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マスクの二元論は間違い〜日本の文化を刮目せよ〜

3月13日からマスクは基本任意ということになった。
3月13日以降マスク肯定派と反マスク派に分かれてTwitterで喧々諤諤やっている。

どちらにも言い分がある。
マスク肯定派がよく持ち出しているのが、
「満員電車ではマスクしろよ。」とか、「病院ではマスクしろよ。」
みたいなことだ。

反マスク派は「任意であるのに強制されるのは人権の侵害だ!」
「オレはマスクをしたくないんだ!」
みたいなことだ。

どちらも間違っていないっちゃあ間違っていない。
僕がいつも言う
正義と正義がぶつかって戦争が起きている。

マスクしよう派に対する反マスクの言い分はおおよそ
「任意だと言って強制させる!」「同調圧力だ!」「人権侵害だ!」
みたいなことだ。
よく話題として出るのはマスクをしないと言うと薬局や病院から追い出されたというものだ。
これに関しては個人的にはマスク肯定派に分があると思う。
マスクをしてくれと言っているところにマスクしたくないひとが入ったら追い出されたというのはその土地を持っているひとの権利として認められているからだ。

もう少しわかりやすい例を出してみよう。
あなたの家に土足で入ったひとがいたとしよう。
そのひとは「私は自分の家以外で靴は脱がないんだ!」と主張しています。
この人に「この家の中では靴を脱いでください。」と言うと、
相手は「靴を脱がすのは人権侵害だ!」と言っている。
ということと同じことなのだ。
あなたはこの客に帰ってもらうだろう。
僕もそうする。
この帰ってもらう行為が反マスク派の病院や薬局から追い出されたになるのだ。

つまり、マスクを外すお願いをした上で、その指示に従わない人は帰ってもらうというのは何も間違っていない。

ドレスコードのある店にドレスコードを無視して入ろうとして、
「私はTシャツしか着ない!人権侵害だ!」と騒いでいるみたいなことだ。

そもそも医師の指示に従わないなら何をしに病院に来ているんだということになる。自分の診断で自分の欲しい薬が欲しいのか?そんなこと許されるはずもないだろう。

反マスク派の言い分としては「そんなにマスク付けたかったら一生マスク付けとけ!」みたいなことが多いが、マスクをつけたくないという気持ちはわかる。
僕自身マスクをつけなくていいならつけない派だし、自分の子どもにはなるべくマスクをつけないようにしていた。

しかし、マナーというものがある。
多くのひとを不快にしないためにすることをマナーという。
多数がつけた方がいいと思うところではマスクつけたらいいと僕は思うのだ。
よく海外ではマスクをつけないという話がある。
マスクをつけないのが多数で、マスクをつける方が相手が不快に感じるなら外せばいいと思う。この状況で頑なにマスクをしたいというのは余程の理由があるのだろう。例えば花粉症だとか。
花粉症でもなく相手が不快だというマスクをつけるのにはもうそれは意味のない嫌がらせだと思うのだ。

僕はなるべくマスク付けない派だ。
しかし、周りからマスクをつけてくれと言われたらマスクをつけるし、
マスクを普段から持ってマスクをいつでもつけられる用意をしている。
それで良くないか?
マスク肯定派も反マスク派も。

そもそもつけるかつけないかの二元論に間違いがあり、
TPOによって使い分けが大事なのだ。

反マスクの医者や看護師でもオペ室ではマスクをしている。
反マスクの歯科医師でも診療中はマスクをしているだろう。

マスク肯定派も屋外でマスクしろと言ったらおかしいだろう。
反マスクのひとは周りの不快に関係なく自分の意志を通すなら、
叩かれるのは覚悟しないといけないし、土地の所有者の意志に反することをするなら追い出されても仕方がない。
自分の意志を頑なに通すならそういった処分を覚悟してするべきだ。
その覚悟なくゴタゴタいうのは甘えに他ならない。

ということで、マスク肯定派、反マスク派議論はこれにて終了。
マスクは普段は外し、周りからの要望があったときはつける。
これが結論だ。

「マスクはつけろ!」とか「マスクは任意だ!」とか、
白黒つける二元論的議論はナンセンスだ!
TPOに応じて使い分ける。
この玉虫色の解決こそが日本人の真骨頂ではないだろうか。

日本の文化は世界に先んじていると僕は信じている。

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