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早川義夫さんの『ぼくは本屋のおやじさん』を読みなおす

 わたしが大阪・阿倍野にあったユーゴー書店に就職したのは、70年代の終わり頃だった。学生時代に1年くらい、アパートの近所の本屋さんでアルバイトしていたのと、ユーゴーをやめてからもいくつかの書店で働いたのをあわせると、10年くらい本屋さんで働いたことになる。
 本屋で働くことにしたのは、人とうまく話せないので、できれば話さないでいい。そういう仕事を選んだつもりだった。とくだん本が好きだとか、本屋が好きというわけでもなかった。ただ、いわゆる会社勤めには向いてないだろう、というかビルの中の部屋で働いているイメージがまったくもてなかった。

 だから、早川さんの「就職しないで生きるには」という晶文社のシリーズ本の『ぼくは本屋のおやじさん』を目にしたときは、すごくうれしかった。82年が初版だから、仕事にも慣れてきた頃だ。
 早川さんは、こつこつ本屋さんの新聞を作ったりするのに、意外にも「楽そうに思えた」からというのを、本屋をはじめる動機にあげていた。当時、ジャックスという伝説のバンドをやっていたというのは、ぼんやりと知ってはいたが、そういう芸能関係の仕事の人は不摂生な生活をしていて、とても本屋の店主になるイメージではなく、それなのにというギャップにもひかれた。
 しかも、表紙のノンビリとした感じ。
 本屋のおやじである早川さんは、きまじめに本屋をし、だから、いろんな不満をもっていた。注文しても本が入ってこないことや、ヘンな客に悩まされる。日々のぼやきに、おなじ書店勤めとしていやされた。
 わたしが就職したユーゴー書店は老舗書店ということもあり、取次との力関係では恵まれた環境にはあったが、接客で困らせられるというところは似たものがあった。なにより話さなくてもすむと思っていたのが、頻繁に出版社の営業の人がやってきたり、お客さんの問い合わせに応えないといけない。
 一年目からビジネス書と雑誌と入口のレジの責任者をおおせつかり、高校を出たばかりの女子の同僚を何人も年齢が上というだけで部下につけられたのは、まったくの計算違いだった。それまでの人生で女子とやりとりするなんてかったからだ。
 本にカバーをつけるのも一苦労だった。ひとに見られていると思うと、指が震えた。実際見ているお客さんなんていないのだけど。だから、プレゼント用の包装を頼まれると、同僚の女子を呼んでやってもらった。早川さんも不器用らしく、包装を頼まれたときの逃げ出したくなるような困惑を書いている。そういうダメなエピソードにすくわれたのを記憶している。

 早川さんもまた人と接するのが苦手だったらしく、困ったお客さんとのイライラさせられた出来事を度々書いている。大喧嘩になりそうな。でも、なんとか収まるのは、ときおり「うちのが」とか「女房が」とか書かれて登場する奥さんの存在が大きい。すごくフツウな人で円滑なクッションになっている。
 近所の人とうまくかかわりながら、でもバイトの男の子にいわれた一言に、そんなことを思っていたの…、とすごく落ち込んだりする。控えめだけど頼れるこういうひとが傍にいるから、早川さんはちょっとヘンクツな本屋のおやじさんを営むことができていたんだなぁというふうに、読み返しながら思った。

 いつかこの本屋さんを見たいと思っているうちに、早川書店は店を閉じ、かなわなかったが、のちに早川さんに会うことはできた。本屋をやめ再び歌いだしてからCDをときおり聞いてきた。ライブにはまだ行けていないが、「しいこ」こと早川静代さんにもお会いすることもできた。
「週刊朝日」の連載企画で、ご夫婦のなれそめから今までを聞くという趣旨の取材。2016年の秋で、場所は都内の早川さんの別宅マンションだった。
 記事では対談ふうになっているが、おふたり交互にインタビューするかたちで進み、8割ぐらいは早川さんがしゃべった。「で、どうなんですか?」と隣に座る静代さんに振ると、おっとりと答えが返ってくる。
 写真撮影となったときに、注文をつけ、そわそわするのは早川さんのほうで、静代さんは、どんなふうに撮られてもいいです、という。かっこいい。
 取材中もふつうの夫婦の関係では考えられない話がいっばいで、「本当に?」と静子さんに何度も聞いた。そのたび、おだやかな表情をされていた。ものすごくミステリアスな女性だった。
 取材を終え、駅まで見送ってもらう途中、イタリアンレストランで遅い昼食をとり、カメラマンと四人でまたすこし話した。早川さんが、カメラマンに「どうしたら僕は山本さんに好きになってもらえるのだろうか」と口説きモードで質問するのを、妻の静代さんは、また始まったわ、というふうにして耳を傾けながら笑っている。
 店を出て、駅まで四人で歩き、帰って行かれるふたりの後姿を見送った。肩が触れ合う距離で寄り添い遠ざかっていく背中を、見えなくなるまで眺めていると、山本さんが「理想ですねぇ」と感心した。

 3月末。早川さんのツイッターに、「しいこ」こと早川静代さんが亡くなられたというつぶやきがありました。しまいこんであった記事のファイルが見つかったので掲載します。撮影は山本倫子さん。


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