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イタリアからの一時帰国と罪悪感 その③ もはや備忘録

イタリアもやっと外出規制が緩和され、少しずつ経済活動もできるようになってきたようで、何よりホッとしています。このシリーズ、思いの他長くなってしまいましたが、備忘録として、綴って行きたいと思っています。帰国後、結果は陰性でしたが、PCR検査を受けるまでの工程をただただ綴っています。

さてローマで3時間機内待機を余儀なくされようやく、日本に到着。勿論予定より三時間ほど遅れ。

通常、着陸後、機体移動中でもベルト着用サインは最後の最後まで消える事はないが、時と場合で、消えるまで待っていられる場合といられない場合と、国民性なのか、その時々の顔ぶれによって様々。

今回ばかりは、やっとの日本到着という事もあり、ほぼ日本人にもかかわらず、点灯サインが消える前に、そそくさとベルトを外して降りる準備を始める始末だった。

まあ、国内線の乗り継ぎの人もいるだろうしな、、とあまり気にはしなかったが、結局、乗務員の指示で、検疫所から記入しなければならない資料があるので全員着席してください、との事。ああそうだった、今日から海外からの入国規制が始まったのだった。とおとなしく用紙を待つ。

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乗務員から厚生労働省の検疫所からの用紙が配られたそれには、イタリアでの滞在歴、日本の滞在場所、感染者との接触の有無などを記入しなくてはならなかった。自己申告ではあるが、かなり本格的な用紙だな、、と少し不安を感じる。

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日本での滞在先も、家族との会議で、両親や94歳の祖母へのリスクも考え、実家に帰る前に、東京の妹の家に2週間は滞在することにしていた。が、妹宅の住所がわからず、、急いで妹の家の住所を聞く有様。(ちゃんと連絡先に登録していなかった事を後悔)

モタモタしているうちにどんどん乗客が降りていく。。ああなんか嫌な雰囲気。でもまあ無事に日本には到着しただけ良いか、と。

しかし、用紙と共に配られた用紙には、公共交通機関期間を使用してはいけない旨、検査結果に限らず、経過観察の為2週間は外出を自粛してほしい、との旨が書いてあった。

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想定内ではあったので、帰る手段に関しては、妹も既に、可能だったらお迎えに行けるよ、でももし行けなかったらホテルに泊まったほうが良いかもね、という話になっていた。

が、ここまでして家族に手間をかけ、ホテル代も払い、私は帰ってきた意味があったのだろうか、、とやはりお決まりの妙な罪悪感、複雑な気持ちになっていた。勿論この後、あそこまでのイタリアの惨状も予想していなかったし、4月には帰れるとばかり思っていたので。

さて、用紙を全部書き終え、通常通り、空港内を、入国審査に向けて移動。ああ、そうだ、その前に検疫があるんだった。。そうか今まであまり関係なく素通りしていた所、サーモグラフィーがある箇所。

そこにはすでに行列ができていた。同じ飛行機だった人々が列をなしており、疲れもあるが、こうして見ると日本人はなんて行儀が良いのだ。と言っても、表情をあまり皆変えることもないし、この状況を共有する人もいないので、(というか人に話かける気にもならない程、私は不安だったのだと思う)余計不安を感じた。

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この時点でミラノのあるロンバルディア州に14日以上滞在歴のある人、そうでない人(それ以外の州、例えばローマとかナポリとか)の滞在歴の人と振り分けられた。勿論私は前者。そして赤い紙を渡される。疲労もあり、なぜかショックだった。ミラノに滞在していただけで紙が赤い  苦笑。その赤い紙を持ち、しばらく並び、横目で青い紙の人々、乗務員やパイロットの人々を見ながら、疲れと暑さでフラフラしていた。

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「いけない。こんな所で気を抜いていては、それこそどこかで菌をもらってしまう!」

