見出し画像

<連載第2回>俺たちと一緒にアメリカ国境まで行かないか?|北澤豊雄「野獣列車を追いかけて」


連載第1回合言葉は、「ラ・ベスティア」でアメリカへはこちらから


 自らの国を出てアメリカを目指す移民たちの間で『野獣列車』と呼ばれている列車がある。貨物列車ゆえに乗車ドアも座席もない。移民たちは、屋根の上や連結部分にしがみつき、命の危険にさらされながら祖国からの脱出を図る。『野獣列車』、それは希望へと向かう列車なのか、それとも新たな地獄へと向かう列車なのかーー。
 南米へ足繁く通うノンフィクションライターの北澤豊雄氏が、単身『野獣列車』を追いかけ、その列車をめぐる人々の姿を活写した28日間の記録。

画像1

地図をクリックするとGoogle Mapsが開きます


 安宿の固いベッドの上で目を覚ましたのは、汽笛のせいだった。スマホに目をやると深夜の3時半過ぎだった。天井に扇風機がついている部屋だが、首筋は汗で濡れていた。野獣列車が到着したのだろう。だがこの時間帯に一人で外に出ていく勇気はなかった。
 私が線路に向かったのは、結局、朝の8時過ぎになった。町は活気に溢れ、停車中のトラックの荷台にアボガドをたっぷり乗せた露天商の男が「アグアカテ」(アボガド)「アグアカテ」という拡声音を振りまいている。街角にはタコスの露店が点在して狭い座席を客が埋め尽くしていた。

 停車中の野獣列車の線路脇には樹木が並び日影になっている。その一角に解体作業中のようなコンクリート造りの建物があり、たむろしている3人の男たちと目が合った。地元の作業員でもなければ浮浪者でもない。場違いというか、陰鬱な雰囲気を宿していた。壁際の大きな石に腰掛ける男の両手に手首はなかった。
 おそるおそる来意を告げると、一人が立ち上がってぎこちない笑みを浮かべた。ラファエルと名乗った。彼らはホンジュラスから辿り着いたばかりの3人組の移民だった。


画像2

[ホンジュラスから歩いてきたラファエル(右)たち]


「写真を撮るなら金をくれないか」とラファエルが低い声を出した。私はポケットに入れていた小銭を渡して尋ねた。
「ここには、いつ着きましたか?」
「今朝だよ。ホンジュラスのサンペドロから5日ほどかけて歩いて来た」
 人口約100万人のサンペドロからグアテマラ共和国を挟んでここまで約630キロ。大ざっぱに言って東京から広島市ぐらいの距離である。ラファエルの隣に座る男の目は血走っていた。
「3人はどういう関係ですか?」
「友人と甥っ子だよ」
「どうして国を出たのですか?」
 男は少し間を置いて、奥にいる両手首のない甥っ子に向かって顎をしゃくった。
「見れば分かるだろう。ホンジュラスは今、暴力の国になっているんだ」
「具体的には?」
 ラファエルは一歩踏み出して私に近づいた。
「その前に、甥っ子はおなかをすかせているんだ。みんなにタコスを奢ってくれないか?」
 私は近くの露店で3人分のタコスと2リットルのコカコーラを買ってさっきの場所に戻った。3人は貪るように飲食を始め、一息ついた頃を見計らって私も地べたに座って話を聞いた。


画像3

[メキシコ名物のタコス]


 ラファエルは43歳で甥っ子と共に同じ工務店で大工の仕事をしていた。だがある日、甥っ子が地元の不良少年にギャングに誘われ不遜な態度で断ると、後日、甥っ子は歩いているときに車で拉致され両手首を切断されてしまう。メンツを重んじるギャングによる見せしめだった。

