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樹木希林の最期の一年、その後の連合赤軍兵士、『正義の行方』を撮った木寺一孝さんをインタビューしました


木寺一孝さん
撮影🌖朝山実

「おまえはインタビューだけ。シーンが撮れないんだな」と蔑まれ、逆にインタビューをシーンにすることを考えた映像ディレクターのはなし

“インタビュー田原町10”のゲストは木寺一孝さん


5/11㈯、浅草のReadin’Writin’ BOOK STOREにて行った「インタビュー田原町10」。ゲストは、渋谷ユーロスペースほか全国劇場公開中のドキュメンタリー映画『正義の行方』の木寺一孝監督。
同名タイトルのノンフィクションを講談社から刊行した(先日、講談社ノンフィクション賞候補に選出された)の本の執筆と映画についてききました。
※全17000文字になります。

配信なし。会場参加者は23人(満席)。ほとんどの人が映画を観て来られていて、本も半数近くが既読ということもあり、作品の細かな説明を省略して始めました。

『正義の行方』は1992年に福岡県飯塚市で二人の児童が通学途中に誘拐殺害された「飯塚事件」をめぐり、元警察官、再審請求に取り組む弁護団、新聞記者たち、三者の証言(ときに対立し食い違う)を積み重ねていくドキュメンタリー映画であり、ノンフィクション本です。

2006年に最高裁で死刑が確定。08年に刑が執行された久間三千年(くま・みちとし)元死刑囚は一貫して無実を主張、当初重要証拠とされたDNA鑑定に専門家から疑問が出るなど、死刑執行がなされた事件としては初の再審審理に注目が集まっています。
※6/5 福岡地裁は第二次再審請求を却下。弁護団は即時抗告を決めたとのニュースが流れ、木寺さんはTBSラジオ・荻上チキsessionに緊急出演している。
https://radiko.jp/share/?t=20240605184201&sid=TBS 

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閉店後の本屋さんの棚を移動し出来た客席を前に2時間みっちりインタビューするという試みもこれで10回目。初対面の木寺さんの第一印象は、静かにひとを見ていてツッコミを入れるひと。冒頭のゲスト紹介の際わたしが「きょうのゲストはマエ(ダさん)」と言いかけて止めたのを見逃さず、すこしの間を置いて「さっき、(僕のことを)マエダと言いそうになりましたよね」と笑って指摘する。
ヤッパ気づかれていたんだ、とちょっぴり冷や汗が出ました。
この日、会場には『NO選挙、NO LIFE』の前田亜紀監督(大島新監督との動画チャンネル「ドキュメンタリー問答」で木寺さんをインタビューされていた)の姿があり、「前田さんが来られていますね」と開始直前に言われ、出だしの緊張感からやってしまったミスでした。意地悪というよりもツッコミを入れながら会場の空気をなごませる。これも木寺さん独特の取材手法のひとつだというのが、インタビューしていくうちにわかってくるのでした。   

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話すひと=木寺一孝さん
聞くひと🌖朝山実(文・構成)

🌙今日は会場が本屋さんなので、まず本の話から入ろうと思います。タイトルを映画と同じにされたのは?

木寺さん(以下略) 同じ題材のものを映像と書籍、ちがうアプローチでやれないかなと思ったんですね。あとは「冤罪」でも「司法」でもない「正義」としたのも、このタイトルにすべてが詰まっているものですから、これ以外に考えられませんでした。

🌙たとえば、『ノンフィクション・正義の行方』とか『映画「正義の行方」の話』のようなのは?

ああ、考えなかったですねえ。映像の世界観に近いものをという発想だったものですから。これまで本を書いたことがないですし。

©️Readin’Writin’ BOOK STORE


・書き手の〈私〉を出さない



🌙初の著書ということですが、これまで本にしないとかという話は?

話をいただいたことはあるんですけど。樹木さんが亡くなる前の『“樹木希林”を生きる』のときには数社から声をかけていただきました。ほかにも、自分のドキュメンタリーの人生を変えた、大阪・西成の子供たちを描いた『父ちゃん母ちゃん、生きるんや  ~大阪・西成 子供の里~』(NHKスペシャル・2003年)。これも10年くらいかけて撮ったんですけど、そのときにも声をかけていただいたんですけど、恐くてお断りしたんですね。

🌙コワイというのは?