と気を引き締めしばらく並び、検疫係の人に用紙を確認され、「はい検査対象です」とあっさり伝えられる。

最高にショックだった。今考えれば検査できて本当によかったが、入国規制施行当日だったので、何も情報がなく、ただただ、まさかの検査対象にショックだった。例えば、体調が悪い人対象とか、そういういう人のみだと思っていたので。

そんな私はなぜか開き直り、というか、この気持ちを流石に誰かと共感したくなったのか、隣の親子に「いやあ、まさか検疫する事になるとは思いませんでしたよねぇ、、」と言うと、「イタリアへはご旅行ですか?」と聞かれ、「いえ、住んでいます」と答えると、その女性の息子と思しき青年が、「住んでる人と観光とじゃあわけが違うよ‥」とボソッと言われ、まさかの返答に私は何も反応できなかった。

(ああ、彼らは観光の人か、そうか、そういう感覚なのね 涙、いや観光だからって安全とは言えませんよ、、)とほほ。

検疫の係の方々も、大変な仕事だとは思うけれど、色んな人がいて、こちらも焦ったりイライラしたり。検疫の同意書を書く段階になっても、なぜか数人の検査グループからあぶれてしまった私はなかなか順番が回ってこず、やっと熱を計れたと思ったら、なんと37.2度!

体調が悪いとかではなく、不安と気持ちの高ぶりで熱があったと思われるが、もうその熱を見ただけで感染してる様な気になってしまった。

(おそらく、エンパス体質全開でしたね 笑。飛行機自体、エンパスには辛い空間と本に書いてあったので、実際常にそうですし、色んな人の渦のような気をもらってしまい、自分の中のバランスを保つのに必死で熱が上がったのだと思います。)

が、いかんいかん、病は気から、と言い聞かし、なるべく平常心を保つ。

検疫から伝えられたのは、お迎えがなければ、結果が出るまではホテル待機、そのホテルは検閲所から指定されており、しかし予約は個人。支払いも個人。

その後、友人の話など聞くと、少しずつ状況も変わったようだし、例えばレンタカーなどは公共交通機関ではないので、使用可能、指定のホテルでなくても、自宅での待機でも大丈夫。そのまま空港で待機して、ものの4時間で検査結果が出て帰った、という話も聞いた。

勿論、国内乗り継ぎ便をとっていたとしても、成田や羽田で検査結果を待つまで待たなければいけないし、遠方だったり、帰る術が何もない人、ホテル代が捻出できなければ、本当に術がなく、歩いて帰ったという話も聞いたり、人によって状況は様々だったと思う。

そうそう、ローマでの出発時、アリタリアの乗務員の入れ替えがあったのは、この検疫対象の情報がすでに入っており、その検査をしなくて良い様、対象外の人物を乗務させたのだろう、と合点がいった。まああくまで私の見解だがおそらくそうでしょう。

さて、とうとう検疫。PCR検査というものですね。完全防備の検閲官の方?が待ち構える所に行き、ビニールで覆われた椅子に座り、鼻に綿棒をいれ終了。

あっという間だったが、かなり奥までいれるので予想より痛く、涙も鼻も出て、目がしかしかした。

その後、検閲官からの今後2週間の過ごし方、検索結果が出るまで24時間以内だとの説明を受け、フラフラと入国審査に向かうのであった。(結局、46時間かかった。当初は7時間と言われていたが対象者が多すぎたのと、機械の故障もあったそうで、長くなってしまったのでしょう)

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その後、荷物はちゃんと係の人が確保して、待っていてくださり、それはありがたかったが、なんとか無事成田空港を出れたのは、着陸してから約3時間後。

色んな状況もあり、妹も迎えに来れないという事と、やはり接触は避けた方が良いよね、という判断で、結局ホテルを選択、そこから、シムカードを購入。ホテル予約の為に電話番号のついているシムを買うのも何なので、インターネットから、歩いて行ける場所にある指定されたホテルを予約したのでした。

つづく

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