「営業部長」のネコがいる鈑金工場
「コウジョウには朝礼とかラジオ体操があるけど、ないのがコウバなんです」
先日取材したライターのひとに教えてもらった。橋本愛喜さん。『トラックドライバーに言わせて』(新潮新書)というノンフィクションの本をだしたばかりの彼女自身が元トラックドライバーで、金型工作機械を研磨する工場を経営していた父親が倒れ、大学卒業直前に会社を継ぐことになった。
二十歳そこそこのお嬢だった彼女が突然社長の代役だといっても、父親を慕って集まった工員さん(ちょっとヤンチャ)たちがついてきてくれるかどうか。信頼を勝ち取り束ねていくには、本気度合いを見てもらうしかない。そこで取引先への搬送を担おうとして、大型免許を取得するため教習所通いから始めたという。第1章「トラックに乗ると分かること」では、男たちの中で紅一点がもたらすハレーションが詳しく綴られている。すごく真剣でユーモラスだ。
橋本さんをインタビューするため、現在はお隣の会社の看板が付いている「父の元工場」へ案内してもらった。
工場って天井が高いんだよなぁ。
思わず見上げてしまった。先日訪ねていった東大阪の鈑金加工の工場を思い出した。
話を聞くひと=朝山実(写真撮影も)
大阪府東大阪市。JR長瀬駅を降りたのは、まだコロナが深刻には陥ってはいない今年3月。その工場を訪ねてみたくなったのは「営業部長」の肩書きをもった猫(名前は、テンペル・タットル)が通勤しているというのを聞いて、そそられたからだ。
「よかったら会社見学に来てください」
誘っていただいたのは、庶務のアキさん。
彼女のことを知ったのは昨年末のことだ。大阪・阿倍野の路地にあった席数5席の珈琲店「力雀」に通っていたというのが、わたしとの共通項。店名が「雀」から「力雀」に変わる頃に、アキさんは近くにあった辻調理師学校の生徒となり、たまたま通学路の途中に力雀が存在した。その後、東京に生活の場を移しながらも雀さんに会いにいったりしていたのも、わたしと似ている。
大阪に戻ったもののアキさんの仕事が不安定だったこともあり、しばらく足が遠のいていた。心配した雀さんから電話をもらったこともある。生活が安定したら報告に行こうと決め、昨年末にようやく店を訪れると、「売却」の看板を目にして呆然。ネットを検索し、わたしのnoteの記事にたどりついた。
雀さんのお葬式のことを書いた記事だ。
メールをもらい、長文の文面からアキさんの動揺が伝わってきたので、わたしから電話をかけてみた。雀さんが闘病の末に亡くなられた経緯を説明した。一時間くらい話したかなぁ。
アキさんとは年齢が多少ちかかったのと、雀に通っていた時期も重なっていた。わたしが知らなかった雀さんの一面も知れた。
「阿倍野体育館の並びにあった小料理屋ふうの豚カツの店、覚えています?」と聞くと、
「辻調のコは外食することはほとんどなく、雀にも生徒で行っていたのは少なかった」という。学費に何百万円もかかるのと、実習でつくった料理を食べていたことも関係していたようだ。
アキさんが「会社見学」をすすめてくれたのは、わたしの仕事がルポライターということもあったかもしれない。もうひとつ、かなわなくなった雀さんへの報告をしたかったのでは。
社員として働くいまの工場のことを、こう話していた。飼っているネコを家に置いておくのが心配だというと、工場の経営者夫妻から「連れてきたらいい」といわれ、「営業部長」の名刺まで作ってもらった。猫が居るための理由をこしらえる、さりげないセンスだ。
営業部長のネコかぁ。
「駅長ネコ」は有名だけど、工場ネコ。面白そうだなというのと、雀さんの話もしたいというのもあって、電話のやりとりから数ヵ月後に帰省をかねて訪問することにした。
会社の名前は「豊田工業株式会社」という。小さな工場が連なる中に、銭湯やスナックが混ざった町。地図を頼りに工場を探したが、あいかわらずの方向音痴で、5分で行けるはずが15分くらいぐるぐるした。金属を加工する甲高い音と溶かすにおいに、場所はちがうが学生の頃に通った風景を思い出した。
アキさんが働く事務室は工場の二階にあった。鉄のドアの前で、ここであっているのかなぁとしばらく眺める。
垂直と思えるほどの急階段を上がっていくのだが、一階の工場の天井が高く、通常でいうと三階にあたる。
「会社見学」ということで応対していただいたのは、生産技術を担当されている浅井さんだった。
「生産技術というのは、たとえばこういう丸い容器を作ってくれと言われたら、平たい金属の板から円周率を割り出して、ココはこういうふうに切るように、と指示をするまでの仕事です」
と教えてもらう。
