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スジを通した結果、恐れ多い結果になった話

これはある友人の話をそのまま引用する。
一人称の僕は僕(モノノフ)ではなく、
僕の友人である彼の話だ。
もろもろの許可はとってある。

僕は往診に行っていた家庭があった。
雇っていたひとが独立するにあたって、いくひとがいなくなったのだ。
その時に一度、他をあたるようにお断りしたのだが、
どうしてもとおっしゃるので、
僕が行くようにしていた。
僕が住んでいるところとは他府県にあり、
少し遠い(車で2時間弱)ところでは合ったが、
月に1度は通い続けた。
その時はまだ同じ他府県に医院があり、
そこに週に1度診療に行っていて、
帰りに少し寄るぐらいの感じだった。
顔見てご家族と話をしてというぐらいだった。

そして、
3年ほど経って他府県の医院が閉まることとなり、
いよいよ往診に行けなくなってしまった。
一般の方は知らないと思うが、
往診とは医院のあるところから16km圏内と、
行ける範囲が決まっているのだ。
その医院がなくなると、僕が行けるすべがない。
行くなら自費になるのだ。

しかし、この患者さんのご家族は僕に今まで礼を尽くしてくれていた。
お断りはしているのだが、お中元にお歳暮は欠かさず送られてきていたし、
それに商品券なども足されていて、
こちらもお中元やお歳暮を返している状態だった。
患者さんとこんな関わり方をしたらキリがないので、
基本的にはお断りするのだが、
なんせ、このご家族は皆、慈悲に溢れていたのだ。
怪我している野良猫を看病して、
そのままもろもろの許可を経て飼っておられたり、
ひとに対しても動物に対してもとんでもなくレベルの高い介護をしておられた。
最初はお母さんを診ていたが、その後すごく元気にしていたお父さんが
急に認知症が進み出して、さらに他の病気の悪化で先に亡くなられた。
その間もご両親に献身的に介護をしておられた。

そんな状況を見ていたら、一応医院が閉まる話はしたのだが、
何も言わずに往診を続けていた。
要するに少しだけお金をもらって(以前までの一部負担金と同じ額)、
ほぼボランティアというか、移動のことを考えると結構マイナスなのだが、
それでも礼儀を尽くしてくれている相手を無碍にできないと続けていた。

流石に、介護保険から請求がなくなり相手にわかってしまう。
自費で払うとのことだったが、断り、往診を続けていた。
流石に他府県に行く用事がなかったら行かないということで、
3ヶ月に1回にし、用事がある時のついででしか来ないからと、
お金をもらわないようにしていた。
実際3ヶ月に1ぐらいはその方面に用事が合ったし、
礼儀を尽くされている以上、
こちらも礼儀を尽くさないのは不義理になると思い、
続けていた。
むしろ相手が迷惑だったかもしれない。

そしてそんな生活も2年が超えた時に、
当該患者さんが亡くなられた。
ご家族から連絡をいただき
「ありがとうございました。」
とのことだった。

先日、49日を前にお参りに行ってきた。
関わった患者さんが亡くなったからといって、
普通は手を合わせにはいかない。

ご家族とお話しさせていただくと、
「先生のおかげで両親共に、
痛みの訴えなどもなく、
最期まで自分の口で食事ができて、
亡くなりました。
ありがとうございます。」
とのことだった。

人前なので堪えたが、
正直涙が出る話だった。
僕は自分の診療の成功を、
その患者さんがどう亡くなったか、
患者さんの家族からどう言われるか、
というところで決めている。

今回は成功したと言えるだろう。
ただ、誤解しないでほしいのは、
僕が偉かったのではない、
ご家族が偉かったから
最期まで口から食事を摂ることができたのだ。

お供え物を渡したら、
案の定というとあれなのだが、
お返しの品があった。
断るのも野暮だろうと恐縮して受け取った。

ただ、内容がお菓子と
結構な額の商品券だったのだ。

感謝の気持ちなのだろうが、
いくらなんでも過分な額である。
恐れ多くお返ししたいところだが、
そんな返却を受け取るようなひとではないし、
お礼の電話を入れることにした。

僕「過分な配慮でございます。」
相手「先生には感謝してもしきれない。
本当に気持ち分で足りないほどです。」
とのことだった。

正直僕は大したことをしていない。
あくまで相手のご家族が礼儀を尽くしたことに、
返しただけだ。
僕が施したことでもない。
むしろ、僕がまだ何かできなかったと足りなかたのでは、
とさえ思っている。

僕は自分からそこまでしようと思うほど、
お人好しではない。
しかし、礼儀を尽くされたら最低限礼儀を返すぐらいは
なるべく心がけている。
それはひとの道というものだ。
相手の徳の高さにこちらもあてられただけ、
自分の力ではない。

ということだった。
ここからは僕(モノノフ)に戻ろうと思う。

僕はこの友人のことが好きで仲良くしている。
確かにスジは通す男と思う。
スジを通すためには自分の犠牲を厭わないタイプだ。

そういう施しの気持ちというものは
医療において大事なものだと僕は思っている。
そもそも医療なんてものはおせっかいのすることなのだ。
僕の周りはそういったお人好しが多いように思う。
そしてそういった人たちは押し並べて、

病院の経営がうまくいっていない

あまり医療というものにこだわりのない人間の方が、
経営がうまくいっていることが多いように思う。
もちろん割合の問題で、
こだわりあってもうまくいっているひともいるので、
それは誤解ないように願いたい。

僕は彼のような医療従事者がもっとお金を稼げるようにすべきだと思うのだが、
仁義はお金じゃないんだなぁ、、、

それでも僕は『医は仁術』だと僕は信じている。

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