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「お墓じまい」を見学

「墓じまい」をすれば、要らなくなった墓石はどうなるのだろうか?
石屋さんに訊いてみました。




「センセイ、あそこに見えるのがジョン万次郎のお墓です」
 運転席の松本さんが、左手をちらりと見る。
 ジョン万次郎?
 助手席の編集者Fさんが、アメリカに渡ったひとですよ、という。すごいですねぇとカメラマンの山本さんが応じる。
「ああ、まんじろう……」
 こたえはしたものの、車中の会話にひとりだけ入っていけずにいた。アメリカに渡ったのに、お墓がなんで東京都内の雑司ヶ谷にあるのか……。言おうとしたが、やめた。わざわざ無知無教養をさらけだす必要もあるまい。せっかくセンセイと呼びかけてもらっているのだから。
 
 2018年10月。「墓じまい」があるという知らせを聞いて、豊島区の雑司ケ谷霊園を訪ねた。連絡してもらったのは、軽のワンボックス車を運転する「石誠メモリアルサポート」松本高明さんだ。

「当日は朝10時から施主さんのご家族立会いで行いますので、センセイは9時30分には管理事務所の前に来ていただけますか」

 松本さんはいつも物腰が低い。「墓じまい」の仕事をされるにいたる経緯を先日インタビューされてもらった初対面の時以来「センセイ」と呼んでいただいている。
 先生じゃないので、やめてください。わたしはライターであって作家ではないと訂正するものの、「本を出されているだから先生ですよ」と松本さんも譲らない。ファミレスの支払いをめぐって「ここは私が」と押し問答するみたいで、センセイなんて記号みたいなものだとやりすごすことにした。

 墓じまいの現場を見学させてもらうのは、二回目になる。前回は小平霊園(東京都東村山市)で、やはり松本さんが請け負った現場だった。
 小平霊園もそうだが、雑司ケ谷も広い。ひどい方向音痴なだけに迷子になってはいけない。早めに家を出たら約束の時間より30分以上も前に到着し、管理事務所の場所を確認すると霊園内を散策することにした。

「その日は、私たちは朝早くに行って準備をしています」といわれていたから、散策するうちにバッタリ出会え、松本さんの仕事ぶりを見られるかもとも思ったが、いゃあ、広い。谷口ジローの漫画に出てくる「散歩する人」になったつもりで周囲をながめながら歩いていると、犬を連れた人とそこかしこですれ違う。格好の散歩コースになっているらしい。
「○○家之墓」といった定型のお墓にまじって、山の岩肌を連想させる自然石を使った墓石が目に入り、「おお、いいな。つげ義春っぽい。自分だったらこういうのにしたい」って、常々わたしのお墓は要りませんって公言していたことを忘れそうになる。
 しかし、まあ広すぎて、目につく墓石の方向に歩いていくと戻れなくなりそうで不安でもある。時計を見て、管理事務所を目指した。
 あとで霊園の管理事務所に置かれていた「案内図」を見ると、漱石、荷風、鏡花、夢二など著名人のお墓がたくさんある。文豪のなかに羽仁五郎の名前を見つけたときは、見逃したのがすこし残念だった。



「すぐソバまでと思ったんですが、お墓の中にクルマは入れないので、センセイ、ここから歩いていただけますか」

 霊園の管理事務所前の駐車場から松本さんのクルマに便乗し、一度霊園を抜け、外周の道を走り移動すること5分ぐらい。
 クレーン車で墓石を吊り上げて運びだす。そんな作業をイメージしていたら、「きょうは使いません」と松本さん。

「テレビドラマの『寺内貫太郎一家』の時代には、私はまだ石屋ではなかったんですが、雑司ケ谷霊園で作業をしていると、『どこの石屋さん?』と自転車をこいだ寺内貫太郎にそっくりなオヤッさんから声をかけられますね。このへんは古い石屋さんが多いですから」

 都営の霊園については業者の指定はないが、歴史のある霊園だけに周囲には昔からの石材店が多い。
 クレーン車などの重機を道路に横付けしていると人目をひく。多死社会だといわれ、墓地が不足しているといわれる一方で、墓石を扱う石屋業界はサバイバル業種のひとつに数えられている。出る杭は打たれる。松本さんのように地元の業者ではない「外様」は穏当にするのが肝心だという。
 しかしクレーンが必要な作業を、重機もなしにするというのは一体どうやって行うのか?

