【映画レビュー】「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」の感想
昨日「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」を観に行きました。
「ムーンライト」や「レディバード」で有名な気鋭スタジオA24が贈る、公開わずか4館から3週間で1084館へと急拡大した作品です。
痛々しい。「美化された思い出」とは真反対の、中高時代に感じた痛い思いがそのままフラッシュバックしてくるような感覚が絶え間なく体中を支配する、そんな映画でした。
私が思う、この映画全体のテーマは、
「誰からの評価を大切にするべきなのか?」
です。
クラスの友だち?ネット?親?もしくは自分?誰の評価を一番大切にするべきなのかを考えさせられました。
主人公ケイラ(エルシー・フィッシャー)は無口で、誰かといるといつも緊張してしまう性格。中学の中ではいわゆるヒエラルキーの下の方で、勇気を出して自分を変えたい、と日々奮闘している。
他人からの評価をとても気にしていて、SNSにあげる画像も自分がこんな画像のせたらどう思われるか気にしちゃう他者からの承認依存なところが、私たちの世代なら少しは思い当たる部分があるのかなーと思います。
思い返してみると、中学生の頃くらいから顕著に他人から評価されるようになった。評価は小学校からされているかもしれないけど、それに敏感になるのは中学生ぐらいだから「顕著」と感じるなと。他者に敏感になって、彼らから認められないと自分の評価はどんどん下がる一方。するとなんとか認められたくて、他者に承認されることに依存するようになる。
もう一つの複雑なポイントとして、中学生ぐらいから親からの評価とその他の人間からの評価に相違が大きく生まれるということ。親からは愛されていても、クラスの中では無視されている。そうなると、自分は誰からの評価で自分を計ればいいか分からなくなって、親からの愛を蔑ろにして錯乱してしまう。私はこの状況にすごく感情移入しました。親からの愛をあまり感じられない家庭で育った方はきっと別の受け取り方になるのだろうけれど、ケイラと境遇が似過ぎていて、すごく心が揺さぶられました。
この映画を観ている間、じゃあ実際、誰の評価を一番大事にしたらいいんだろう、と考えさせられる。
「親」からの評価は信じられない。だって「親」だから無条件に愛してくれるんだもの。そのことは恵まれたことなのに、社会で生きていく上ではそれだけでは不十分に感じてしまう。じゃあ、「他者」は?
「他者」ってすごく広い言葉だ。多種多様な人が世の中にいるのだから、「他者」という一括りの言葉では表せない。私を良い風に評価してくれる人もいれば、酷評する人もい。良い風に評価してくれていた人も、気分や状況で悪い評価に変わることもあるし、悪い評価をしていた人が良い評価に転じることもある。
つまり、そんな不確かなものに依存していたら自分がなくなってしまうのである。
自分が決めた、自分が信じた評価軸を選んでその評価軸で自分自身を評価する。昨日の自分との差異を評価する。その評価軸は他者がつくりだしたものだったり、時に世の中の風潮をくみ取ったものかもしれない。それでもその評価軸を自分が選んだということで主体性が宿ると思う。
自分が選んだ評価軸で自分を評価してあげよう。周りからはまだ不十分と評価されるかもしれないけど、それはまだ道の途中だから。進んでいること自体を褒めてあげよう。
そう思えた映画でした。
ケイラは高校を卒業する未来の自分に向けてビデオメッセージを撮影します。
「彼氏はいる?いなくてもいいけど、いるなら大切にされて、大切にしてね。高校は楽しかった?楽しかったならよかったし、楽しくなくても大丈夫、中学も楽しくなかったけど、それでも前を向いているから、あなたもきっとそうだから」とメッセージを送る。
他者が良いとする「楽しい高校生活、彼氏がいる高校生活」に当てはまらない自分がいたとしてもそれを否定するのではなく、自分自身を認めてあげられるようになった姿が描かれていて、あーそういうことなんだろうな、と温かい気持ちになりました。
9月20日ロードショーなので、まだまだ上映は続くと思います。他者からの承認依存を少しでも感じている人、SNSに疲れちゃった人、自分を自分で褒めてあげられない人は、ぜひご覧になってみてください。ちょっとだけ視界が広がるかも。
カバー画像:『エイスグレード 世界でいちばんクールな私へ』公式HP(http://www.transformer.co.jp/m/eighthgrade/)から引用
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