もんての娘とは。②

≪もんての娘とは。①

DMM編

DMMには、DODAで見かけて応募しました。
2014年の1月ごろに面接。
面接官はドリカムのまささんに似ててスマートな男性。
めっちゃ緊張して声が震え声になっていたのを
素敵な笑顔で緊張してる?って笑われたのは忘れようもありません。

ここですごくビックリしたのは、
自分が想像以上にアガリ症だってことでした。
こんなに声が震えたのは、
中学の入学の面接と中1の時に水原君に告白した時以来で
すっかり忘れてたんです。
人前に出ることにはそんなにアガルわけではないのに
ここぞとばかり大事な場面になるとアガルことがわかりました。

そんなこんな後から役員だと知った面接官のおかげで
緊張も和らぎ、和やかムードで面接を受けることができました。
2次、3次くらい面接があるものと思ってたので
他にも色んな会社に書類を出していました。
当時の彼氏とセブンイレブンに向かう道すがら
ちょうどDODAからメールが来たのを覚えています。
メールを開くまで
通れ通れ!!!2次面接の連絡であれ!!!
なんて祈っていたのでメールを開いた時の
「内定」という文字を見て
全然頭が追いつかなくって
私の目が間違っていないのか不安になって
彼氏にもわざわざ読んでもらった覚えがあります。

そこからは慌てて、他にも出していた会社の
書類面接通過しているものをチェックし、
その中から1社だけ受けたいものを選びました。
パチンコ・パチスロのオンラインホールを運営している某SN社。
その時の彼にパチスロ英才教育を受けていた私は、
そのサービスのユーザーでもあったため、興味津々だったわけです。
他に出していた会社もパチスロ関係多かったなぁw
DMM以外はリクルートのエージェントを使っていたので
DMMから内定をいただいたこと、
その1社だけに絞り面接を受けたいことを
エージェントさんに伝えてどうすればよいのか指示を仰ぎました。
DMMからきた内定の返答期限が来週まで。
それまでにそこの最終面接まで終わらせるには結構無理がありました。

エージェントさんからきた指示は、
面接が1回だけでどういうことをするか不安だから
現場の人とお話しする機会をくださいと言ってみて
内定の返答を延ばすことでした。
それにより実現したのが、
当時のプラットフォーム事業部の社員2人との面談でした。
かといって、自分でも何を聞けばいいかもわからず、
社員のお二人もこんなことが初めてで
何を伝えればいいのかもわからず、質問があるわけでもない私に対して
終始微妙な空気であったことは否めません…。
大変ご迷惑をおかけいたしました…。

しかしそんな不思議な面談のおかげでSN社からも
無事に内定をいただくことができました。
こちらは3次面接まであり、最後は社長面接でした。
今のご時世だし、もう昔のことだからぶっちゃけて書いちゃうけど
某SN社の当時の社長。
面接を受けてみて感じたのはかなりの不安でした。
挙動不審さや質問した内容への曖昧さを目の当たりにし、
さらに社長以外の人々の優秀さになんか社会の闇を感じました。
←あくまでも私の所感です(笑)
ちなみにこの前ちょうどその会社の沿革を
なんとなく見に行ったら社長の隣に座っていた絶対この人裏番長だ
って思ってた人が結局、現在の社長になってて面白かったですw

そんなわけで、色々と天秤にかけた結果、
エロは永久に不滅!
ってことでDMMに入社することを決めました。

そして2014年3月24日入社。
最初は予定通りプラットフォーム事業部にお世話になりました。
やることを言い渡されるまではずっとDMMのサイトをひたすら見続けて
使いづらいところや疑問点を探すお仕事をしてました。
ページの改善提案やカードのデザイン案、新規登録のフロー改善等々…。
仕事がなくなるとなんか仕事ないですかって聞きまくってたんで、
多分結構ウザかったかもしれないです。
そんな折に面接をしてくれた役員の方から呼び出され、
MVNOって知ってる?ちょっと調べてほしいんやと、
他社調査やPLのひき方、企画書の作り方等を教えてもらいながら
MVNOの企画に参加させていただくことになりました。

さらに入社3ヶ月の社員登用面談があり、
出された課題が「新規事業提案」だったため、
「リアルでアイドルプロデュース!」なるものを提案したところ、
偶然にも別事業部の提案で動いていた
「アイドルアプリ企画」というものがあったので
参加させていただくことになったのです。
さらにさらにちょうど女性向けサイトのリリースが近づいていて、
覚えたての他社調査や資料作りをお手伝いさせていただいておりました。
まあ、新しく入社して手が空いてたから
じゃんじゃん雑用頼まれた感じなんだと思いますが、
本人は色んなサービスに携われるとめちゃくちゃ張り切っておりました。

