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「希望を感じた」『国葬の日』の話を二人のキーパーソンに聞きました(込山正徳さん編)


©「国葬の日」製作委員会
(以下、場面写真は同)

(前編からのつづき)
大島新監督『国葬の日』の中のつよく印象に残った場面、静岡・豪雨の被災地を取材・撮影した込山正徳さんがで部屋に入ってこられた。にこにこして。

込山さんは、試写会場ではちょうど私の後ろの席に座られていた。「国葬の日」の10か所の撮影の中で、撮り方からして違っていた。どういう人が撮ったのか。カメラを回しながら、何を考え、視ていたのか?
試写後に会場の外で雑談ふうに話を聞くと、込山さんはカメラマンではなくカメラも回すディレクターだという。
「われら百姓家族」というフジテレビ系「ザ・ノンフィクション」の仕事をしてきたひとだと知って、わたしのテンションが上がった。
そのドキュメンタリーは何回にもわたり、20年ちかくある一家の暮らしを追い、放映されてきた。
兵庫県の山間の過疎の村に移住した父親が自給自足の生活を、6人の子供らと営む。妻は一番下の双子の女の子が5歳のときに山を下り、子供たちは以来母親に会っていない。一度も。追い続けた撮影のラストは、父親の盛大な葬儀で終わるという作品だ。

込山正徳さん(撮影/朝山実)
1962年横浜生まれ。日本大学芸術学部映画学科卒。フリーのディレクター。「女装と家族と就活と  キャンディさんの人生」(ザ・ノンフィクション)など。著書に『パパの涙で子は育つ  シングルパパの子育て奮闘記』


話す人/込山正徳さん
聞く人🌖朝山実

🌖ザ・ノンフィクションの百姓家族の話、よく見てました。

ありがとうございます。19年取材して。最後に別れた妻が出現するんですよね。ぜんぶで6、7本やったかな。最後はBSで2時間にしたんですよね。

🌖あれは最初から何回か続けていくものとしてスタートさせているんですか?

いや、企画が通ったので一年間取材して、放送して。そのあとも動きが出てくると、「つづけて取材していいよ」とフジテレビのプロデューサーに言ってもらった。もう一回、もう一回というぐあい。放映のつど話題にはなりましたので。とくに、飼っていた鶏の首を切って、肉として食べるのを撮ったんですが。そのとき子供たちが泣いてしまう。あの回はとくに視聴者の意見が二分するんですよね。

🌖よく覚えています。

「あのオヤジの教育方法はとんでもない」というのが半分。「すばらしい自然の中で育てているのがいい」というのが半分。
僕は、どっちの立場でもなく取材していたんですけど。まあ、どちらかというと、あのお父さんは本当に大変なひとでねえ。取材班に怒りだすし。そうすると子供たちがこっちの見方になってくれたりしてね。そうやっていくうちに、親戚のおじさんみたいな関係になっていったんですよ。

🌖あれは、カメラと音声と込山さん。3人くらいのチーム編成だったんですか?

最初の頃は、3人で行っていたんです。いや、4人だったかな。でも、一人減り、二人減りして、最終的には僕ひとりで行くようになったんですよね。撮影機材がよくなったので。

🌖込山さんがカメラも回すということですか?

そうです。カメラがこの20年の間にものすごくよくなって。肩にかけて撮る大型だったのが小さいハンディなものになりましたし。
まあ、甲斐さんというカメラマンのひとは、家族のなかに入り込めるひとだったこともあり、僕が他とバッティングしたときに甲斐さん一人で行ってもらうということもありましたね。そういう意味でいうと、基本、甲斐さんと二人で作ったというかんじですかね。

🌖なるほど。それで先日、映画の試写で偶然、後ろの席に込山さんが座られていて。ティーチインの時間に大島さんに、「清水の撮影のあのカメラは?」という質問をしたら、ちょうど後ろに撮影した込山さんがいます、と紹介されたんですよね。

そうでしたね(笑)。

🌖それで、ザ・ノンフィクションなどをよくやられているというのを聞き、話をうかがいたいと思ったんですね。
清水のサッカー部の高校生たちが、大雨で川が氾濫し被災した地域にボランティアで駆けつけている。その場面を撮影されているんですよね。国葬のその日に。
あの清水ともうひとつ、別班になりますが、福島を撮られた映像。原発から20キロ圏内にある南相馬のある家を訪れた映像と、この二つの空気がほかのものと違っていて。観終わってからも、しばらく残像が頭に残りました。
とくに清水は「国葬」についての取材なのに、そういう質問をするわけでもなく、ただただ高校生たちが作業をしている場面に同伴している。そもそもあの日に、あの場所に行かれたのはどうしてなんですか?