要するに、放送後がじつは私の一番の仕事で。出てもらった人たちに、私が伝えたかったことに納得してもらえるのか。放映後もずっとケアしているんです。いまも『正義の行方』のことをやっているんですけど。

🌙ケアというのは?

出演者が嫌な気持ちにならないか。こちらの真意をわかってもらえるかどうか。もちろん放送前にもやってはいるんですけど、出来たものをご覧になられた後も、ずっとお会いして話していくということをやっています。

🌙テレビの放映後に、もう一度会いに行くということをされている?

いえ。一度じゃなく、何度も。たとえば『正義の行方』も、テレビ版と映画版、書籍版はそれぞれ内容がちがうので、その都度自分にとっては恐怖なんです。
テレビ版はよかったと言ってもらえても、映画を観て嫌な気持ちになることだってあるかもしれない。だからその都度、連絡をとり、会える人には会ったりしています。先日、福岡で上映が始まった際に山方(やまがた)元捜査一課長とは一緒に劇場に行きました。久間さんの奥さんとも一緒に。

🌙おふたり、それは別々に?

それは、もちろん別です(笑)。
(会場でも笑いが起きる。このひと何を訊くのだろうと。そりゃあ、そうか)

まあ、そういうこともあって神経をすり減らすんですよね。出演してもらった人との関係をつくっていって、さらに放送後も繋いでいく。そこに新しいメディアが加わるとなると恐くてしょうがない。しかも本の話はこちらがすり減っているところに声がかかるものですから。しかし今回の話は放送後、映画になる話の途中に来たんですよね。それだったらというので。
時期は去年の春くらいですね。
基本的にはインタビューが軸で、難題は行間にあたるものをどう書き込むのか。テレビや映画とちがう、いちばん苦しいところでした。

🌙執筆の流れは、撮影したインタビューの文言を文字に起こし、それをもとに地の文章にしていくというようなことでしょうか?

そうですね。もちろん構成は変えています。もともとテレビ、映画ともにノーナレーションでやっています。そこにNHKがもっていた過去の資料映像と音声を使って構成したんですね。本もできるだけ、その世界に近づけたいという思いがありました。

🌙わたしはまず試写で映画を観て、本を読んだんですね。最初に本を手にしたときは、正直にいうと映画データーの再録かなと、ちょっとがっかりしかかったんです。でも、読んでいくと、細部にいたるまで練って書かれているのがわかりました。
これまでの事件を扱うノンフィクションの書き方とはまったく異なる書き方を選択されている。どうしてこういう書き方をされたのか聞いてみたいと思って、きょうゲストに来ていただいたんですね。
とくにこの本の場合、多くの事件ノンフィクションで見られる、書き手の〈私〉がなぜ事件に興味をもち、どういうふうに取材対象者を探し出し、話を聞きに行ったのか。そうした語りや説明はなく、当事者の証言、事実経過のみをストイックに積みあげる書き方を選択されています。斬新だと思いました。もちろん意図したものですよね。

もちろんそうです。映画では、どの立場にも肩入れしない、中立にやるということを一生懸命やっているんですね。そこに〈私〉の主観は入らない。判断はご覧になった人がするという世界観になっていると思うんです。
森の中を彷徨うかのような、真相はどこにあるんだろうか。悩みながら観る、そういう造りになっていると思います。それに対して、これは書籍だから〈私は〉と書き始めることは不可能で。映画の世界観と共通したものを構築するには、まずその選択肢はなかったですね。

🌙なるほど。

今回、講談社の編集者の浅川さんと話して出てきたのも、まずこれまでのノンフィクションにない内容にできないかということだったんですね。
つまり、ゴールが決まっていない。映画が提示しているように、「藪の中」「羅生門」のようなものを書籍でもやってみよう。そのためには淡々とした筆致で、証言と証言の間は状況を埋めていく。ノンストップで読んでもらうためには、詳しすぎる情報は極力抑える。これが大方針でした。
工夫ということでは、映画では使っていない、西日本新聞の過去の新聞紙面を載せることで当時の状況説明を補っていく。写真を多く使うことで、映画を観ずともイメージしてもらえるようにしています。

🌙逆に、〈私〉を出さない書き方というのは難しくなかったですか?

