見出し画像

君も化けの皮をかぶりたまえ


「化けの皮をはがしたな」
いかにもサスペンスドラマに出てきそうなセリフ。

昔ばなしには、このような比喩がマジ話でたくさん出てくる。

今日は、グリム童話の「ろばの子」を例にして、人間だれもが化けの皮を被っている、という話をしたい。なんのこっちゃって感じだけど、ぜひ最後まで読んでほしい。

「ろばの子」は、人間からろばの子が生まれてくるという、マジかよって話である。

先日、小澤俊夫先生のポッドキャスト「昔ばなしへのご招待」を聞きながら、キッチンで朝ご飯の支度をしていた。

この番組は、FM FUKUOKAを拠点にし、FM北海道やFM沖縄でも放送されていて、今月で600回を重ねたという。2009年から10年以上、週1回ずっと続けておられるというのは本当にすごい。小澤先生、今年91歳です。この精神力とエネルギーには本当に目を見張る。

ここ数回は記念特集をやっていて、今回は先生が「ろばの子」を語っていたのだ。ろばの子は、先生が大好きな昔ばなしなのだそうだ。

どうやら、キッチン向かいのダイニングで新聞を読んでいた夫も、聞くともなしに聞いていたようだ。

数十分たっただろうか。私がキッチンから離れ夫に近寄ると、夫は急に話し始めた。

「結局、王子ってろばに化けていたの?それともろばだったの?」

ろばの子は、こんなお話だ。

昔、王さまとおきさきがいた。ふたりは金持ちでほしいものは何でも手に入れてきたが、どんなに願っても子どもだけはいなかった。

ある日、願ったとおり子どもが生まれた。しかし、それは人間ではなく、ろばの子だったのだ。

おきさきはろばの子を捨てようと提案したが、王さまはちがった。
ろばの子であろうとなかろうと、この子は私たちの息子だ、あととりだ。この子が、王座に座り王冠を被らなくてはならない。

そして、大切に育てられ、明るく元気に成長したが、ある日、泉の中をのぞきこみ水にうつりこんだ自分のろばの姿を見て、ガッカリする。悲しくなる。そこで、家来を一人だけ連れて、城から世の中に出る。

まあ、それから色々あるんだけどここでは割愛して、そんなこんなで旅先でお姫様と結婚することになった。結婚式の夜、姫と寝室に入りカギをかけた。

だれも見ていないことを確認すると、ろばの子は自分の顔からろばの皮を脱いだのだ。そして、姫にキスをした。姫は美しい王子を見て喜んだ。

翌朝、ろばの子はベッドから起き上がるとまた皮をかぶり、ろばの子になった。そうして、夜にお姫様と寝ているときだけ、皮を脱いで美しい王子になった。

ある朝、ろばの子は起きてから皮を被ろうとしたが、皮がいつのまにかなくなっていたことに気が付き、メッチャ焦る。

王様が、ろばの子の皮の件を召使いから聞きつけて、脱ぎ捨てられていた皮を持ち出して外でこっそり焼いてしまったのだ。

王子はびっくりし、悲しくなり、心配になった。今すぐここから逃げ出さなければいけないと思い、逃げようとしたところに、王様がきた。

「なぜ急いでどこかにいこうとするのだ。ずっとここにいなさい。おまえは、そんなにも美しい若者なのだから、去っていってはいけない。わたしの国を半分あたえる。そして、わたしが死んだら、この国をぜんぶあたえよう。」

その言葉に、王子はほっとした。そして、わりと早い段階でアッサリ王様が亡くなり、国をゆずりうける。そのうえ、自分の本当の国も実父の死によってもらい受けることになった。そうして、おきさきとともに満足に暮らした。

小澤先生のご著書を超略でアッサリ目にご紹介したが、ぜひ機会があれば全部読んでみてほしい。※

ろばの子は、本当はろばの皮をかぶっていた美しい王子だった。

小澤先生は、このお話には「子どもから大人にかけて心が成長する姿」が描かれていると話していた。

泉の水にうつりこんだ自分の姿を見てガッカリするのは、人間がちょうど自分のことを客観的に見始める頃に起こる「他者と自分との比較」に似ている。

たとえば、体型。アイドルやモデルはやせているのに、私は足が太いとか、太い眉毛が嫌だとか、髪の色が黒すぎるとか、比較するものを標的にし、自分のことを客観視するようになる。女の子だと小学校高学年ぐらいだろうか。個人差があるが、比較的男の子の方がこの萌芽が女子よりゆっくりだと感じる。

己を客観的にみることができるからこそ、成長できるし、自分の特性を知ることができる。

そこから、願望が生まれる。学校で、先生に認めてもらいたい、自分の身をちゃんとした場におきたい。だから勉強を頑張る、部活もやるんだ!とがんばる。これは、ろばの子でいう旅に出て、世の中を知ることにあたる。

そうやって、体験を重ねて経験を積んで、いつしか人はそれを形にする。仕事をすることで報酬をもらう、結婚して家庭を築く。自分のことを客観視しはじめた時は他者を比較の対象にすることで、自分とは何?をあぶりだしていたが、今は自分の中に蓄えられた真理が、何よりのよりどころとなり、自信になりはじめている。

だけど、だけども。ちょっと心配である。それもそのはず、この旅は終わらないからだ。一生このプロセスを繰り返す。気付き→挑戦→成功もしくは失敗 この繰り返しだからだ。不安や不満は終わりがない。

だから、ろばの子は皮をかぶっていたのだ。誰にもみせていない純粋な部分をさらすことで、今までのちっぽけな自分をさらすことになりやしないかと。

しかし、王子は王様に皮を燃やされてしまった。後戻りできない状況で王様は王子をそのままを受け止め、認めてあげた。お前は立派な人間だ、もう皮を被らなくてもいいのだと。そこで王子は初めて、どちらの自分も自分なのだと認められた。この気付きは、自分だけでは難しい。だからこそ、日ごろから心が通い合う人との交流を持ち、ゆるりとした人間関係を持つことは人生を豊かにしてくれるのだ。

ろばの子の皮はかぶっていたわけではなく、ろばの姿の王子も、美しい王子もどちらも王子だった。化けていたのかもしれないし、本当にろばだったのかもしれない。でもそんなことは重要ではなくて、どちらも王子だった、ということが重要なのだ。

年齢に関係なく、私たちの人生は旅の繰り返しである。その時に役に立つのが化けの皮だ。時には脱ぎ、時には被って今しかできない旅をするのがいい。ちょっと疲れたら、心を寄せることができる人に手紙を書いたり、電話をするといいかもしれないですね。

幼少期にこのようなお話に慣れ親しんでおくと、困難にぶちあたりめぐりめぐっても、かならず心の中に灯がつき先行を照らしてくれる心の持ちようが身に付きます。

※ろばの子は、小澤俊夫先生の本「語るためのグリム童話7 星の金貨(小峰書店)」を参考にしてお話を超略しました。

画像1

昔話へのご招待は、アーカイヴがあるので今までの放送は全部聞くことができます。「ろばの子」の放送もぜひどうぞ。

https://fmfukuoka.co.jp/program/mukashi/

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?