あれは大島さんに言われたんですよね。ここに行ってほしいと。何日か前に川が氾濫したんです。だから僕としては、そこに行く理由は水害に遭った場所ということなんだろうと。
沖縄だとか、広島とかについては、どういうものを撮ったらいいのかというのはだいたい想像がつきますよね。だけど、被災して大変な状態の人たちに「国葬についてどう思いますか?」といきなり訊かれても、みんな困るだろうなあと。

🌖それはそうですよね。

だから、訊くときは、もうある程度撮って、「これ実は映画になるかもしれないんですけど、いいですか?」と説明するんですよね。

🌖ということは、カメラはすでに回していて、企画意図の説明をあとから?

そのあたりは微妙なんですよね。いつも。説明して、じゃあ撮りますというふうにできない場合が多くて。「大変ですねえ。これ、どこまで水が入ってきたんですか?」と話しかけながらカメラを回している。もちろん、自分は何者でということは言うんですが。向こうは、もうそれどころじゃなかったりしますし。

🌖報道のクルーが集まっていたという状況だったんですか?

いえ、あの日はもう数日経っていたので、僕ひとりだったかな。で、このひとに密着したら面白いかなという人が見つかったら「こういう企画で国葬の日の取材をしているんです」と、大島さんが用意した企画書を渡して説明するんですね。
そうすると、「国葬っていったってねえ」と話が始まるんですよ。「それより、こっちを見てよ」とか言われ、カメラを回してついていく。僕は、どういう意見を集めようとかいうのは考えてはいないですから。

🌖反対とか賛成とかより、いまこっちをなんとかしてくれよという声に実感がありました

そうなんですよね。ああいうシチュエーションになると、みんな自分の生活が大変だというんで、感情的にというか、どうしても、ああなるんでしょうね。そこで、ここは大変な状況に置かれている人たちを撮ろうと。
ただ、映画に出てきていないところもいろいろ撮ってはいるんです。高校生たちがスマホで「あ、国葬始まった!!」と中継を見ているのとか。彼らも、ずっと真剣に見入っているというのでもないし。

🌖なるほど。

だから、カメラを長めに向けている人たちには、ちゃんとこういう企画でと説明はして。

🌖あの場の主人公は、高校のサッカー部の人たちに見えますが、込山さんは事前に何か情報を?

知らないです。住民たちに聞いたら、「あれは清水東高のサッカー部が来てんだ。ありがたいよお」という。それでトレーナー姿の若者が10人、20人いて作業しているから、「部長いるかなあ」とたずねたら、インタビューしている映像のあのコがやって来て、いろいろ説明してくれた。すごいしっかりしているんですよね。

🌖え!? 彼は高校生なの。顧問の先生じゃなくて。

彼、学生なんですよ。高校生です。テキパキと采配していますけど。スマホで「いまから何人そっちに向かわせる」とか言っていますけど。

🌖びっくりした(笑)

そうなんです(笑)。本来なら学校の先生に許可をもらうんですけど、もう一日で撮りきらないといけないので、彼が撮っていいよというので。しっかりしているなあと思いながら撮っていったんですよね。

🌖そのあと少し移動して、ひとり暮らしらしきオバアさんの新築の家が水浸しになっていて、昔の桐のタンスに仕舞っていた着物もぜんぶダメになって呆然としている。それを若者たちが、なぐさめている。あれは。

ほぼ同じエリアですよね。

🌖男子だけでなく、数人女子の姿も見えますが、彼女たちはマネージャーとかなんだろうか?

泥を掻き出しているコたちですよね。あれはまた歩いて一分くらいのところなんですけど、本屋さんの駐車場だったのかな、そこもひどいことになっていて。マネージャーなのかどうかはよくわからないですけど、同じ高校生だと思いますね。

🌖見ていて、日本捨てたものじゃないなあと思いました

ほんとう、僕もそう思いました。たまたまあの日、あそこに行ってみたら、彼らがいた。不思議な出会いですよね。出会いといえば、あのオバアチャンもそうですよね。撮っている中で、出会ったわけですから。
水浸しになった家具とかをぜんぶ外に出してあって。それをまた中に運んでもらえないかと高校生たちにお願いするんだけど、まだ水が中に入っているからというやりとりをしていた。そこでカメラを回していると、オバアチャンがいろいろ話してくれるんですよね。

🌖はい。

映画の企画書を見せたら、「吉田茂さんはいろいろやったけど、安倍さんはそうでもない。アタシはそう思うよ」と語りだし、ハアハアそうですかあと僕は聞いている。そうしたら、突然ポケットの中からくしゃくしゃになった一万円札を取り出し、指できれいに伸ばして「おにいちゃんたち、帰りにラーメンでも食べてよ」と差し出すんですよね。

🌖あそこ、ハラハラしました。高校生たちは、受け取るんだろうか?