ふんふんとうなずくものの「円周率」と聞いた時点で内心アワワワ。なるべく素人にわかりやすく仕事の内容を教えてくださいとお願いすると、浅井さんは手に持っていた展開図を鋏でタッタッタと切り始める。
すばやく立体にし「鋼板を使って、このように円錐状のモノをつくりだします」。
はあ。なるほど。
でも、まだよくわかっていない。展開図に書き込まれた細かな数字を見るだけで、無理という気がしてくる。それにしても、浅井さん鋏使いが鮮やかだった。
一度部屋を出てた浅井が、恐竜(怪獣?)の骨の立体模型を手に戻ってこられた。
背骨のひとつを取り外し、
「たとえば、この立体をつくるのにどんな形のものがどれだけいるのかを計算して、パーツごとの図面を作成します」
はい。目は恐竜に釘付けだった。
「立体化するために、どれだけのパーツが必要かを計算して、金属の板から、抜き取る。そのための展開図を作るんです」
展開図、ですか。目の前に置かれた恐竜を、上から下から斜めから見る。面白いじゃないですか!!
浅井さんが突然、ヒーローに見えてきた。
急にテンションが上がりはじめたわたしに、浅井さんは、
「これはアマダという大手の機械会社さんが、こういうのもできますよ、というデモンストレーションで作ったものをもらってきたんです」
これは御社の商品じゃないの?
「作ろうと思えば、できます」
作ってほしいなぁ、売れますよというと、ニコッと笑い返された。
「一つひとつ、頭の部分にはこういう形のものが必要になると展開するのをバラスというんですけどね」
ばらす?
「パーツごとに、バラして絵を描くということですね。ここの足は、どういう寸法で切ってくださいというふうに」
そのバラスは、業界用語ですか?
「ああ、そうやと思います。バラバラにするからじゃないですか。設計の人はよく使っています」
つまり、完成予想のスケッチなどをもとに、立体化するために必要なパーツを計算。図面化して、寸法、溶接加工の指示をする。その図面を作成するのがお仕事ですか?
「そうです、そうです。だから、これをもしも可動するものにしようとしたら、何がナンボ必要かをイメージできないと設計屋さんはダメ。まあ、そこがいちばん頭をつかうところでもあるんですけどね」
浅井さんの名刺を見直すと、社名の上に「搬送装置・自動機製作・据付・各種板金製作・レーザー加工・エンジニアリングサービス」とある。
なかでも得意分野はレーザー加工だそうだ。鉄やステンレスの鋼板を、階下の第一工場の機械で加工する。鋼板には、紙のように薄いものからタンカーなどを造る分厚いものまで様々あるが、加工するための機械もまた鉄の厚みごとに分かれていて、「とくに厚いものを扱う機械は高額」。採算にあう需要が見込めないと導入できないものらしい。
「あと、精密機械なので、年数が経つほど精度が落ちてきて切れにくくなったりするんですよね」と浅井さん。使用頻度により、削られた鉄粉が溜まるなどして、性能が落ちてしまうのだという。
図面でもって、現場の工員さんたちに、ここをこう折り曲げろと? わたしの質問に浅井さんは「折り曲げてくださいという指示をするんですね」と言い直した。
それにしても美術品みたいに図面がきれいだなぁと感心していると、
「昔はこういうのは全部手書きだったんですが、いまはキャドというものがあってパソコンで作れるようになっています」
「いつも、このキャリーバックに入れて連れてくるんです」とアキさん。
室内をぐるりと見回す。猫の居場所は、事務用品のロッカーの中など、数箇所にダンボール箱が置いてある。
タットル部長は「大事な商談の最中にも、弊社の営業部長です」と紹介されるや「成果をあげる」のだという。
「ここをジブンの縄張りだと思っているみたいで、ひとりでも従業員の顔が見えないと、探し回っている。ジブンの手下だと思っているんでしょうね」
会社大好きの彼は、会社が長期の休みに入る「年末とゴールデンウィークに、ストレスで禿をつくっていた」という。
「朝ごはんも会社でないと食べないし。お腹が膨れたら、みんなが働くのを観ながら寝て、お昼休憩の20分くらい前になったら起きだしてくる」
会社が縄張りのネコかぁ。
浅井さんがスマホを取り出し、
「これ、オヤツをおねだりしているところ」と画像を見せてくれた。
ところで気になっていた「力雀」とのことをアキさんに聞いてみた。
「わたしが雀に通いはじめたのは27歳。昭和63年、平成元年のときからですね。辻調の学生はほとんど喫茶店とか行かないんですよ。お昼を外で食べるということがほとんどなくて。昼は自分たちが実習でつくったのを食べる」
名門の調理師学校だけに、高級食材をふんだんに使ったものだったという。
それは無料?
