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子供が僕を成人させてくれた

ひとになるとはどういうことなのだろうか?
20歳を超えたら成人だとか、15歳で元服で一人前とか、
色々な定義があると思う。

僕が明確に定義しているつもりではないが、子供を愛することができるというのもひととなる部分の構成要素なのかなとぼんやり思っていた。

理由は哺乳類である以上子供の面倒はみないといけないし、
ましてやヒトという動物は野生では考えられないぐらい未熟な状態で生まれてきます。それらを考えると子供が好きになるように遺伝子にプログラミングされているはずだと考えておかしくないはずなのだ。

僕は今でこそ子育てについて色々調べたり、
子供と全力で遊んだりしているが、

子供嫌い

だったのだ。
僕は公言していた。
「子供が嫌いです。」と。

さて、そんな僕はいつ頃子供が好きになったのか。

妻が出産する少し前に遡る。
僕は先輩パパに色々聞いていた。

「子供生まれたら仕事頑張ろうって思った。」とか
「子供を抱いた時にこいつのためなら死ねると思った。」とか

そういうもんなのかぁ、と思っていた。
僕は子供嫌いだし、自分の子供が生まれたら変わるのかな?ぐらいに思っていた。

もう臨月という頃、妻は実家に帰っていた。隣接県で車で2時間ぐらいのところだ。最後の検診に行った時に色々あって緊急帝王切開になった。

僕は仕事上の用事があり、その用事のある場所に向かっていた。
コンビニにいた時に電話がなる。

看護師「〇〇さん(妻の名前)の旦那さんの携帯ですか?〇〇病院の看護師です。奥さんは〇〇な事情で緊急帝王切開になりました。旦那さん〇〇県ですよね。待たずに手術室に入っていいですか?」と、
結構な深刻そうなテンションで電話がかかってきた。

僕「いいですよぉ。このあと用事ある予定なので、それキャンセルしてとりあえず向かいますぅ。」
ぐらいの軽い応対をした。


直感的に大丈夫な感覚があったのと、妻の両親がついてくれていた。
妻が妊娠した段階で、子供に障害があろうとなかろうと育てるんだと思っていたし、ひとの生き死に関して自分がどうこうできるものではないと思っているので、起きたことを起きたように受け入れる覚悟はすでにできていた。

そして2時間ほど車を飛ばして病院に向かい僕が着いた時には諸々終わっていた。
ちょうど手術室から出てきたところで母子ともに健康で今のところ問題ないという。

妻の病室に行く。

僕「お疲れ様。どうやった。」
妻「いきんだりしてないから実感がない。お腹が少し痛いけど、麻酔が切れてくるともっと痛んでくるらしい。」
僕「なるほど。何かして欲しいことあるかい?」
妻「お水ちょうだい。」
僕「はい。」

みたいな会話だったと思う。
しばらくして子供に会いますか?ということで、会うことになった。

抱いた時の感想を言おう。

『お、おぅ、これが子供か。まだヒトというよりサルに近いか。』
というのが実際思った感想だ。

その後に、
『あれ?子供のためならとか、もっと仕事頑張ろうとか思ってない。何なら仕事に関してはすでに限界まで頑張っていてこれ以上は...』

自分はひととして何か足りなくないか?という気持ちが芽生えていた。
子供がどうというよりは妻の方が少し心配かなぐらいだ。

そして、週末だけ妻の実家に会いに行く形で3ヶ月ほど過ごしていた。
むしろ平日の一人暮らしが嬉しいぐらいの感じだ。

しかし、沐浴とか手伝ったりちょっとずつ抱いたりしているうちに自分の子供に愛着が湧いてきた。自分の子供ぐらいは可愛いもんだなと思うようになっていたのだ。

そして、一緒に住むようになって妻とあーだこーだ言いながら子育てをしているうちに子供のことも好きになっていったのだ。

僕は子育てをすることによって、ヒトという動物にとって大事な子供を可愛いと思う気持ちが生まれたのだ。

そう

子供が僕をひとと成してくれたのだ❗️

子育てをしていて思う。
本気でひとの考えていることをわかろうとしていたか?とか、
全く無垢というのはこういう価値観なのかとか勉強になることばかりだ。

子供はこれからも僕を成人させてくれるだろう。
僕も子供の成人の一助をできるようにしたいと思っている。

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