アイドルアプリ企画は、その時にあった「アプリ戦略室」に
色々と練った企画を持っていくんですが企画を練る段階で
色んなアイドルを見に行ったり、アイドルを見てる人の行動を見たり、
調査をしに行ったのがとても楽しかった思い出です。
その中でペルソナを考えてみたり、そこからのUIを考えてみたり、
デザインさんの考え方を色々と触れさせていただいたのは
とても良い経験になりました。

結局はMVNOの企画が会長決裁まで通って本格的に動き出したため、
残念なことに私はアイドルアプリ企画から抜けることになりました。
でも少しでも携われたのはとてもありがたいことで、
この企画は後に「DMM.yell」と言う名前でリリースされることとなります。(現.yell plus)

MVNOの会長決裁がおりてからは怒涛の2ヶ月。
リリース直前に楽天モバイルやmineoはリリースするし、
どんどん価格は下がっていくし、ブルーオーシャンと思われていたMVNOは
レッドオーシャンに早変わりしました。
そんな状況下で急げ急げとリリースに向けて動き出し、
2014年12月17日にDMM mobileはリリースされました。
いつの間にかPFだった所属も気付いたらMVNO事業部に変わっていて
まだ定まっていないルールの中で運用に追われる毎日。
リリースして最初のころは、最安値宣言を打ち出していて、
他社が最安値を更新したら3日以内に
最安値を更新し返すという作業でかなり大変でした。
これはもう父の言う「ナンバーワン至上主義」を
この時に知っておくべきだったと今は思います(笑)

運用については、こうやったらもっと簡単になる!と、
ExcelやAccessを色々試しまくった3年で、
スプレッドシートのGASも少し覚えました。JSだから結構楽しい。
ただ、ここで反省したのは、保守ができる人がちゃんといないと
抽出は簡単だったとしても一度ズレてしまったら誰も直せなくなること。
自分が楽しいからできるからその時は楽だからって複雑な仕組みを
作ってしまって周りが全員簡単にできる仕組みにしてなかったため
ただの独りよがりだったんだなぁと思い知らされました。
新しいシステムは便利だけど、
人が追いつくのはなかなか大変だと痛感しました。

MVNO事業部にいた中でほかにも必要になって今でも役に立ってるのは
利用規約を考えたり、登録商標の取得方法を調べたり、
法律を読み解いたりしたこと。
電気通信事業法や割賦販売法等をすっごい読み込んだりして
ああいう文章を読むのが苦じゃなくなりました。
それにしても法務の人たちは何故眠くならないのか不思議でなりません。
あとは日商簿記2級の資格も取得しました。
MVNOにいる間は一度落ちてるんですけど、
それでも勉強したことによって、経理に報告している内容の理解度が
ぐんとあがり、話がはやくなったと思います。
簿記2級は2回目でなんとか合格することができました。

ちなみにそんな中、まだまだ小さかったDMM。
横のつながりもなんだかんだあったわけでよくわからない流れで
DMMぱちタウンの三重オールナイト企画に参加させていただいたこともありました(´∀`*)
ちょっと痛々しいキャラクターで出てます。
告知記事:https://p-town.dmm.com/specials/909
本記事:https://p-town.dmm.com/specials/935

そんなこんなで色々と学んだ約3年。
もっと数値からの分析を学んでみたいと思い、
2016年12月にはDMM.comラボのマーケティング部に異動を決めました。
MVNOのマーケを担当してくれてたチームに入ることができて、
知ってる人ばかりで気はとても楽。
基本的には証券系を携わっているチームでした。
最初は数値の出し方や考え方を学んだり、Googleの講座に出席して、
WEB上の資格を取ってみたり、予算の管理やGAの見方等
色々教えてもらいながらサポートをしていました。

ある日、チームの定例会議で部長が「新サービスのマーケ担当、やりたいやついるかなぁ」なんて言っていたのが気になりました。
マーケのノウハウを覚えるのに新しいサービスなんてもってこいだ!
なんて思いつつも、まだマーケに入りたてで右も左もわからない私が
やっていいものなのだろうかと思ってしまったため、
その場では手をあげることができず…。

あとでこっそりと部長に相談してみたところ、予想以上の快諾。
部長の元で色々教わりながらDMMバヌーシーに携わることになりました。
ちなみにDMMバヌーシーはDMM.com証券のサービス。
2017年8月5日リリース。一口1万円から馬主みたいな体験ができるサービスです。出走すれば抽選で口取り式に参加したり、馬主席に招待されることもあります。勝てば賞金も配当されます。是非ご利用ください\(^o^)/(宣伝)
https://banusy.dmm.com/