「というか、年間の授業料の中に組み込まれているもので、わたしたちの頃は年間数百万していたんですよ。入学金だけでも二百万は超えていたと思います。地方から来ている子とかが多かったですから、喫茶店でコーヒーというのは」
たしかに余裕ないですよね。
「わたしが通いはじめた頃は、ミミィのほかにワンコのモコがいたんです」
ああ、もこもこした小型犬が、路地を挟んだアパートの玄関につながれていましたね。
「そうなんです。わたしが朝、店の前を通ると、モコがわたしを見て、歯を出して笑うんですよ。
『あっ、このコ笑っているわ!!』となでては学校に行くというのが半年くらい続いて、帰りに雀さんと目があったんですよ。
『このコ、笑っていますよね』
『え、あなた、わかるのって!?』って驚かれて、その日はじめて店に入ってコーヒーを飲んだんですよね」
それが秋の頃で、卒業までの期間毎日のように通うようになったという。卒業後はアパレル会社が母体のレストラン事業部に就職したものの、2年で身体をこわして退職。後に上京して10年ほど出版社の仕事などしながら都内で暮らした。
「工場、見ます?」と階下の工場をアキさんに案内してもらう。
型抜きしたあとの鉄板に目がいく。
子どものころに駄菓子で、舌でなめまわし動物などの形を型抜きする一個10円の飴菓子があったのを思い出した。
アキさんは「プラモデルで不要になる部分」みたいなものだと説明する。一枚の大きな鈑金から、効率よくパーツを切り取る。型抜きされた残りの穴ぼこの板は「鉄とステンレスに分類して金属屋さんに重量に応じて買い取ってもらう」のだそうだ。
これなんかはまだ使えそうな部分がありますよね。問いかけるわたしに、
「端材を使って、さっきの怪獣なんかだったら作ったりできますし、弊社の場合だと、自分の家の台所の棚とかをステンレスの端材を使かって作ったりしているひともいます」
へえー。すごい。
ちょうど社長の山野さんが、大きな機械を操作しはじめていた。シャーリングといってレーザーを使って鋼板を切断する。キイイイイーン。工場の音だ。近づいて見せてもらう。
ほかにも鉄板を直角に曲げたり、まぁるく切断したりもする。ウィイイイイン。なんか面白い。
工場の作業で大事なのは「段取り」らしい。大型の機械を指し、こういうのは高いんですかと聞くと、
「高いです」と山野さんに笑われた。
切断するには、細かく分類された金型を付け替えたりしなければならず、交換に手間がかかる。そのため、金型のサイズごとにまとめて作業するのがコツらしい。
「ただ、向こうで溶接する順番もあり、こっちを先にしてほしいと言われるとそれを優先する。ここだけで終わる品物なら、こちらの段取りでいけるんですけど、なかなかそうもいかない」
アキさんに社長が「向こう」と呼んでいた、すぐ近所にある「第二工場」にも案内してもらう。
ここは溶接が中心で、さきほどの浅井さんたちが作成した図面をもとに加工する現場だ。
「弊社の場合はすべて、オーダーメイド。一品だけの注文ももちろんあります」とアキさん。
ギギッ。ぎぎぎきぎぎ。ココンココン。いろんな音が充満し共鳴している。
コの字状に作業場が並び、一人ひとりが作業中は一国一城の主のように見える。「彼はうちの若手のホープなんです」と紹介してもらった工員さんが仕事の手を休め、何をしているところかを教えもらう。
手をとめてすみません、続けてくださいと言うと、すぐに仕事を再開。リズミカルに無駄のない動き。カンカンカン。ぎぃぃぃぃぃ。自分は経験することのなかった世界だなぁとそそられる。
うちの父親も、家の近くの大きな電線工場で働いていた。会社では何をする人だったのか。いつも胸に社名の入った濃紺の作業着で出勤していた。本を読む姿を一度も目にしたことのないひとだった。