僕もドキドキしました。これは彼ら、もらうんだろうか? カメラを回しながら、もらっちゃったらイイ話にならないなあと(笑)。

🌖男の子たちが互いに顔を見合わせ、「割のいいバイトになるんで、受け取れないです」と固辞する。その様子をカメラが引きで見せる。ひとりひとりの一瞬の戸惑いが伝わる。
だけど、オバアちゃんも引っ込めるわけにもいかず、押し問答になる。そうしたら、リーダーっぽい男の子が「ありがとうござす」。あ、受け取るのかあ?
と、すぐに込山さんにボソボソと話しかける。なるほどなあ。すごい解決法だなあと感動しました。

ですよね(笑)。でも、ああいうのって、ちょっと田舎風というか、都会じゃ目にしない光景ですよね。

🌖その前のシーンで、水に浸かった着物箪笥をあきらめきれずにいる様子を見て、彼女が嫁入りのときにもってきたものなのかあとか想像しました。落ち込んでいるにもかかわらず、「何人いるの? 足りないかもしれないけどさあ」とお礼をしようとする。せずにいられない。ひとが見える場面ですよね。

そうそう。あのオバアチャン、聞いたら娘さんが障害児らしくてね。「育てるのに大変だったのよお」という話もしておられて。あれは、国葬の話の流れだったかなあ。苦労話をされだして。

🌖この映画全体を通じて、ふわっとした空気のようなものを、それぞれのインタビューから感じたんですよね。なんとなく前置きして、周りをうかがいながら意見をいう。中庸を取ろうとする。なかでひとり、奈良の大学生のきまじめさに際立った印象を抱きましたが、賛成にしろ反対にしろ、ちょっとしたことで「民意」はひっくり返るんじゃないか。
その中で、手を休めない人たち。清水の高校生たちがそう。あと、京都の露店の若者。国葬よりも、こっちはさあ、というのが伝わって面白かったんですよね。

ああ、あれね。「大統領ですからね」と答えるのが、すごく面白いですよね(笑)。

🌖そう。手一杯で、それどころじゃないというのが身体から伝わってくる。清水にしても。あと、南相馬の原発から20キロ圏内にある家で過ごす、おばさんとひ孫の「その日」を撮った映像も。福島から見た「国葬の日」という。映画全体からは、ちょっとスピンオフ化しかねないところがあって。

そうですねえ。ある意味、いつ撮ってもいいような映像だとも言えそうなんですよねえ。あの、孫でなく、ひ孫なのか。おんぶしているシーンとか、よかったですよねえ。

🌖安心しきって、すやすやと寝ている顔がアップになるんですよね。
それで込山さんは、ふだん撮りに行くのに際して、どういうものを撮ろうと準備していったりするものなんですか?

ある程度は想定しますよね。こんなことが起こるかなあとか。でも、それにこだわったりしていないです。なので、現場で面白いことが起こればそっちについていくという。

🌖これはする、しないというのは? 撮影も兼ねたディレクターだと、進行も考えておかないといけないと思うんですよね。

そうですね。一人だとそうですよね。

🌖一人だと、自分ひとりの判断で進んでいく、その良さも悪さもありますよね。

そうなんですよねえ。まあ、良さのほうがいまのところ大きいんですけどね。小さなことですが、お腹が空いたけど、カメラマンはどうなんだろう?と気にしたり。ひとりだと、それはないですから。カメラマンといるといろいろ気をつかうんですよね。
カメラマンがいなくともやれるというのは、映像美を求められるような企画ではないというのもあるんですよね。瞬発的なものを狙っていることが多いので。
どんどん機材が小さくなって、長時間撮れるようにもなってきているので、ドキュメンタリーを撮っている人みんなそうかもしれないですけど、現場に入ったら10時間でもずーっと回していたいという人が多いんじゃないかなあ。

🌖そんなに撮れるものなんですか?

それは、たとえばゴープロ(GoPro)という、こんなに小さな(親指と人差し指の間に収まるくらい)カメラを肩につけて撮りつづける方法をしている人ともいますから。

🌖込山さんは、それは?

