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「社葬」に出席してドギマギしました。

 

 先日、社葬に出席しました。葬儀屋さんの社葬です。
 なくなられたのは、「ドライブスルーのお葬式」の考案者の荻原政雄(株式会社レクスト・アイ前社長)さん。取材をさせていただいたのは今年2月で、急性心筋梗塞で6月に他界されたとのこと。享年67歳。

 荻原さんと長年仕事を共にされてきた女性社員の方から電話をいただき、取材の際にはもちろんそんな様子もなく、驚いていると「自分たちも驚いています」と声をつまらせておられました。
 およそ4時間のインタビューだったとはいえ、一度お会いしただけの取材記者にまで電話をいただいたことに?と思っていると、記事に掲載した荻原さんの写真を、社葬の際にパネル展示したいのでデータをもらえないかというご相談でした。葬儀はすでに親族ですまされたとのこと。

 載った記事を荻原さんが気に入って、社員にコピーをして配られていたそうで、お知らせいただいたMさんからそう聞くと、取材者としては嬉しい。データホルダーの写真を見返すと、取材時のことが思い出された。

「話が長くなりますよ」
 荻原さんに葬儀の仕事に就くまでの経歴を知りたいというと、流通や販売関係の会社を移りかわり、互助会の会社にスカウトされたという。記事では短く掻い摘んだが、人の縁を大事にして苦労人だというのは伝わってきた。

 その後、社員の方から社葬のご案内をもらったので出かけることにした。
 新幹線で11時すぎ上田に到着すると、駅のロータリーには、事前に伝え聞いたとおり、小型バスが待機していた。
 会場まで、徒歩7分。歩けない距離ではないが、炎天下だし、せっかくなので乗車しました。先日、知人の13回忌に参列したときは、降りた駅が無人駅でタクーシ乗り場もない。仕方なく、お寺まで40分くらいテクテク歩いて、汗はダラダラ、自慢じゃないけど、すごく方向音痴。もうすこしでぶっ倒れるところだったから。

 貸しきりバスの前で、喪服の上下に白い手袋、髪を短く刈りあげた案内係の男性が立っていた。葬儀関係の人たちの背筋の伸びた姿勢と、白い手袋が眩しかった。

 バスを降りて、びっくり。
 結婚式に使われることが多いという会館の前の案内ボードに、送った写真が使われていた。
 荻原さんが考えた「ドライブスルーのあるセレモニーホール」の施設の中で、お気に入りのスペースだと案内してもらった喫煙室での一枚。
「壁も床も大理石って贅沢ですよね」わたしが感心してジロジロ見ていると、ご自身はタバコをやめたという荻原さんが「こそこそ喫煙しているのを見るのはかなしいでしょう」という。せっかくだからと、腰をかけてもらって撮影したものだった。

 目線を問われ「自然でいいです」というと、宙を仰がれるようにされていた。何枚か撮ったなかに、眼を閉じられたカットがあり、ちょっとお疲れなのかと思ったけれど、まさかこんなに早く……。率先して働くひとだったのだろう。そういえば取材のやりとりも、荻原さんのケータイに直接だった。


 会場になった会館は、荻原さんが長年勤められた場所でもあるとのこと。一階のロビーホールに、パネル展示のコーナーが設営され、愛用のゴルフバックと日本酒の瓶が並べられ、中央に先ほどの写真も飾られていた。

「自分のときも、こうしてもらいたいなぁ」
 同じバスに乗り合わせたグループ会社の社員さんらしい年配者が、展示コーナーの前で語らうのを耳にして、ひと手間の掛け方に故人と社員の関係は見えてくるものだと思った。

 受け付けの列が出来ていたが、「取材」「報道」といった張り紙はなく、とりあえず「関係者」というところに並んでみた。
「あのぅ、関係者というわけでもないんですが」というと、「いいですよ、こちらで」受付の女性から記帳用紙をもらい、書き込んで戻すと、
「写真を撮っていただいた方ですか?」
「ああ、はい」
 記事は読んでいますと言われ、社員全員に配られたというのはお世辞ではないとわかった。

 エレベーターで会場に向かい、ここからはドキマギするばかり。告知に12時からとあったので、余裕をみて20分前に会館に到着したものの、読経が聴こえてくる。
「お先に、献花をお願いします」と花輪が並んだ式場の入り口で、白いカーネーションを一輪受け取った。
 式場内には百席くらいのイスが配列されていた。しかし、誰ひとり着席していない。祭壇の両脇に喪服のおそらくご家族と、社員の方らしきひとたちがおられた。
 でも、なんで席に誰一人座ってないのだろう?
 慣れないもので、というか、社葬に出席するのはこれが初めてのこと。戸惑いました。
 献花は焼香の代わりらしく、捧げたあとは、さあ、どうしたものか。会場の隅に立って様子を眺めていた。献花をおえた人たちは次々と式場を出ていく。
「こちらは、定刻の30分くらい前からはじめるものらしいよ」と話している声が聞こえ、時間に遅れたわけではないとわかって、ホッとした。


 隅っこに立っていても逆に目立つだろうと後ろの席に座ることにした。しばらくして、一人、二人と間隔を空け、後方に着席するひとが出てきて、ふたたびホッ。しかし、献花をすませたひとたちはどこへ向かったのか……。ここを出たら、帰るしかないだろうに。
 一時間くらいだろうか、献花するひとが途切れたのを見て、告別式をおえると進行役の男性がいう。途中、一度、読経する僧侶も交代していた。御経から日蓮宗らしい。

