子は親を選べない
先日ある矯正医から連絡があった。
「この症例を見て欲しい。」
何も言わずに症例写真だけ見せてもらった。
7歳ぐらいだと思われたのだが、写真で見てわかるほど筋肉がなく、
グニャグニャの身体をしている。
姿勢などヨボヨボのおじいちゃんのようだ。
実は3症例ほどあってこれは3症例目だった。
1症例目はああした方がいい、
2症例目はこうした方がいい。
3症例目はこれ、筋肉無さ過ぎないか?
矯正云々より筋トレした方がいいと思うけど。
みたいな状態だった。
よくよく話を聞くと、3症例目の主訴は多動だというのだ。
椅子に座ってられないそうだ。
挙句ADHDと診断を受けていると。
そらそやろ❗️❗️❗️
体勢を維持する筋肉がないので、ジッと座っていられないのだ。
よくよく話を聞くと折り紙やパズルが好きで頭は決して悪くないという。
僕はこの子はADHDではなく単純な筋力不足だと言った。
矯正医も数々の発達不全の子供を良くしている実績があって、
多動とかが主訴の子供が歯科医院にきているようだ。
なかなか素晴らしい歯科医師だと思う。
しかし、事態は深刻だ。
この子供をよくしないといけないが、
当然バックグランドがある。
親が自分の都合のいい子育てをしているのだ❗️
どういうことか、乳児期に動かれると制御しにくいから、バンボのような椅子にはめたり、外ではベビーカー一辺倒で育児をしていたはずなのだ。
そうしないとここまでの筋力不足は起きてこない。
離乳食の頃も、グニャグニャの体勢で母親が口に食材を突っ込むタイプの
食事してきたであろうと思われる。
よくよく話を聞くと共働きで祖母によく預けられていたようだ。
おそらく祖母は動くのがしんどくて動かなくていいおもちゃを与えていたのだろう。
矯正が始まったらしいが、母親が協力的でないため、全然進まないと言っていた。
その歯科医院のある場所のこともあるし、共働きなのもあって裕福らしいのだが、お金を出したら歯が勝手に並ぶと思っているフシがある。
歯科矯正はそういったものではない。あくまで本人の協力、患者さんが子供なら親の協力なくして成功はあり得ないのだ。
現代のADHDと言われている子供のうち、割合は幾らかはわからないが、
確実に育児の失敗でADHDにされている子供がいる。
それは、夫婦が共働きであったり、シングルであったり、事情は色々ある。
しかし、その事情は子供を遺伝子的なトラブルがないのに発達障害とか発達不全と言われるところに入れてまですることなのだろうか?
一度考えてみる余地はあると思う。
誤解のないように言っておきたいのは、
障害の有無が幸せかどうかとかそういう問題ではない。
自分の子供のポテンシャルを活かしきれていない人生を
親が提供していいのかということだ。
果たして僕はどこまで子供のポテンシャルを活かしきれるのだろうか。
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