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<連載第3回>暗闇の中を鈍い音を立てて進む黒い物体|北澤豊雄「野獣列車を追いかけて」


<連載第2回>俺たちと一緒にアメリカ国境まで行かないか?はこちらから


 自らの国を出てアメリカを目指す移民たちの間で『野獣列車』と呼ばれている列車がある。貨物列車ゆえに乗車ドアも座席もない。移民たちは、屋根の上や連結部分にしがみつき、命の危険にさらされながら祖国からの脱出を図る。『野獣列車』、それは希望へと向かう列車なのか、それとも新たな地獄へと向かう列車なのかーー。
 南米へ足繁く通うノンフィクションライターの北澤豊雄氏が、単身『野獣列車』を追いかけ、その列車をめぐる人々の姿を活写した28日間の記録。

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 ラファエルたちから離れて私は線路沿いを歩いている。線路を挟んだ東側には広場があり、レストランと町の歴史が分かる小さな博物館がある。西側には市場やスーパーや高速バスの停留場がある。アリアガはこぢんまりとした町である。
 町の中央を走るこの線路は旅客鉄道ではない。貨物列車のみだが、前述のトナラ駅からアリアガ駅、そして次のイステペック駅までの全長170キロは、かつてパンアメリカン鉄道と呼ばれ1903年に完成している。今も駅舎らしき建物の一部が残っている。
 メキシコ初の鉄道は1873年、大西洋沿岸のやや南部、ベラルクスから首都メキシコシティまでの全長423キロである。イギリスの会社が36年の歳月かけて敷設した。
 メキシコの旅客鉄道は現在、北部チワワ州を走る総距離653キロの「チワワ太平洋鉄道」とメキシコシティ内の近郊を結ぶ「スブルバノ」という鉄道列車、それに第二の都市グアダラハラからテキーラの産地へ向けて運行する観光ツアー列車である。私がこれから追いかけていく野獣列車というものはすべて貨物列車だ。

 ラファエルからの提案を呑む前に、ほかの移民たちにも会ってみたかった。歩いていると、木陰に隠れて焚き火をしている人影があった。ドラム缶の中で何かを燃やしていて、パチパチと音が爆ぜて煙が漂っている。笑い声も聞こえている。若い女性2人を含む8人ほどのグループだが、私に近づいて来た男は20代前半か、金のネックレスを首からぶら下げ、落ちつかない様子であたりに目をやっている。
 女性がいたせいでうっかり気が緩み、周囲にほかの人がまったくいないことにようやく気づいた。とたんに怖じ気づいて慌てて踵を返して線路を渡ると、男が早足に追いかけてきた。背中の汗が冷たいものに変わった。まずい、と思った瞬間、ちょうど駅の巡回員らしき作業着の2人組が歩いて来て私は「こんにちは!」とあえて大声で挨拶をした。男の足が一瞬ぴたりと止まったが、なおも付いてくる。交差点の近くに差し掛かり人がぽつぽつと現れると、男はそれ以上近づいてこなかった。移民ではなく地元の不良グループかもしれなかった。

 体中にびっしょり汗を掻いていた。私はラファエルたちのもとへ戻った。解体作業中のような建物の一角にはしかし、違う5人組がいて目が点になった。つい今しがたまでいたのに。
 私は少し遠くから及び腰で「さっきいたラファエルたちの知り合いですか?」と声をかけた。
 痩せ細った40代ぐらいの浅黒い男が首を横に振った。別の男が聞いてくる。
「君は何? 移民?」
「いえ、私は野獣列車を取材している日本人です」
 男たちは疲れ切ってぐったりしていた。聞けばエルサルバドルから歩いてきたグループだった。今朝到着して、このあたりを転々としながらゆっくり休める場所をさがしている最中だったという。
 昨夜、野獣列車を見送ったばかりなのに、いつのまにか移民たちが集まってきていた。彼らとも少し話したが、私のほうが逆に警戒されているようだった。私はその後もラファエルたちをさがしたが夕方になってもとうとう見つからなかった。
 空が暗闇に包まれた22時頃、私は外の様子を見たくて宿を出た。夜勤の従業員に金を払って同行を頼んだのである。だが宿に従業員が不在になってしまうため、15分限定だった。
 夜気は生ぬるく、Tシャツとジーンズでも暑い。解体作業中のような建物の一角にははたして、誰もいなかった。しばらく線路沿いを歩くと、移民らしき人の群れが2つあったが、いくら同行者がいてもこの時間帯に声をかける勇気はなかった。約束の15分が経ったところで私たちは宿に戻った。

 汽笛が鳴ったのは、深夜の2時頃だった。寝ぼけ眼で私は慌てて宿の階下におりた。従業員はソファで横になりながらスマホをいじっていた。
「線路までもう一度、付いて来てくれないか」
 男は少しためらってから、首を振った。
「それなら、さっきの2倍の料金を払う」と私はたたみかけた。
「タクシーも呼んでいいかい? それならオッケーだ。時間もさっきと同様、15分限定だ」
「分かった。タクシーも呼んでいい」
 10分後にタクシーに乗って線路に向かった。向かったといっても5分もかからない距離である。解体作業中のような建物の前をゆっくり通ってもらいヘッドライトを当てると人影があった。ラファエルたちのあとに陣取ったグループのようだった。彼らは荷物を担いで準備をしている。いよいよ出発だ。
 タクシー運転手はしかし、線路脇に車を停車して出発を待つのを嫌がった。移民たちにフェンダーミラーをもぎり取られた同僚がいるのだという。仕方なく言うとおりにして線路を起点に町をぐるぐる回ることにした。
 宿の従業員は約束通り15分で帰し、運転手と共に町を回って約15分――汽笛がまた鳴った。線路に向かうとちょうど野獣列車が動き出したところだった。闇夜の中に墨を横に流していくように黒い物体が鈍い音を立てて流れていく。
 タクシーを降りて列車を目で追った。石の細片のようなものが頬にぴしりと当たった。車体が発する風力が体にまとわりついてくる。連結部が現れるたびにそこに人の塊が見えた。車輌の上にも3組ほどが確認できたが、いずれもラファエルたちかどうかは分からなかった。ざっと30人ぐらいは乗っている。
 私はその場に立ち尽くしながら徐々に速度を上げていく野獣列車を見送った。アメリカとの国境まで約2400キロ、あと14駅。このうち何人が国境まで辿り付けるだろうか――。私はとりあえずバスで各駅の移民を追いかけながら、機を見て野獣列車に乗ってみようと思っていた。


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[野獣列車の出発を待つ移民]


<連載第4回>あんた、もしかして犯罪者かい?はこちら


北澤豊雄(きたざわ・とよお)
1978年長野県生まれ。ノンフィクションライター。帝京大学文学部卒業後、広告制作会社、保険外交員などを経て2007年よりコロンビア共和国を拠点にラテンアメリカ14ヶ国を取材。「ナンバー」「旅行人」「クーリエ・ジャポン」「フットボールチャンネル」などに執筆。長編デビュー作『ダリエン地峡決死行』(産業編集センター刊)は、第16回開高健ノンフィクション賞の最終選考作となる。

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