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できないことを数える日があっても良いと思いたい。
コロナ禍でできなくなってしまったこと。
旅行
わたしは社会人になってから、月に約1回は旅行(小旅行含む)をしてきた。
金曜の夜や土曜の朝5時に出発して日曜の夜に帰ったりもしていた。不思議と疲れは感じなくて、気持ち新たに出社できる。(転職してからはあまり無理をしないようにしているけれど)
飛行機、自動車、バス、電車。
長期休暇にどこへ行こうかと海外旅行のパンフレットを開いたり、週末は特急列車でどこそこへ行こうと話したり…。カシオペアでゆっくりと旅行しようとか、ウユニ塩湖へ行きたいとか…「今すぐではなくても、きっと叶えられるだろう夢」を語った。
それが「普通」であった。それが、前触れもなく壊れる日が来るなんて、思いもしなかった。
旅行推進キャンペーンが始まっても、わたしは旅行をしなかった。キャンペーンの趣旨はわかっていたが、不安を抱えて旅行をしたくなかった。万一、旅行(外出)をきっかけに罹患して、家族や周りに迷惑をかけたくなかった。
オンラインの習い事やテレワークができるようになった。観光地の動画を観ることもできる。
それでもー
沖縄の真夏の砂浜、海の底の魚、パラセーリング、
南国の空港から外に出た瞬間の暑さ、
ウィーンの有名店で親友と食べたザッハトルテ。
オンラインでは、絶対にできない。
例え4Dの技術を使おうとも、画面では永遠に味わえないものがそこにはある。
オンラインでできるようになったことはたくさんある。でも。オンラインでは絶対にできないこともある。
せめて何かしたくて、
クラウドファンディングやフードロス削減サイトから購入したりしている。
地域の特産品を食べたりして、「もし禍が明けたら、お店で買いたいなあ」とつぶやく。
習い事
わたしは大人になってから、音楽を習っていた。
母は絶対音感の持ち主。音大に行くことを勧められたが、悩んだ結果、理系の大学に進学した。
母の兄弟姉妹含めて皆、理系の大学を出ている。
だから、わたしにも「音楽が好きなら音大へ行ってピアノの先生になってほしい」「理系が好きなら理系へ」と思っていた…ように思う(笑)
前者の夢は、わたしが幼稚園のときに、ピアノを弾いている姿を見て諦めたそう。
後者の夢は、わたしが文転した時に途絶えたであろう。(数三Cはもはや壁ではなく包囲網レベル)
わたしにはわからないが、絶対音感のある人は音楽を聴くと全て譜面に起こせるらしい。
だから、少しの音のハズレもすぐにわかるらしく、調律のズレたピアノ、音のズレた歌を聴くと、イライラして仕方ないそう。わたしにはほぼ全て同じように聞こえる。
そんなだから、わたしはなんとなく母の前で歌を歌わなくなった。(母はそれを表に出す人ではないのだけれど)母にとってはわたしの歌はジャ◯アン並なのだと思う。(笑)
それでも…ヘタの横好きだけれど、わたしは月に一、二回はヒトカラで熱唱していた。
防音スタジオを借りて楽器の練習をしていた。
新生活様式で、各スタジオもカラオケルームも対策がされているのはわかる。でも、コロナ禍が明けるまでは…と足が遠のいている。
練習ができなければ、習いに行っても意味はない。
学習塾と同じで、通うだけでできるようになるのではなく、あくまで、レッスンの時間外に練習をするのが大前提なのだ。(才能のある人は別かもしれません…わたしは上記の通り)
部屋に置かれている楽器を見ると寂しい気持ちになる。防音室を家に作るなら、終の住処と決めているが…。
できなくなったこと、
できなかったことは、他にもある。
友達と遊びに行くこと、
飲み会、
食事会、
ネイルサロン、
リラクゼーション、
映画館、
親戚の家へ行くこと…
プール、
スキー、
サーフィン…
食べ歩き
お店巡り
毎年のお花見
できないことを数えてもキリがないとは思いつつ、敢えて挙げてみた。
禍に勝つまでは。
できないことを積み上げて、
明けたときに思い切り楽しもう。
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