うーん。いい部分もあるんですが、それをすると編集がすごい大変なんですよね。10時間なら10時間、見なおさないといけないですから。
まあ、でも、けっこう回しはしていますね、僕は。オバアチャンのところも、あれはけっこう回しているから撮れたという。
ただ、それも、ずっと回していると、相手も「なんだ、ずっと回しているんだ」と警戒されるので、一度カメラを胸のあたりに下げて「へぇー」「そうなんですね」とか言い、一端止めたふうにしながら、録画はオンにしていることがあるんですよ。
だから、会話のシーンで、ちょっとローアングルというのが多かったりするのは、脇にカメラを構えて撮っていることが多いんです。

🌖へー。見なおしてみよう。

配給宣伝の東風Mさん   たしかに、おばあちゃんのところはそうですよね。なるほど。

もちろん、しっかり撮るというときは、カメラをちゃんと構えるんですけどね。

🌖ズームにしたりすることもあるんですか?

あります。いつも使っているのはもう古いですが、ゴープロよりもちゃんと撮れるカメラで、景色も撮れる。三脚も持っていきますから。

🌖わたしもルポの取材をしているときに歩きながら話を聞くのに、録音機をオンにするかどうか迷うことがあって、いつ録って、いつオフにするのか。なにげない雑談がよかったなあというので、そこを文字に再現したいんだけど、録れてないとか。

そういうことはよくありますよね。でも、ドキュメンタリーをやっている人は、ずっとブン回しているようになってきているかもしれないですね。テープとちがい、長時間撮ってもほぼゼロ円みたいなものですから。

🌖込山さんは、いつ頃からカメラを回すように?

もともと学生時代からカメラはやってはいたんですよ。8ミリフィルムの映画とかからやっていたので、まあまあ、撮るのも好きは好きなんですよね。

🌖では、撮れるディレクターがカメラマンにいてほしいと思うのはどういう時なんですか?

それは、いまこうやって取材対象者として、ここに私がいますが。インタビューしながら私を撮ろうとすると、正面打ちとか、せいぜい横打ちといって、斜めから撮るくらいになりますよね。
だけど、カメラマンがいると、真横からのショットでインタビューのいい画を撮ることができます。
あと、太陽が向こうにあるときに逆光で撮りたいというなというときだとか。カメラマンが撮る画のよさというのは多いですから。

🌖ええ。

ただ、気遣いの問題ですよね。ここから仕事をはじめます。終わりました、ご飯にしましょうか。というふうにいかない。それで、一緒にやっているとこちらは気を遣い、コンビニ寄ったほうがいいかなあと訊いたりするんですよねえ。
カメラマンによっては、食通の人がいて。どこのロケだというと、朝っぱらから「昼はあそこの店で食おう」と言ってくる。そういうのも嫌いなもので。
だけどこないだ、僕がそういうのを気にかけて「〇〇さん、お腹空きましたか?」と何度も訊くんで、「込山くん。ご飯をどうするとか、どうでもいい。出されたものを食べるから」と怒られてしまった(笑)。そのひとは、すこし年上だったもので気をつかったんですけどね。

🌖昔、そういえば、何を食べたいというカメラマンがいたなあ。

ああそうですか。まあ、だから私はスタッフがたくさんいるというのは合わないんでしょうね。

🌖なるほど。込山さんはひとりがいいというのがわかりました。すこしまた話を変えますね。この映画全体の感想を教えてもらえますか。

どういう映画になるんだろうと思ったんですが。やはり微妙なテーマなので。場合によっては、右からも左からもパンチが飛んできそうなものを。大島さんは「もやもや」と言っておられましたが、うまく言ったなあと。たしかに、これを観てみんな「もやもや」はするでしょう。
だけど、この映画の意義、これは残るものですよね。10年、100年と。たとえば吉田茂の国葬の日の映画はないですよね。ニュース映像くらいしか。この日、日本各地のいろんな「声」を拾い、残したというのは高い価値があると思います。

🌖そうですね。

一日で撮ったというこの勢い、大島さんはフジテレビの新入社員だった頃からすごいんですよね。
入ったばかりなのに企画書を書いては上司に出す。もう思いついたらバンバン書き上げる。ドキュメンタリーをつくりたいという情熱がすごいんですよ。しかも、採用される。新入社員なのに(笑)。
要するに、全共闘世代のすこし下くらい人たちが上司に多くて、議論好きで、元気のいい若造が好きなんですよね。

🌖なるほど。

同期の若者というと、育ちのいいご子息、ADから頑張りますというような人たちが多いんですよね。フジテレビだと。
もちろん、大島さんもご子息ですけどね。だけど、そんなふうに見られたくないというのがあったでしょうし。血気盛んというか。それで、企画書をバンバン出しては通していく。その頃に僕は知り合うんですよね。
大島さんが25、26ぐらい。私はフジの契約ディレクターで。あれ、こんな話していたら、どんどん脱線しちゃいますね。すみません(笑)。

🌖いえいえ。それで、この企画は大島さんから話があったんですか?