記憶にあるのは、贈答品のボンレスハムを分厚く輪切りしたかのような、太い電線を持ち帰り、わたしの視覚に入るところに黙って置いていた。どこでどう使われるものか、想像もつかないものだった。
いろいろ父に聞いておけばよかった。この年齢になってみると、あれは無口な息子に目にとめてほしくて持ち帰っていたのではなかったのか。
父は晩年、新築した家の鴨居に、工場でもらった勤続年数ごとの表彰状を掲げていたが、愚息であるわたしは、たまに帰郷しても何の興味も示さなかった。
インタビューの仕事をしていると、取材相手のホームグラウンドを訪ねることを原則にしている。額装された賞状があれば、なにげない会話の糸口になる。生前、父は何を考えているのかわからないひとだったが、結局父との会話を拒んでいたのはわたしのほうだったのかもしれない。
おもしろい会社だなぁと思ったのは、工場に自販機はないが、食堂の冷蔵庫には大きなペットボトルが常備されていて、お茶やソフトドリンクが無料で飲める。
ボードに、新人さんの歓迎会の案内が貼ってあった。
ほかにも朝10時のコーヒータイムには、ドリップしたものを設計室の社員さんが工場に運んでいくのだという。
「ネコを会社に連れてくるようになったのは、勤めて三日ほどしたら、うちの家の前で工事が始まって、猫が大騒ぎする状態になった。一匹猫が脱走し、コレもつられて脱走されると困るから『キャリーに入れてトラックに乗せていってもいいですか』と聞いたら『会社に連れておいで』と言ってもらえた」
アキさんは、臨時のトラック運転手として働きはじめ、庶務も担当する正社員として雇用されている。家には「部長」のほかにも三匹のネコがいて、このネコだけは家よりも会社が好きなのだという。
学校のチャイムが聴こえる。と思ったら「5時で終業なんです」とアキさんが帰り支度をはじめた。
「いまは働き方改革で、残業ゼロ。きょうは外に出ていますが、ふだんは取締役から『はい、おわり』と急かされます」
部長に「帰りますよぉ」と声をかけると、いつもはなかなか中に収まろうとはしないのに、すっと足を踏み入れた。
「きょうは異例です。ここは完全にひとりの縄張り。性格はワンコ。朝になると、自分でキャリーバッグの中に入って会社に行くのを待っているんですよ」
浅井さんがニッコリするやキャリーバッグをもち、率先して階段を下りていった。部長をお見送りするのは、どうやら彼の仕事らしい。
ところで、タイトルにある「鈑金」。当初は「板金」としていたところ、設計課の後藤さんから「鈑金」への修正案をいただきました。「鈑」の字は当用漢字にも常用漢字にもなく、見慣れないものだけに、わざわざ指示をいただくからには、これは何かこだわりがあるのだろう。調べてみたら「鈑」について説明する鈑金工場のブログをいくつか見つけました。そのひとつが「株式会社 井口鉱油」という会社の社員さんのブログで、「鈑」は金属で「板」は木。本来、金属を扱うのだから「鈑金」が正しいのだけれど、学校では「板金」を教えられてきたから、忘れられつつある。けれども、というか、だからこそ「鈑金」を残したいとHPでは意図して使っていると説明されていた。たった一字のことですが、一字を守りたいというところに職人を感じました。豊田工業の後藤さんにも。
「株式会社 井口鉱油」ブログ👇
http://www.iguchi-kouyu.co.jp/blg/bankinkojo_shop/nakane0411-4229.html
会社訪問させていたただいた「豊田工業株式会社」さんのHP👇
http://www.e-toyoda.com/corporate.html
今回枕につかわせていただいた『トラックドライバーにも言わせて』👇
テンペル・タットル営業部長👇
最後までお読みいただき、ありがとうございます。 爪楊枝をくわえ大竹まことのラジオを聴いている自営ライターです🐧 投げ銭、ご褒美の本代にあてさせていただきます。