幼い時の年末年始の過ごし方 その①

1月も、もうまもなく10日がたとうとしている、今日この頃。元旦より地震があったり、2日は羽田空港でJAL機と海保の飛行機がぶつかる事故が発生したりと、日本中が心落ち着かない日々が続いている。一人、一人それぞれ悩みや不安はあるかもしれないけど、毎日朝起きて生きているという当たり前を奇跡だと感じ、日々毎日生活していくことが、我々の責任でしょうね。

年末年始は12月29日から、1月7日まで毎日仕事。今週やっと落ち着いてきた模様。やっと正月休みらしい過ごし方を、今週はしてみよう。

自分がまだ幼い時から、まぁ高校生までの時期かな?どんな感じで年末年始を過ごしていたかと言うと、まず年末の27日辺りだったかな?まず正月用のお餅を作る。うちは本家だったから、親戚一同各家族のお餅も作るので、大体50㎏のもち米を用意して、軒先でお餅を作る。お餅専用機械みたいなものがあって、お昼過ぎから親戚が集まり餅つきをする。この時いとこも集まるので、ワイワイしながらお餅を作っていたのが、楽しかった。ただ、幼い時は、いとこみんな集まってたが、中学生、高校生となってくると、自分もいとこ達も、部活や勉強が忙しくなってきたのか、徐々に餅つきに参加しなくなってきた。

12/31は母がおせち料理を朝から作り、その手伝いをしていた姉がつまみ食いを繰り返して、食べ過ぎて毎年姉は、正月から食べ過ぎで具合が悪くなるというのが、毎年の正月の始まりだった。そして、大晦日の夜はまぁ恒例で
でしょうな、紅白歌合戦観ながらゆく年くる年を観るというのが定番でした。テレビが1個しかないから当然の如くチャンネル権はじいちゃんとおやじ。ただ紅白歌合戦始まる前に大晦日だよ!ドラえもんは観ることはできた。年越しそばを食べて、日付が変わった1/1。夜に近くの氏神さまに初詣に行って、寝て朝を迎える。ここまでは毎年変わらなかったなー。

1/1は家族揃って、朝からおせち料理を囲み、普段お客さんが来たときにしか使わない、床の間がある部屋で新年のあいさつ。
幼い時はおせち料理は嫌いだったけど、やっぱ高校生くらいになると味覚も大人になったんだろう、おせち料理も美味しく感じた。
長崎で生まれ育ったので、おせち料理にクジラが出るのは当たり前だと思っていたが、これは長崎だけ?もしくは九州だけなのか。他の地域では正月にクジラは出てこないのを、大人になって初めて知った。

新年のあいさつが終われば、じいちゃんとばあちゃんからお年玉がもらえる。それがやっぱ子供のころは楽しみだった。
正月番組は面白くなかったなー。子供頃は。その記憶がいまだにある。

お昼は、お寺参りに行って、その後は父が車で福岡の太宰府天満宮まで運転して、初詣に行くのが恒例だった。そこで梅が枝餅を食べてまた長崎自動車道を飛ばして、夜中に帰ってくるのが毎年の元旦だった。

1/2以降の正月の過ごした方はまた明日にしよう。

ここまで、読んで下さりありがとうございます。


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