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イタリアからの一時帰国と罪悪感と。

(※保存していた記事なので公開日と少しタイムラグあります。ご了承下さいませ。)


少しタイトルが大袈裟です。。留学中のイタリアから一時帰国してきたのですが、そこに付き纏う罪悪感、そう、まだイタリアにいる日本人の友人、イタリアの友人たちのことを思っての罪悪感がしばらく付き纏っており、少しずつ文章にすることて、今後の事も含めて、気持ちに整理がついたらよいなと思い、何回かにわけて綴っていきたいと思います。

(もし、罪悪感なくして一時帰国をしてきたという人がいるのなら、ぜひそのコントロール方法を教えて下さい 苦笑。)

皆さん日々の報道でご存知の通り、このコロナウィルス の感染者の激増は、まさかの急ピッチで、我々の恐怖心を煽ってきました。

あれは、帰国すら考えていなかった3月7日。初夏を感じるようなあたたかさで、イタリアらしい眩しい太陽が輝いていました。少し規制のかかった生活にストレスを感じていた人たちが、一斉に街へ繰り出し、みんな笑顔、あぁこのまま終息してくれれば良いなぁと、こんなにみんな笑顔なら、そこまで恐怖心は感じてないだろうな、これならまたすぐに元の生活に戻れるなぁと、そんな事を考えていました。

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(観光客はいないがイタリア人が沢山太陽を浴びにきていた/07/03/2020)

勿論それまでは、私も手洗いは毎回30秒以上、必要以上に人に近づかない、スーパーの買い占めの問題が出る少し前には、前倒しで買い物に行き、動向を予想しながら、不安ながらも、先手先手で楽しく生活はしていました。

が、まさかのミラノのあるロンバルディア州の封鎖のニュースがフライングで漏洩し、そんな太陽の眩しかった土曜の夜には、この先の大きな不安の予兆を感じずにはいられませんでした。

既に学校などは感染者が出たその次の週から、

そこで私の腐れ縁のイタリア人友人が放った言葉、「Ucoの家族はイタリアにはいない、日本に帰った方がぜったい良い。この先もっと大変なことになる」と。。

「へ?」いきなり何言ってるの?と思った。いやいや、といっても食料は蓄えたし、引きこもり準備はできている。規制はあっても、散歩もできれば、普通にバールにも行ったでしょう、と。

実際には、その前からバールでは、営業時間が短縮され、一メートルの感覚を空けなければいけないという政府からの御達しがあり、映画館や、もちろんスカラ座も、ナイトクラブも、閉鎖が決まった時期でした。

確か、2月30日の週からだったように思います。ですので、バールに行っても、1メートル空けさせる為、カウンターではカフェは飲めず、離れたテーブルに店員さんがトレーでカフェを運んでくるというシステムになっていました。

それもそうなのですが、「家族はここにはいない」とうフレーズになぜか傷つきました。そう、留学生の身、腐れ縁の友人は本当にいつもよくしてくれたけど、その友人の優しさで放った言葉に私は現実を見ました。

あぁ私の母国は日本なのだと。そのタイミングで、医師でもある妹が、私の事を心配し連絡をくれ、帰ってきた方が良いと言ってきた。そして父も同じように。

でも私にはまだ現実味を帯びておらず、煮え切らない答えをしていたが、友人の「早く今日のうちにチケットを取った方がよい!」という言葉に、ここまで強く友人が言うのに少々ゾッとした私は、それに従うことにした。あまり人の意見で帰国は決めたくなかったが、実はこの友人、第六感というものが、素晴らしく発動されることもあり、その気迫に、なぜかこれは従わなければいけない!と土曜日のうちにチケットを取ることにした。

まさかその夜から、南に逃げるイタリア人たちで駅が殺到するとも思ってもみませんでしたが、ミラノからの直行便は既に欠航だったので、ミラノマルペンサからローマに飛び、そこから成田へのアリタリアのチケットを取りました。

つづく

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