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<連載第7回>移民の家と移民を支援する人々|北澤豊雄「野獣列車を追いかけて」

<連載第6回>列車に乗ること自体が野獣のように危険はこちらから


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 自らの国を出てアメリカを目指す移民たちの間で『野獣列車』と呼ばれている列車がある。貨物列車ゆえに乗車ドアも座席もない。移民たちは、屋根の上や連結部分にしがみつき、命の危険にさらされながら祖国からの脱出を図る。『野獣列車』、それは希望へと向かう列車なのか、それとも新たな地獄へと向かう列車なのかーー。



 メディアス・アグアス駅に着いたが、これ以降の5駅は移民たちに会えなかったので、その分は日記形式に留めておく。


10月××日

 メディアス・アグアス駅(Medias Aguas)のあるベラクルス州メディアス・アグアスは、牛が草をはむ牧草地帯やフィンカと呼ばれる金持ちの別荘に囲まれた人口約1200人の小さな村である。
とはいえ鉄道の重要な拠点だ。
 私がグアテマラとの国境から辿ってきたルートは太平洋側だが、実は大西洋側から来る野獣列車もあり、この2つが交錯するのがメディアス・アグアス駅なのである。しかし村の中心部に雑貨屋は2店、食堂らしい食堂は1店。看板の出ている宿も移民の家もないため、移民たちはこの駅では息を潜めて次のティエラ・ブランカ駅で街に繰り出しているようだ、と食堂の女性は言っていた。
 この村の近くにはオカムラという日本人の男性が住んでいたという。メキシコの女性と結婚して広大な農園を所有していた。数年前に亡くなったが、地元の人たちからとても尊敬されていたという。


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[メディアス・アグアス駅の駅舎]

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[村の入口]

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 10月××日

 メキシコに入国して初めて女性ドライバーのタクシーに乗車したのが、人口約50万人、ベラクルス州のティエラ・ブランカである。これまで辿ってきたルートの中でもっとも暑く、もっとも大きな街だ。ティエラ・ブランカ駅(Tierra Blanca)の駅舎には巡回員がいて写真撮影を厳しく注意された。
 郊外にある移民の家を取材者として訪ねた。が、アポとプレスカードがないと応じられないということで中には入れなかった。街の瀟洒なカフェでメキシコ名物のパン・デ・ムエルト(死のパン)を食べた。メキシコは毎年11月1日と2日が「死者の日」と定められており、故人をしのぶ祝祭がおこなわれる。そのとき食されるパンで砂糖をかけるなど甘いものが多く、ここではチョコレートがかけられていた。


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[パン・デ・ムエルト(死のパン)]

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[野獣列車にはアート画や落書きがしばしば描かれる]

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 10月××日

 野獣列車に乗る移民を支援する「パトロナス」(Patronas)という団体を訪ねた。人口約22万人、ベラクルス州コルドバのコルドバ駅(Cordoba)からローカルバスで40分ほど。郊外の雑木林の一角に事務所があり、十頭ほどの犬が出迎えてくれた。
 野獣列車の通過に合わせて、線路脇から移民に食事を投げ渡す支援をおこなって25年。取材者として来意を告げると、ベテランの女性ボランティアスタッフが対応してくれた。
「野獣列車に乗る移民は最近、減っています。最盛期は2008年頃でしょうか。うちでも移民の家のように泊まる部屋は用意してありますが、支援のメインは食事です」
 野獣列車が前出のティエラ・ブランカ駅を出発すると、同駅の近くの移民の家のスタッフがパトロナスの事務所に連絡を入れる。「今、列車が出た」と。ティエラ・ブランカ駅とパトロナスの近くの線路までは約70キロ、3時間ほどで来るという。野獣列車の通過に合わせてパトロナスの支援者たちは大量の食料を持って線路脇で待機し、走行中の野獣列車に食料を投げたり手渡ししているのである。野獣列車に時刻表はないから、そのような手段を取っているのだ。
「彼らのための食事は毎日作っています。米は毎日30キロ~40キロ炊きます。フリホレス(うずら豆)は毎日20キロぐらい使います。ボランティアスタッフがここに常駐して対応しています。移民たちはみんな私たちの息子よ。息子を助けるのは当然じゃないですか」
 あいにくこの日は代表者が不在で支援現場も見ることができなったけれど、スタッフたちの慈愛溢れる言葉に接することができた。


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[パトロナスの入口の壁面には野獣列車マップ]

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[コルドバ駅の様子]

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 10月××日

 気温がぐっと下がったのは、オリサバ駅(Orizaba)のあるベラクルス州オリサバである。人口約12万、薔薇の産地で雨が多く、メキシコ最高峰のオリサバ山(5610メートル)がそびえ立っている。野獣列車に乗る移民たちは寒い思いをしているのではないか。私はセーターの上にナイロンジャケットを羽織って歩いたが、各駅で出会った移民たちが防寒具を持っていた記憶はない。
 移民の家に行けば彼らの動態が分かるだろう、と思い訪ねたがここも閉鎖されていた。教会が移民の家の役割を果たしている地域もあるのだが、彼らの姿はなかった。オリサバ駅は警察と一体になっており、駅舎の中に入れる環境ではない。所々が崩れている外壁からたびたび中を覗いたが、移民たちがいるような形跡はなかった。
 そもそも野獣列車に乗った移民たちは各駅の駅舎のホームで下りるわけではない。そんな目立つことをすれば駅の係員が近隣の入国管理局に通報するだろうし、入国管理局員による巡回もあるからだ。駅のだいぶ手前で下りるパターンが多いようである。


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[オリサバの街の様子]

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10月××日

 レチェリア駅(Lecheria)は、首都メキシコシティ内の近郊を結ぶ鉄道列車の駅でもある。これまで貨物鉄道の駅を追いかけてきたが、私が辿っているルートではここだけが唯一、一般の旅客鉄道が併走している。


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[レチェリア駅のホーム]


 駅には小さなショッピングセンターが併設されており、セブンイレブンやレストランが連なっている。都市に来たという実感が湧く。中米からここまで来た移民たちも新鮮に感じられるはずだ。


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[併設の小さなショッピングセンター]


 地元のタクシー運転手によれば移民の家は閉鎖されたという。どこもかしこもそんな調子だ。アメリカを目指しにくくなって移民の数が減っているのにくわえて、なかには政府系の移民の家もあるため、入国管理局に情報が筒抜けになってしまうことがあるのだという。すねに傷のある移民にとっては安心できないだろう。


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<連載第8回>ホンジュラスから来た7人の若者たちはこちら


北澤豊雄(きたざわ・とよお)
1978年長野県生まれ。ノンフィクションライター。帝京大学文学部卒業後、広告制作会社、保険外交員などを経て2007年よりコロンビア共和国を拠点にラテンアメリカ14ヶ国を取材。「ナンバー」「旅行人」「クーリエ・ジャポン」「フットボールチャンネル」などに執筆。長編デビュー作『ダリエン地峡決死行』(産業編集センター刊)は、第16回開高健ノンフィクション賞の最終選考作となる。

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