今回、本を書くのは初めてですけど、NHKのドキュメンタリーでは毎回ナレーションを書いてはいます。たとえば『“樹木希林”を生きる』だと、「私が、樹木希林さんの撮影を始めたのは去年の6月のことでした」で始まる。
ただ、ふだん〈私〉を出さず、出来るだけ情報を研ぎすまして効果的に書くという訓練を積んできたので、むしろそうした書き方の方が自分には楽なんですね。それこそ「私は」と書き出してしまったら、自分自身が迷宮に入りこんでしまうそうで(笑)。

🌙なるほど。わたしは、〈私〉を出すノンフィクションに慣れすぎてしまっていたのかもしれませんね。ところで先日、大島新さんと前田亜紀さんが映画の作り手に訊く動画番組「ドキュメンタリー問答」に木寺さんが登場されていたのが、すごく面白かったんですね。


今日も後ろの席のほうにいらっしゃっていますよね、前田さんが。じつはこの前、あそこでしゃべり過ぎたのをちょっと後悔しているんですけど。

🌙まだ見ていないようでしたら、ぜひ視聴してみてください。同業者であるドキュメンタリー監督が監督にそこを質問するんだという視点が面白いんですけど、驚いたのはスクープを放った西日本新聞の元記者の宮崎さんたちと遺体発見現場を再訪するという場面の話です。
一瞬、宮崎さんがひとり離れて佇んでいる。木寺さんが気にとめていると、涙ぐんでいる様子だったという。それは映画の中には?

出てこないです。別に号泣されていたりしたわけでもなくて、ああ泣かれているんだなと思い、とくに触れなかったんですけど。

🌙おそらくノンフィクションのライターなら、その場面を目撃した10人中9人はその場面を文字にすると思うんですよね。けれども、本にもその場のことは一行も出てこないんですね。

ああ泣いているなあというのは撮れていたりしたんですが、使わなかった。なぜかというと、そういうものを伝えたいわけではない。

🌖なるほど。

・横山秀夫のDNA



今回、映画の応援メッセージを横山秀夫さんにお願いしたんです。ぜひご覧になっていただいて、もし感想をお聞きできるのであれば書いていただけませんか、と手紙を送ったんですね。ええ。もちろん、僕が自分で。
横山さんの本はすべて読んでいて、僕の中には横山秀夫のDNAが流れていますと書いて。
たぶん、横山さんの小説がお好きな方が映画をご覧になられたら、わかっていただけると思うんですけど。警察の世界、記者の世界、人間関係の中にこそ事件があるという横山さんのDNAが僕の中に深く刻まれています。そういったことを4枚くらい熱烈に書いたんですけど。なかなかお返事がなかったので、これは無理だったかなあと思っていたら、来たんです。
パンフレットに採録してありますが「ありがちな推断、誘導、泣かせを排斥し、」と書かれていた。さすが、わかってらっしゃると思いました。
しかも「事件の探究者たち」と書かれてある。つまり、警察や弁護士やメディアという位置づけではなくて、三者をまとめて「探究者たち」と書かれていたのが僕は、横山さんに伝わってよかったなあと。このコメントがもう嬉しくてうれしくて。

🌙感激が伝わってきました。

渋谷、ユーロスペースにて。

あと、批判的なご意見として、久間三千年・元死刑囚がどういう人物だったのかが乏しいというご指摘を受けるんですね。映画の中でもそうですし、書籍でも。ただ、そこに踏み込むと、これは僕の評価が入ってしまう。エピソードをチョイスするだけでも入ってきますから。
奥様がおっしゃった、彼は子煩悩だったというのがギリギリ。書籍では感情に訴える部分、ウェットな部分はできるだけ削ぎ落していくという作業をしていました。

🌙なるほど。

僕が唯一ウェットと思いながら映画の中で入れているのは、後半、宮崎記者が「あのとき僕は」と遺体発見現場で被害者遺族の慟哭を目にしたときのことを話す、その際に目が潤む。感情に訴えかけるところがあるのでテレビではカットしたんですが、映画と本の中には入れています。

🌙ノンフィクションのライターとはそういうところは違いますね。

もちろん、ノンフィクションのライターではありませんので。おそらく、映像から発想するからじゃないかと思います。ただ、僕がテレビの仕事をやりはじめたときには、沢木耕太郎さんの『人の砂漠』であったり『敗れざる者』を読んではいるんですよ。20代の頃に。
僕はもともとNHKに入ったときには、ドキュメンタリーなんかやりたくないと思っていたんです。それが東京に移動してからですから、読んだのは20代の後半ですね。

🌙なぜドキュメンタリーはやりたくないと?

