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5ヶ月5カ国5000キロ アメリカ編

2021年11月23日に自転車旅を始めてから、5か月が過ぎた。走行距離5000キロを超えたところで、現在5カ国に入った。5が3つ。特に意味はないけど、ゾロ目になったところで、それぞれの国をざっくり振り返ってみることにする。まずはアメリカから。


羽田からロサンゼルス行きの飛行機に乗る。アメリカでは1週間かけてメキシコとの国境の町ティファナへ向かう予定だった。長期の自転車旅を計画し始めてから、3度の延期と、2年間の準備期間。長かった準備期間や慣れない自転車の梱包のせいか、出発直前の2日間は緊張と不安でずっと吐きそうだった。やり残した準備がないか考え直して、入国するための書類を何度も確認して。終わってみると難しいことではなかったけど、考え始めて動き始めると止まらなくなる体質が良くない方向で出てしまい、ほぼパニックのトランス状態で迎えた羽田空港だった。

問題なく自転車と共にチェックインは終わり、苦手な飛行機でようやくロサンゼルス到着後、ヘトヘトになりながら自転車を組み立てる。到着したのは日が暮れる前だったのに、漕ぎ始めた時にはあたりはもう真っ暗。空港近くに住む人の家に泊まりに行く事になっていたからさっさと到着して飛行機疲れを取ろうと思っていたのに、空港から10分走った所でまさかのパンク。新品でメーカー最高スペックのオフロードタイヤも、コンクリートの道に落ちてる人工的な鋭利なゴミと不運には敵わない。応急処置だけして、10分で着くところを30分歩いて、どうにか宿泊先に到着した。

大型の預け荷物は専用のベルトコンベアで流れてくる


泊まらせてもらうことになっていた韓国系アメリカ人ジュヌ君が住むロサンゼルスの住宅街は、ピザと洗剤と大麻の匂いがした。周辺を散策したかったが、時差ボケのだるさから朝はなかなか早く起きれず。夜になると、カリフォルニア州でも嗜好品としても合法になったマリファナを巻紙で巻いたり、水を通すパイプだったり、熱で抽出するヴェイパーだったり、フルーツ味がするものだったりと、ジュヌ君がおもてなしをしてくれて、毎夜遅くまで談笑していた。

パッケージがかわいい

アメリカ本土に入るのは今回が初めてのことで、ハリウッド映画や聞いた話から、人種のるつぼだと想像していた。時差ボケをごまかしながらロサンゼルスで唯一出掛けたサンタモニカのビーチで人々を観察すると、確かに様々な皮膚の色を持つ人がいたが、白人は白人と、アジア系はアジア系と、見た目の近い人同士の集団で分かれていた。人種が入り混じった集団やカップルをほとんど見ない。ジュヌにその話をすると、まだまだ根深い差別意識の表れだということだった。のちに中央アメリカに入ってから出会った、アメリカに出稼ぎに行っていたという英語を使えないメキシコ人やエルサルバドル人のことも考えると、アメリカ人は国外旅行に出ないという話にも妙に納得がいった。色んな背景を持つ人が国内の各地にいて、それぞれの国の移民が営むレストランがあれば、他の国を垣間見る事が出来る。わざわざ実際に国外に出るほどの興味が湧きにくいのも当然のことのように思った。

ちなみに日本のパスポートは信頼されていて、ビザなしで入国できる国の数が世界一多いらしい。にもかかわらず、国民のパスポート保有率が20%を下回るという。忙しさや国内旅行の充実度の高さ等色んな要因で、アメリカとはまた違った形で国外には目が向きにくいのだろうが、いくらなんでも低すぎやしないだろうか。ここではないどこかに胸ときめかないのだろうか。知らない文化の中に身を置くことで気付くことは少なくない。当たり前になって思考停止しやすい自分の内面や自分を囲む環境について、新たな角度から見直すことができる。経験から生まれる引出しが増え、より柔軟な思考手段を得て、それまで自分を取り囲んでいた環境に対して、より厳しくて優しい目を持てるようになり、どこか遠くの出来事だった事にも想像力を巡らすようになる。自由と同時に不自由も感じながら、世界の繋がりに想いを馳せ、自分をつくった大事な人たちに感謝する。確かにわざわざ外に出なくても増やせる知識は無限にあるけども、わたしにとっては体感して会得した価値観は、聞いた話から来るそれよりも色が濃く、血となり肉となりやすい。

サンタモニカビーチ前の芝生にて
なにもかもが大きめサイズのアメリカは松ぼっくりもこんな大きさ


ロサンゼルスからサンディエゴへ向かう海岸線の途中、ちょうどいい場所にキャンプ場が無かったため砂浜の木陰にテントを張る。キャンプが禁止されている場所では無さそうだったが念のため隠れた場所に、日が落ちて暗くなってからライトも使わず設営するも、就寝して夜11時頃に警察に見つかり、突然強烈なライトで外から照らされる。完璧に隠れた場所だったから安心していたが、恐らく路上生活者が使う場所なんだろう。

手を見せろ!ゆっくりテントから出てこい!手は見えるところで上げたままにしろ!ゆっくりだ!!すさまじい勢いで怒鳴ってきた。警察も緊張してるのかかなりの攻撃体制で、相当に怖い。後にサンディエゴで会った自転車好きで元メッセンジャーのロイに聞いたところだと、カリフォルニアでは誰でも簡単に手続きもいらずに銃を手に入れられるとのことだった。恐れながらも、うんざりしながらテントから出ると、こちらに抵抗する意思がない事が伝わったのか、少し穏やかな口調になる。そこで寝ることは許されていないため、30分以内に撤収してほしいとのことだった。

行くあてもなくひとまず海岸線をまた走り出したものの、1時間も走らずにサブリナの自転車のテールライトの充電が切れて、またも警察に、今度はパトカーに止められる。手を見せながら地面に座らされ、まぶしいライトで照らされ、どんな疑いか知らないが、かなり不快な思いをさせられながらも、パスポートを見せたら安心したようで解放された。昼間1日自転車を漕いだ後の深夜2時、行くあてとなくへとへとで泣きそうになりながらも芝生の広い公園を見つけ、そこのベンチで朝を迎えた。

ロサンゼルスとサンディエゴを繋ぐ海岸線


アメリカを出てから4人のアメリカ人の旅人に出会ったが、全員が護身用の武器を持ち歩いていた。ペッパースプレー、スタンガン、マチェテ(中南米で農業用に使われてる、刃渡り30から45センチはある大きなナイフ)なんてのもいた。警戒心が強いのか闘争心が強いのか、または銃社会では当たり前のことなのか。面白くもあるがどこか悲しいように感じた。自分の身は自分で守るというということか。武器を持つことよりも武器の使い方、戦う心得や技術のが役に立つような。命の危険を冒してまで武器を使わなくてはいけない状況って一体いつなんだろう。人間相手よりも車との接触や遭難、毒蛇や犬に熊に襲われるほうがよっぽど死ぬ確率は高いと思う。

アメリカには自転車文化も旅文化も色濃くあるため、調べれば行きたくなる自転車ルートや自然や街はたくさんあったはず。それでも今回は長旅のために出費を抑えたかったから、北米はパスすることにした。ではなぜロサンゼルスから入ったかというと、メキシコのバハカリフォルニア半島に行きたかったため、ロサンゼルスから陸の国境を超えてメキシコに入る方が都合が良かった。時差ボケをなおしてスペアパーツを購入する程度のアメリカ滞在を想像していたが、思っていたよりもアメリカ西海岸を堪能することができた。次はいざメキシコへ!

自転車とグラフィックデザインが好きなロイ君と

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