2017年6月頃から野本さん率いるバヌーシーチームに参加。
噂には聞いていた野本さんのチームに入れることができて
めっちゃドキドキでした。
ただチームに参加してすぐに一緒に北海道へ出張へ行く機会があり、
(というか設けてくれて)
色々とお話しができたのでかなりスタートしやすくなりました。
チーム自体のレベルがすごく高く、求められるレベルも高い。
というか、自分のレベルの低さに圧倒される毎日。

最初にケアレスミスを何度も繰り返してしまい、
野本さんに厳しく言われたのは懐かしい思い出です。
でもそれが私に大きな成長を与えてくれました。

最初は自分へのゆるさ、甘さを自分で認めていなくて
ミスを起こす度に「やってしまったー」と思いつつも、
心の奥で「いつもだったらこんなんじゃないのに」って思っていました。

何度も指摘をされていく上で、二度と同じ過ちをおかさないように
その日の提出物も自分の中ではしっかりと確認した「つもり」でした。
しかし、野本さんには指摘されてしまったんです。
そして、「これが最後だ。次はない。このままじゃ0だ。」
とはっきり言われました。
しっかりと確認した「つもり」のものにそれでも指摘され、
自分がすごく恥ずかしく感じました。

そこでやっと思いました。そもそもどうしてミスになったんだろう…と。
こうなるまで何故、自分はミスってしまうのか、
真剣に向き合ったことがありませんでした。やっと私は考え始めたんです。

まず野本さんがやってること、何故私のミスに気付くのかを考えました。
全ての文において一つ一つ必ず読み上げているということに気付きました。
小さな単語一つにおいてもです。
そこを真似して、提出前にすべて声に出して読み上げるようにしました。
また、自分が補えない部分、馬について独特な知識が必要な部分は
必ず自分でも調べ確認し、最終的に間違った箇所がないか専門の方にも
再度確認していただくようにしました。

また、「こだわり」についてもすごく大事であると感じました。
デザインの配置や細かい言い回し等、できあがった物に対し、
最初の頃は、こうしたほうがよいかなと一瞬でも思いつつ、
「まぁ、大丈夫か」と思って提出したものがありましたが、
結果やはり野本さんからはじかれました。
些細なことでもこだわりを持って、微修正を重ねて提出したものは
一発で通ることが増えました。
そのおかげで、対応する時間もかなり減ったと思います。

あと野本さんチームといるときのレベルの高さから
相手によっての対応する行動も注意するようになりました。
自分の一つ一つの行動、考え、言動が誰のためのものなのか、
本当にその相手に適しているのか
ただ自分ばかりになっていないか
敬愛する稲森和夫会長の言葉「動機善なりや、私心なかりしか」
が頭にふと浮かび、自分だけでなく周りをしっかり見て、
何を良しとするかで行動することを覚えました。

最初のころ、自分の非を認めず、過信していた自分が恥ずかしく感じます。窮地に立たせてもらってやっと気づくことができました。
ミスを起こした時、たとえ小さなミスでも向き合って、
次にどうやったらそのミスが起きないかを考えること
一つ一つのこだわりを持って接すること
周りを見てしっかり学ぶこと
その経験が私を成長させてくれたのだと思います。

そんなこだわりをこの1年勉強させていただきました。
こだわりまくって、イベントの抽選機を自分で作ったのはいい思い出。
フリーソフトがいい感じの落ちてなくてJS駆使して作りました(笑)
自慢したいだけだから見て!
https://youtu.be/Lo7jAFgYMq0?t=14m19shttps://youtu.be/Lo7jAFgYMq0?t=14m19s
こんなやつ!音もちゃんとドラムロールがなるように設定してみました。
もし使いたかったらいつでも言ってください。
htmlファイルだからブラウザで開けます。
管理画面作ってないから抽選番号の上限とかは直接いじってね。
イベントといえば、イベントのアナウンス役もやらせていただきました。
かみすぎて悲しくなるけど。
https://youtu.be/abjIb42Yk2Q?t=29shttps://youtu.be/abjIb42Yk2Q?t=29s
※おぎやはぎさんが登場する際にこっそり映ってます↑

DMM、本当に楽しかった会社でした。
みんないい人だったし、これからも付き合い続けたい人たちにたくさん出会えた場所です!
自分の性格が形成された場所でもあります。
DMMでの出来事は一つ一つが私の糧になっています。

そうやって色んなことを学んだ会社を後にし、
私は独立を決めたのです。

つづく。

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