なにもしない人になっちまった。
何もしない人は店の行列に代わりに立つ。何もしない人は花火の場所取りに上野公園へ向かう。何もしない人は、入りずらい焼肉食べ放題店でお連れ様になり、何もしない人は人が足りない場合ゲームの人数合わせにもなる。何もしない人は、何でもする。何もしない人、とは。
会社を辞め、家での生活が始まったのもおよそ5年目になりますが、その5年間、日数で数えば2000日ほどの日々を纏める言葉が何一つ思い浮かばないところでございます。前職の続きで雑誌や何らかで原稿を書いたり、翻訳をしたり、3年前は初めて映画祭にて通訳のお仕事もさせて頂いたのですが、あれも、これも、なぜか一回きりな気がすごくしております。同じ雑誌にて連続で記事を何回書いても、連載をさせて頂いても、’続いている’、’繋げて行く’という感覚がほぼゼロな感じございません。まるで、ドラマ「レンタル、なにもしない人」で主人公レンタルさんが貰う依頼みたいに。もしかして、私はなにもしていなかったかも知りません。
’なにもしない人’と名付けて、ドラマの中でレンタルさんは、実際、あれも、これも、ほぼ何でもします。夢に落ち帰郷する女性の最後の東京ターワ行きまで同行したり、出社が怖くなったサラリマンの出勤を共にしてあげたり、子連れで行きつけレストランの最終日に出席できないお母さんを助けてあげたりもします。まるで矛盾過ぎますが、ドラマを鑑賞するうち、そういう違和感は全く感じられませんでした。最低限の関係を持ち、やくに立つところだけ立ち、必要な行動だけをとり、感情はなるべく抑え。こう書いてみますと味気ない、すごくドライなお話に聞こえますが、私は何回も胸がグッとしました。なにもしなくても、人の為になれるなんて、最高じゃないですか。’なにもしない’ということは、人がもつ最低限の愛の形かも知りません。
ドラマの中には、こういうセリフが何回も出てきます。大人も赤ちゃんみたいに、泣きたい時は泣き、笑いたい時は笑えべばいいのに。フリーになりましてから5年間、なにもしなかった訳ではないですけど、もしかしたら私、赤ちゃんみたいな人生に近かったのかも知りません。かなりニュアンスは違いますが、割とわがままが出来ました。余計なことしなくて楽だけど、なぜか寂しい感じ。やっぱり矛盾過ぎますね。それは置いといて、’なにもしない’と宣言することで、レンタルさんは最も中立的な立場になります。一番客観的な人になります。お仕事は、依頼されたことを済ませるだけなので、怒ることも、もめることも、また喜ぶこともございません。貰うのは交通費とかかればいただく食事代だけ。決して十分ではないはずですが、何とか生計は続けられそうです。つまり、赤ちゃんみたいに生きても何とか食っていけます。会社時代、私は徹夜が何日も続くと、’なにもしたくない’と口癖みたいに何回もブツブツ言ってましたが、’なにもしない’というのは、まさか、自分のリズムを取り戻せることだったのかも知りません。五年の歳月が立ち、やっと気づいた気がしております。レンタルさん、ありがとうございます。
また、自分へのストライキ、そこから見えるものはきっとあるはずです。なにもしてないのでが、なぜかそんな気がしております。
*バナーの画像は@morimotoshoji様のツイッターからでございます。
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