が特徴的だ。海底の砂れきが堆積して陸繋砂州となったもの。
上甑島の里町は、「トンボロ」と呼ばれる細長い地形が特徴的だ。
海底の砂れきが堆積して陸繋砂州となったもの


 甑島は、海から昇る太陽によって様々な色に光り輝くことから、かつては「五色島」とも呼ばれていたという。こしきじまならぬ、ごしきじまである。港でもらった観光案内を見ると、島の主要な見どころとして「展望所」がいくつも紹介されていた。要するに、それだけ絶景の宝庫ということなのだろうが、なんといっても今回はあいにくの空模様である。ああ、太陽が恋しい。

 橋旅のメインは甑大橋だが、ほかにも甑大明神橋、鹿の子大橋も見ておきたかった。それらは甑大橋へ向かう途中にあった。橋のそばに車が停められるスペースを見つけ、一時的に雨が小降りになった隙を見計らいつつ外へ出て写真を撮った。

上甑島と中島を繋ぐ「甑大明神橋」。橋のたもとに甑大明神が祭られ、島名の発祥の地とされる。
上甑島と中島を繋ぐ「甑大明神橋」。
橋のたもとに甑大明神が祭られ、島名の発祥の地とされる
「鹿の子大橋」は、中島と中甑島を結ぶ全長240メートルのアーチ橋。周辺がカノコユリの自生地であることから命名された。訪問時もあちこち咲いていた。
「鹿の子大橋」は、中島と中甑島を結ぶ全長240メートルのアーチ橋。周辺がカノコユリの自生地であることから命名された。訪問時もあちこち咲いていた
「鹿の子大橋」は、中島と中甑島を結ぶ全長240メートルのアーチ橋。周辺がカノコユリの自生地であることから命名された。訪問時もあちこち咲いていた。


 目指す甑大橋は、出来て間もないせいか、レンタカーのカーナビにデータが入っていなかった。おもしろいと思ったのは、橋のデータがないせいで隣の島を目的地として登録できないということ。データ上は陸路で繋がっていないため、行けないことになる。レンタカー屋でも、橋を渡ってから目的地を入れ直すようにと指示があった。

 とはいえ、島から島への移動はほぼ一本道だ。山がちな島らしい、ということはその一本道を走っているうちに理解した。平らな空間が限られている。

 山を越えるために道路がトンネルになっている箇所もあった。島の割には意外と長いトンネルだなぁと思いつつ走った。そうしてそのトンネルを抜けると、視界がパッと開けて、道路が海の上に続いていて、それが甑大橋だった。

甑大橋に到着。遠かったなぁと感慨に浸る


 トンネルから橋に切り替わるパターンは新鮮かもしれない。橋の途中に路肩が広くなっている箇所があって、車を停めた。この位置からなら、ちょうど橋の全景が一望にできる。橋を見学したり、写真を撮ったりするために用意してくれたかのような絶好のポジションだった。

 橋は途中で蛇行し、さらには船が下を通るためだろうか山なりに湾曲している。昔沖縄の宮古島にプチ移住していたことがあるのだが、宮古島と隣の伊良部島をつないでいる伊良部大橋と似た造形の橋と感じた。

 それにしても長い橋だ。全長は1533メートルもあって、鹿児島県内最長の橋になる。そんな橋が、これほどまでの辺境の離島に架けられている事実に驚かされる。

下甑島の鳥ノ巣山展望所から甑大橋を望む。橋の長さがよくわかる。
下甑島の鳥ノ巣山展望所から甑大橋を望む。橋の長さがよくわかる


 一通り写真を撮り終えて満足した頃に、それを見計らったかのように雨足が速くなってきた。やがて、あっという間に豪雨に変わった。

 観光案内には「両側のマリンブルーの海を見ながら走行すると、空に向かって走っているような期分が味わえる」と甑大橋について紹介されていた。そんな風景とはほど遠い嵐の橋旅となった。両側の黒々とした海を見ながら、灰色の空へ向かって長いその橋を走り抜けたのだった。

物タカエビフライは、下甑島の長浜港内の食堂で食べられる。「タカエビ」とは甘エビのことで、この地ではそう呼ぶらしい。
名物タカエビフライは、下甑島の長浜港内の食堂で食べられる
「タカエビ」とは甘エビのことで、この地ではそう呼ぶらしい
その名も「甑大橋」という焼酎を島の商店で見つけた。橋旅の土産にぴったりかも?







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吉田友和
1976年千葉県生まれ。2005年、初の海外旅行であり新婚旅行も兼ねた世界一周旅行を描いた『世界一周デート』(幻冬舎)でデビュー。その後、超短期旅行の魅了をつづった「週末海外!」シリーズ(情報センター出版局)や「半日旅」シリーズ(ワニブックス)が大きな反響を呼ぶ。2020年には「わたしの旅ブックス」シリーズで『しりとりっぷ!』を刊行、さらに同年、初の小説『修学旅行は世界一周!』(ハルキ文庫)を上梓した。近著に『大人の東京自然探検』(MdN)『ご近所半日旅』(ワニブックス)などがある。

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