「ああ、もう来られていますね」
 先頭に立っていた松本さんが早足になる。取材者のわたしたちを迎えに行くのと入れちがいに、墓じまいをされるご家族がすでに到着されていたようだ。
「センセイ。ご家族には取材が入るということの承諾は得ていますが、お墓の撮影などについては直接お話しいただけますか」と松本さん。もちろんですと答えた。


 家名の刻まれた墓石の前に、供花とは別に、ご家族が持参されたのであろう花束がひとつ置かれていた。
 事前に、施主さんはクリスチャンの方だと教えてもらっていた。小平霊園で行われた墓じまいも、年配のご兄弟がふたり普段着で立ち会われるだけで、「僧侶のいない」ものだった。
 
「皆様お集まりですので、これより始めさせていただきます。私、石誠の松本です。こちらはナガオカです」

 背筋を伸ばした松本さんが、隣に立つ青い作業着の職人さんを紹介する。背後には大きく成長した樹が葉を茂らせていた。まだ蚊がいるらしい。蚊取り線香がゆらゆらと煙をなしていた。この日はふたりで作業になるという。

 つよく印象に残ったのは、喪服姿の施主さんご家族が「式辞」の紙を用意され、大正8年に墓地を購入してからの百年にわたる家族の歴史を読み上げられたことだった。
 とくに取材が入るからというわけでもないらしい。その後、ご家族で賛美歌を合唱。僧侶の読経にかわるもので、すがすがしいものだった。

 このあと、ナガオカさんが一礼をしたあと、墓石を動かし、遺骨の納められているカロートにもぐりこむ。すっぽりと身体を入れると、ひとつひとつ丁寧に骨壷をとりだす。
 取り上げた松本さんが骨壷を斜めにし、溜まっていた雨水を吐き出していく。「台風の翌日だったりすると、カロートの中がプールのように水浸しになっていることもあります」


 
 丁寧に汚れを拭い、墓石の前に並べられた骨壷は大小9つ。
(骨壷の表から)お名前が判別できるのは、かろうじて、一個だけですが、ご確認いただけますでしょうか」と松本さんが呼びかけると、ご家族が近寄っていった。

「墓じまい」の儀式そのものは20分もかからずに終わり、取り出した骨壷は乾燥させた後、別の霊園の合同墓に埋葬となる。
 ご家族の集合写真を撮りたいということで、カメラマンがコンパクトカメラのシャッターを押すことになった。3歳になる男の子がカメラに向かい指をⅤの字にする。和やかな空気が流れた。
 70代のお母さんの実家のお墓で、管理をされていたご親戚の方が老齢となり墓じまいを選ばれたという。このあと家族で昼食をとると話され、場所をあとにされた。

「ああいうふうに紙を用意されていたというのは、めずらしいですね」と松本さんがいう。賛美歌もそうだったが、一連の流れに、いい時間に立ち会えたと思えた。
 置かれていた花束にどこからやってきたのか、ふわふわと飛んできた蝶が止まった。先日他界された樹木希林さんが母親役を演じた映画の中で、お墓参りの帰りに「蝶は故人の生まれ変わりなのよ」と説明するシーンがあったのを思い出した。
 お墓をつくるときには、僧侶に「魂入れ」の読経をしてもらうのが慣例の儀式で、墓じまいの際にもまた「魂抜き」の儀式が必須だといわれる。私事だが、実家の仏壇を動かす際にお坊さんを呼ぶ呼ばないできょうだいで論議したことがあった。「魂抜きをしないで動かしたら、どんなバチがあたるかわからんから恐いわぁ」と眉をしかめた姉とひと悶着したのは何だったのか。たまたまとはいえ二回続けて、お坊さんヌキの墓じまいに立ち会うと、墓石から魂を抜くって何だろう。儀式としてあってもいいが、そもそも絶対的な必要性があるのか疑問に思えてくる。
「それぞれご事情があるでしょうし」と松本さん。近年はこうした簡略化も珍しくないという。

「きょうは、このあと石塔を運びだします。サオ石といいますが」松本さんがダンドリを説明する。
 墓じまいは、遺骨や墓石だけでなく、地中の基礎も掘り返し、完全な更地にして戻すのが決まりだそうだ。仮に遺骨が「土葬」されていた場合、遺骨が出てくるまで2メートルくらい掘り返すこともあるという。
 墓地に草が生い茂っていたりすれば前日ないし当日の早朝から刈り取る。家族が墓参に行けないケースが多く、たいていのお墓は鬱蒼としているものらしい。
 小平霊園の墓じまいのときには、墓地の区画内の植木の剪定がなされていて「きれいになったのを見ると、惜しくなった」と施主さんがカメラを取り出していたのが印象に残った。