そうですね。最初、電話で。次の日にウチにいらっしゃったんですよね。

🌖訪ねて来られた?

そうです。電話でやりますと答えていたんですけど、2日前だったかな。わざわざ会いに来る必要はなかったように思うんですけど、そのへんは「会って話したい」というひとなんですよね、大島さんは。そういうところ、嬉しいですよね。

🌖出版の世界だと、一度も会わずに仕事が続いていたりする。なかにはメールのやりとりだけで声も聴いたことがないとうのもめずらしくないんですよね。

僕らもけっこうそうです。でも、メールだけというのはないかなあ。私もそうですけど、ちょっと前の人たちは会って話してというのがいいんですよね。

東風Mさん    たしかに、私たち東風にも、電話とかメールでもいいのに、わざわざ会いに来てくれるので、大島さんもそういうタイプのひとなんでしょうね。

ドキュメンタリーをやる人は、やはり顔を見てというひとが多いんじゃないですかね。この仕事を託せるかどうかを確認するというか。会ったら、こちらも責任を感じますからね。そのぶん、頑張らないと。メール一通で、言われるよりもねえ。
それに大島さんは早稲田の探検部だった人ですからねえ(笑)。まず、行動する。

🌖込山さんは、自分が撮られたものが今回のように映画の一部として編まれるということについて、どのように見ているんですか?

それはもう託したものですから。ただ、編集するひとが困らないように、撮ったその夜に、どこどこのシーン、こういう人たちですというふうに書いて渡すんですよね。

🌖込山さんはふだん自分の作品は、自分で編集されるんですか?

ぜんぶやります。撮影、編集、構成、演出。ほんとうは音効もやりたいんですが、音は難しいんですよね。というか、編集が好きなんですよね。
編集しているうちにアイデアが浮かんだりしますし。現場で気づいていなかったことを、見なおしてみてそういうことかあと発見したりする。こっちの話を聞いて、そのあと別のひとが話しているのを聞いて、こうしょうとかということもありますし。編集は仕上げていく、クリエィティブな作業の50から70%くらいを占めると言っていいかもしれないですよね。

🌖なるほど。

だから構成台本を作って、撮影に行くということはやらないんですよ、僕は。あとから構成台本を書くんです。たとえば、ここに肉があり、野菜があって。さあ、何食べようかというかんじ。今晩はカレーだと煮込みながら、突然変えたりする。それが楽しいんですよね。それで、あれ、スパイスが足りないとなったらまた撮りにいく。自分ひとりだったら素材の追加するというのもよくやります。

Mさん    試写を観られたなかで、いま話に出てきた清水については「急に行って、どうしてあんなふうに撮れたの?」という声が多いのと、清水のシーンは印象に残ったとみなさん言われる。「希望だ」と。
いっぽうで、試写のあと、「これ、宣伝大変だねえ」と言われることが多いんですよね。メディアの人から。どう記事にしようか悩まれるらしく。勧善懲悪のわかりやすい映画ではないので。


あれは、たまたまドタバタしていたからああいうふうに撮れたというのはあったかもしれないですよねえ。

🌖うかがっていると、込山さんのキャラクターもあるのかも。

どうでしょうね。ひとを緊張させないように、とはいつも心がけていて。「あ、どうも」と入っていくんですよねえ(笑)。

アハハハ。と、ここで、リクエストしていた取材時間は尽きた。
今回、監督の大島新さんではなく、あえてお二人に話を聞ことしたのは、まず清水の撮影を担当したのはどんな人だろう? 
試写後の監督が登壇してのティーチインのとき、いつもなら絶対手をあげたりしない(極度のあがり症なので)のに、どんなカメラマンが撮ったのかを訊きたくなる映像だったんですね。しかも、ご本人がたまたま後ろの席におられるなんて。

前編で聞いた前田亜紀さんには、大島さんが監督をする際に前田さんはプロデューサーを務め、ときにサブの撮影(香川の取材で、コワモテの人にレンズを手で塞がれ妨害されてもスイッチを切らない仕事ぶり)もするなど、気にかかる存在でした。
公開が控えている前田監督の『NO選挙、NO LIFE』(畠山理仁さんを追ったドキュメンタリー)では大島さんがプロデューサーを務めるなど、監督とプロデューサーを交代させながら作品を世に出していくというのは面白い関係だなあと興味がつきないところです。

取材後、大島監督が映画のパンフレットに載せる写真を撮ろうと、愉しそう

9/16(土)よりポレポレ東中野ほかで公開。詳しくは↓










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