 百席もある式場に最後まで着席していたのは、5人。前方がぽっかり空いた空間は妙なものだ。
 後にわかったのは、献花をすませたあとは隣りの「控え室」で待機するようになっていたらしい。結婚式の披露宴会場に使われる部屋に、丸いテーブルが小島のように配置されていた。
 わたしのように知り合いがいるわけもない人間は、式場にとどまっていて正解だったようだ。こういうとき居場所を探すのに困るんだよなぁ。というか、大勢集まる場所が苦手だし、いつもながら居場所なく、そういうことをチマチマと考えている自分が情けない。

「東京と違い、こちらの葬儀は、会葬者は焼香をすませたら帰られることが多いんですよ」
 荻原さんが「全国初」となる葬儀ホールにドライブスルーを導入しようとした背景には、地方都市ならではのお葬式の仕方が関係していた。
「メディアのひとは、みなさん誤解されるんだけど」
決して簡便化を狙ったものではない、という説明をされていたときの顔が思い浮かんだ。

 都会で一般的になりつつある「家族葬」は長野ではまだまだ少数で、会葬者が多い土地柄。会葬者が多いのは日ごろの付き合いを重視するからだろうが、半面、焼香を終えると長居をせずに辞去されるひとが多いということだった。
 そういえば、告別式の部屋よりも奥の「控え室」のほうが広く見えたのを思い出した。「おとき」と呼ばれる、葬儀後に近しいひとたちの会食場にも使われるということだったが、お葬式の作法は各地で違うのだというのを実感した。


「あのぅ、わたし、このあとどうしたらいいでしょう?」
 進行役の人の説明によれば、告別式が終わり、これから葬儀に入るという。いまひとつ事情が飲み込めず、どうしたものかと迷っていると、唯一面識のある(荻原さんを取材した折に秘書のように傍らにおられた)久保田さんが目の前に歩いてくる。
「遠いところ、ありがとうございます。お時間が大丈夫でしたら、このあと会場の整理をしたのち、葬儀になりますので、隣の控え室でお待ちいただけますでしょうか」
「ああ、はい(なんかカッコ悪かった)」

 ようやく勘違いしていたことに気づいた。葬儀があり、告別式となり、出棺となる。頭の中には、お葬式といえばこのイメージしかなかった。
 けれども、こちらの順番は逆らしい。告別式(献花)をおえた後に、メインの葬儀に入る。余裕をみたつもりがお葬式が始まっていたという事態にプチパニックに陥り、「献花と読経だけ。めちゃシンプル。こういうのもあるんだなぁ」とひとりで感心すらしていた。アホだなぁ。

 15分ほどで式場に席が増やされた。作業の手際がいい。入場を促されると、150席ほどが満席になった。ここからはよくある「お葬式」だった。
 献花には五百人くらいは来られていたと思うが、葬儀に出席されたのはその何分の一。ドライブスルー方式は、告別式だけで帰られる、それも車椅子を利用するなど介護が必要な人たちに向けたサービスだと話されていたことを、あらためて、なるほどなあと得心した。東京や大阪などの大都会に暮らしていたら、ドライブスルーという発想はなかっただろう。

 お坊さん方が6人一列になって入場されるのを、立ちあがってお迎えする。よくお参りすると荻原さんが話されていた、善光寺の長老をはじめ、これほどお坊さんが揃うのも社葬ならではのことだろう。
 祭壇は長野の山の峰をイメージさせるものだった。「友人代表」で弔辞を読まれたのは建設会社の相談役をされているひとで、同郷の高校出身で気が合ったという。惜しむ気持ちが伝わってきた。

「社員代表」で弔辞を読まれた女性社員が語る荻原さんのエピソードがよかった。アイデアマンであるとともに、仕事に厳しいひとでもあり、陰で泣いたという。「一秒前は過去」が口癖の、常に前向きなひとだったという。
 会葬のしおりを見ると、「荻原社長の思い出に残るエピソード」という欄に、社員さんたちの談話が載っている。

「65才を過ぎても現役で働かせて頂けた事は、一言では言い尽くせない感謝です」
 という言葉から、インタビューの際に荻原さんが「うちは高齢のおばちゃんたちがあってこそ」と、定年の年齢を超えても互助会の勧誘に精力をそそぐベテラン女性陣をほめたたえていたのを思いだす。

「あのうどん、もう一度食いたいなあ……」
 という、つぶやきが泣かせる。式場の仕事が多忙のときに、社長自身が台所に立ち熱々のうどんを振舞ったという。
 そういえば、取材の際に、ホールで使う茶器を決めるのにもこだわりを話されていた。
 葬儀は、一時間くらい。オーソドックスな会葬だった。

「お葬式は、何のためにするんでしょうね?」
 葬儀社の社長さんにする質問ではないような気がしながら、先日の取材の最後に荻原さんに聞くと、考え考えしながら、ご自分の考えを話されていたのが思い出された。
 荻原政雄さん。「法号」は秀功院常照法政居士。67年の人生でした。合掌

ドライブスルーのお葬式についての記事はこちらをご覧ください👇
https://note.mu/monomono117/n/nef86bddcf1c8?magazine_key=m2668c519b9b4

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