 甥っ子はすでに母親を亡くし父は行方不明に。父親代わりのラファエルは甥っ子を連れて国を出ることを決意する。友人も彼に意気投合して付いて来た、というのが大筋である。
 言葉にすると簡単だが、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラのギャング集団の横行は中米で問題になっており、背景には貧困と麻薬がある。中南米の麻薬市場はかつてコロンビアが牛耳っていた。生産と流通と販売(密輸)まで一手に仕切っていたが、巨大勢力が衰退し生産量も落ちると生産拠点と流通網は各地に分散した。その中心がメキシコであり、南米とメキシコをつなぐ中継地として前述の3ヶ国はとりわけ重要視されるようになった。
 流通ルートに乗るということは消費者もおのずと増えていく。麻薬流通に関わるギャング団たちは貧困層の少年たちに「俺たちの仲間になれば女もドラッグも手に入る」と勧誘し、入団した少年たちは売人にドラッグを売らせ、売人を増やしていく。ギャング団の結束は家族よりも固く、メンツを潰されたらいかなる報復もいとわない。一度でも彼らに目をつけられると、本人はもとより家族や仲間まで巻き添えを食らう世界だと言われている。

 ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラの犯罪は近年増えており、ゆえに祖国を捨ててアメリカを目指す人が常態化している。
 ラテンアメリカの犯罪などを対象にした調査機関「インサイトクライム」によれば、2019年のラテンアメリカの都市別殺人率の上位5都市には前出の3国が含まれているし、2018年の世界殺人率ランキングは1位がエルサルバドル、3位がホンジュラス、9位がグアテマラ(国連薬物犯罪事務所調べ)である。殺人がないと「今日は珍しく殺人がない日でした」とニュースになってしまう国々である。
 また、米国内に住む中米からの移民の数は2000年が約200万人だったのが2017年には1.8倍近くの約352万人に。2017年時点の内訳の上位3ヶ国は、エルサルバドルの約140万人、グアテマラの約95万人、ホンジュラスの約65万人である(アメリカの移民政策シンクタンク「MPI」2019年8月15日)。
 近年の中米からの移民の目的は経済的な理由が1位で、次いで家族の一部がすでにアメリカにいるための離散家族の合流、そしてギャング団や麻薬組織絡みの暴力という順になっている(「米州開発銀行ニュース」2019年12月17日)。そのほか干ばつなどの天候不良にくわえて、先述の移民集団(キャラバン)のような大規模なものになると便乗組も少なくないのではないかと私は思う。

 ラファエルたちはアメリカに家族がいるわけではない。友人や知り会いはいるというが、住所や電話番号は知らない。とりあえずアリアガ駅まで行って野獣列車に乗ることが目的だったという。
 ラファエルの持ち物を見せてもらった。腰につけるポシェットの中に、レモン、タマネギ、塩、ツナ缶、靴磨きに似た小さいブラシが入っていた。国を出発してまもないのに、たったこれだけなのか。バックパックやボストンバッグの類いはなかった。


画像4

[ラフェエルのポシェットの中身]


「荷物をたくさん持っていると危険だからね」
 そう言って肩をすくめて見せた。ほかの2人も似たようなポシェットや小さなショルダーバッグだけである。しかも甥っ子はサンダル履きだ。ハーフパンツの裾のあたりから、十文字のようなタトゥーが見えている。彼らはまるで何かに追われて着のみ着のままで出奔してきたような状態だった。
 ラファエルがふいに私の目を見据えて提案してきた。
「なあ、俺たちと一緒に野獣列車に乗ってアメリカとの国境まで行かないか?」


<連載第3回>暗闇の中を鈍い音を立てて進む黒い物体はこちら


北澤豊雄(きたざわ・とよお)
1978年長野県生まれ。ノンフィクションライター。帝京大学文学部卒業後、広告制作会社、保険外交員などを経て2007年よりコロンビア共和国を拠点にラテンアメリカ14ヶ国を取材。「ナンバー」「旅行人」「クーリエ・ジャポン」「フットボールチャンネル」などに執筆。長編デビュー作『ダリエン地峡決死行』(産業編集センター刊)は、第16回開高健ノンフィクション賞の最終選考作となる。

当連載『野獣列車を追いかけて ― Chasing “La bestia” ―』が収録された北澤豊雄氏の最新刊『混迷の国ベネズエラ潜入記』はこちら↓から購入いただけます。


北澤豊雄氏のデビュー作にして、第16回開高健ノンフィクション賞最終選考作品『ダリエン地峡決死行』はこちら↓から購入いただけます。