教養がないんですね。一冊も家に本がないような環境で。僕の親は、佐賀県の有田町という焼き物の町で陶工、釜焚きをしていたんです。徹夜して火をくべて焼き物を焼く。母親も同じように工場で働いていて、家で本を読んだり、レコードを聴くという文化はまったくなかった。そういう中で育ったので一般的な教養がまずないというのと、まあ、嫌いというのも。

🌙勉強が嫌い?

うーん。まあ、NHKでも教養番組部というのが本流としてあって。本を読んで番組をつくる。歴史であったり政治的なものであったり。僕はそういうのが好きじゃないというか、勉強番組が嫌いということなんでしょうね。ドラマがやりたい。人間ドラマがやりたいと思っていたんです。それも浅はかな考えで、間違いだというのは徐々に分かってくるんですけど。

🌙あ、忘れそうになるので、聞こうと思っていたことを先に訊きますね。〈私〉を出さないと決められていた説明は先ほどうかがいましたが、一か所だけ。あとがきのところで〈私〉が出てくるのは?

とくに意識したことはないんですけど。たぶん、そのぐらい心が動かされたということかもしれないですね。そうですね。あの場面では。

🌙そこでも〈私〉を出さない書き方をしようとは?

ご指摘のところはエピローグの文章ですよね。プロローグとエピローグは、本文とは文体を変えていて、切り分けているというのもあります。
もっというとエピローグの最後は、いまの弁護団の状況で終わるんですね。まもなく二次の再審の決定が出ますけれど、そうした話も本文には入れず、物語としては宮崎さんの言葉で終わる。
そこに「弁護団は」と書くと世界は崩れてしまう。一方に傾いてしまう。だから宮崎さんの言葉で終わり、エピローグでそれぞれの「その後」を書いています。

🌙なるほど、そういうふうに細かく書き分けているということですね。

そう。だから今回、映画の中でも「新証拠」を文字情報として付けるかどうかというのはものすごく悩んだんですよ。
結局は付けなかったんですけど。付けると、一方に傾いてしまう。
警察の受け答えがないままに、弁護団はこういう新証拠を出していますと映画の最後に放り投げてしまうと、この映画はそれが狙いだったんだとなりかねない。
いまだ現在進行形だというのを付けたほうがいいという意見もありますが、そこは踏み止まる。これは「正義の行方」であって「裁判の行方」ではないんだと。
ただし、パンフレットの年表にはそうした事件の経緯も書いてはいます。そこも切り分けて。ご覧になった方が判断してもらえるようにと。

🌙なるほど。そうですか。

でも、なんかご不満そうですよね。まったく納得いかないという感じに見えますが(笑)。

🌙いえ、そんなことはないです。勘ぐりすぎじゃないですか?

そうですか。僕は、どうも人を疑うところから始まるものなので。
(会場にクスクスと笑いが起きる)
基本的には、自分は刑事みたいなところがある。弁護団より刑事に近い体質をもっていますから。

・あえてズームが使えないレンズを選んだ


【木寺さんの「飯塚事件」の関係者への取材のスタートは弁護団に始まり、10数年に及んでいる。同様に長い期間取材を続けているジャーナリストには清水潔さんがいる。それでも、捜査に当たった警察官と3年近くも関係をつないできたというのは木寺さんの特異なところだ。このひとだからこそ撮れた場面もあるとともに、インタビューに際して劇場で映画を観直したときに強く印象に残った点がある。】

🌙それまでカメラを前に雄弁に語っていた元刑事さんが、ある質問のところで目線を落とす場面があります。所作に言葉以上に何かありそうだなあと見えるというか。別の元刑事さんのちがう場面ですが、泰然と話されていたひとが突然、身体を揺らしはじめるのも気になりました。

それは誰ですか?

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