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合気道は本当に使えないのか?!②

武術研究家のモノノフです。

合気道が使えるか否かということを議論するために合気道という技術がいったいどういったものなのか?考えていかないといけない。

そう、前回でも偉そうに話しをした定義づけの問題だ。読者のみなさんも思うことはあるとは思うが、あくまで筆者(モノノフ)の思う合気道というものだと思ってもらいたい。

合気道は合気と道に分けられる。道は単純に道路という意味ではなく「生き方」を表してる。ただ、合気道や剣道、柔道の場合は技術形態を表す場合も多いだろうか。道はそんな意味であるとして、では、合気とはなんだろうか?

僕は、合気は

『相手の力を抜く技術』

と定義づけている。じゃあ、吹き飛んでいたりするのは何か?あれは

『中心力を発揮した攻撃』

だ。

合気によって相手の力を抜いた状態にして、中心力を持ってヒトの持っている力を総動員して攻撃をかけているのだ。

これを分けて考えていないから不思議な技のままなのだ。

いやいや、相手の攻撃力を相手に返して攻撃しているではないかというひともいるだろう。合気道をしているひとは特にそう思うかもしれない。しかしそれは中心力を発揮した状態のひとであれば、勝手に起きる現象なのだ。物理的なことでいうと壁を殴ったら作用反作用で拳を痛めるようなものだ。反作用が返ってきているだけである。

合気の技術は複雑だ。相手の脳にバグを起こさせて力を抜いている。それについてもおいおい書いていこう。

先に「中心力」が大事なのだ。「中心力」の根本は「立ち方」に由来する。「立ち方」については五輪書でも書かれている。水の巻第二節にある。

「身のかかり、顔はうつむかず、仰のかず、ひずまず、目をみださず、額にシワを寄せず、眉あいに皺を寄せて目の玉動かさざるやうにして、瞬きをせぬやうにおもひて、目を少しすくめるやうにして、うらやかに見るるかを、鼻すじ直にして、少し頤を出す心なり。首は後ろの筋を直に、うなじに力を入て、肩より惣身は等しく覚え、両の肩を下げ、脊筋をろくに、尻をいださず、膝より足先まで力を入て、腰の屈まざる用に腹をはり、楔をしむると云て、脇差の鞘に腹をもたせ、帯のくつろがざるやうに、くさびをしむると云う教えあり。総て兵法の身におゐて、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常とすること肝要なり。よくよく吟味すべし。」

と書かれている。

これ見てどう思いますか?「この通りにすればいいのか!」って思いましたか?僕が考えるこれの答えは

「あっているけど、書かれている通りにしても正解ではない」

です。

どう云うこと?ってなると思います。宮本武蔵は「ここをこう!」「ここをこう!」と伝えたい気持ちはすごく伝わってきます。しかし、「中心力」で大事なことは全体のバランスなのです。これを言われた通りした上で、全体のバランスを取らないといけないのです。

全身が繋がった状態で自分の重心を身体の真下に持ってこれた状態で、この「立ち方」ができていれば、「中心力」がしっかり出せます。

「中心力」の凄さはできるようになればびっくりします。「そんな力が出るの?」というぐらい出ます。

全身が繋がった状態で自分の重心を身体の真下に持ってこれた状態でこの「立ち方」ができれば、自分の常識が覆る力が出ます。これを読んでできたひとがいたら是非コメントください!そのひとは天才なので、多分文字面だけで伝えることができます。もっと先の話もしてみたいところです。


モノノフ





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