苦労して汲んできてもらった水の感想が「水だな」だったこと
おいしい湧き水を目当てに、親戚が出かけて行ったことがある。
車で少し行った先にある山の中に、その湧き水はあるとのこと。僕も誘われたのだが、断った。運動神経が悪い僕が同行しても、足手まといになるのは目に見えているからだ。決して、「疲れそうだし、面倒だな」と思ったわけではない。本当である。嘘ではない。本当ですよ? いいですね?
それなりの時間が経ち、親戚が帰ってきた。
その表情は生き生きとしていて、「いやぁ、めちゃくちゃ美味しかったよ」と大満足の様子。数か所ある湧き水のポイントからふたつ選び、ペットボトルに水を汲んできたという。一本は見た目的には普通の水で、もう一本は少し濁っている。汚いというほどではないが、その濁りが少し気になった。
「ぜひ飲んでみて」と勧められ、試してみる。
澄んだ方の水は普通だ。水だなぁ、という感じ。で、濁った方はというと……こちらもやっぱり「水だなぁ」という味だった。ビビりながら飲んだのに、あまりに普通で拍子抜けしたレベルには普通だった。水を汲んできた親戚も、ペットボトルを傾けてぐびっと飲んだあと、「あれ?」という表情をしている。
とりあえずキンキンに冷やしてみようということになり、そうした。
そのうえであらためて水を飲む。感想は「水だな」というもの。まったく変わらぬ感想であった。
山に登って疲れていたこと。
おいしい水を飲むために水分補給をできるだけ我慢していたこと。
目的の湧き水を見つけてテンションが最高潮になっていたこと。
こうした状況が重なり、この湧き水は特別美味しいと感じたのだろうか。
濁った水を誰が飲むのかとなかば押し付け合いになっているのを見ながら、状況って重要なんだなと学んだ。
どういう学び方だという話だけれども。
ちなみに、濁った水は汲んできた親戚が飲むことになった。
湧き水で酒を割るという特別な状況を大いに楽しんでいた。
うむ。やっぱり、状況って大切だ。