「素人ですから、そんなにきれいにはできませんが。私が剪定させていただくこともあります」と松本さん。そうした樹木も墓石とともに除去するのだが。







 大きさのちがう骨壷を見ていると、「事前におうかがいしている数と一致していましたが、たまに出てきたものが多かったりすることもあるんですよね」と松本さんがいう。
 多いって、どういうことなのか。
 以前お墓に関する本のなかに、お墓を買う余裕がないからと他人のお墓にこっそり納骨するという逸話が紹介されていたが、まさか……。松本さんから「たまに数があわないことはあります」と聞いて、びっくりした。
「まあ、(次に共同墓に納骨される際)少ない分にはご夫婦で一つにされていますというふうに言えるんですが、多いとねぇ……」困りますよねという。

 ドッドッドッ。
 墓地にトラクターを動かすような音が近づいてきたと思ったら、ナガオカさんが小さな戦車のような搬送機具を操縦している。クレーンで吊り上げるかわりに、これに石塔を載せて運び出すのだという。
「石塔一つでも300キロはありますから。手で持つというのは無理です」

 足なんか挟んだら終わりですね。

「終わりです。だから慎重にやらないと」とテコとなる木を間に挟みこみながら、家名が書き込まれた石塔部分を横にして台車に載せはじめる。いまさらだが、墓石の表面に汚れがないことに気づいた。

「事前に高圧洗浄器で汚れを洗い落としています」

 廃棄するためにわざわざきれいにするのか。
 骨壷を取り出したあとの、このカロートはどうなるんですか?

「埋めます。コンクリートなどで囲ってある部分と基礎すべてを撤去したあと、ぽっかり空いた穴は土を入れて埋め戻します」

 何も残さない?

「そうです。完全に更地にして返還するのが決まりですから」

 運びだされた墓石は、この後どうなるんですか?

「石はぜんぶ産廃ですね。いまは捨てるのも厳しくなっていて、とくに墓石となると引き取るのを嫌がられます。だから、原型がわからなくなるまで粉砕したうえで廃棄します」

 粉砕するのは?

「こちらでやります。クラッシャーという道路工事で使ったりするものを使って、小さくなるまで砕きます。どれぐらい砕くかは引き取ってもらう業者さんにもよりますが。
 昔はニュースになったりもして、よからぬ業者が山に廃棄するということもありましたが、いまどきそんなことしたら犯罪ですし、信用をなくしますから」

 そうした悪徳業者は淘汰されているという。いっぽうで、霊園の管理事務所による返還工事の完了検査も徹底している。現場に職員が立ち会うか、もしくは職員が後日確認した上で、問題があれば是正を求められる。(墓石や敷石などの)瓦礫か埋められていないか、地面に棒を突き刺します」など厳しいものだという。


 ところで気になっていた、カロートを開けてみたら遺骨の数が増えていたという話だが、わたしが読んだ本の中の「他人のお墓にこっそり入れた」という話、本当にそういうことってあるのだろうか。トラブル回避のためにも事前にカロートの中を確かめたりするものなのか。松本さんに訊いてみた。

「お客さんも正確に覚えておられなかったりしますから。よくわからないという場合は確かめるようにしていますね」

 さきほど話されていた遺骨が多かったというケースですが、それはまたどうしてなんですか。

「私が体験したのはずいぶん昔ですが、古いお墓を新しくしたいというご依頼でした。石塔も変えたいということで開けてみたら、シャレコウベがあったんです。ええ。頭蓋骨が。
 その場でお客さんに『あのぅ……』と電話しました。
 昔のことは自分たちにはわからないと言われました。あとを継がれた若いご夫婦で、昔商売をしていたときの従業員のものかなと。
 そのとき、私はまだサラリーマンの頃だったものですから、一度会社に持ち帰りました。お線香と水をあげさせていただきましたね。
 きれいなシャレコウベだけで、ほかの骨はなかったです。あれは、おそらくは火葬をせずに土葬したものではないか。社内で、事件性はないのか?と言いあったりしましたねぇ」

 結局、依頼主の要望で大事にはせずに元の場所に戻したという。じっと聞いていた編集者のFさんが深くうなずきながら「シャレコウベだけが」という点について、「古代中国では、遺体を風葬にしていたそうですね」と推理を述べはじめた。

「遺体を野ざらしにして二年間放置するそうです。白骨となったものをお墓に納めるのですが、頭蓋骨だけ一族の廟に祀っておいて、お盆や命日のとき、縁者の子供の頭にかぶせて、イタコのように死者を呼び寄せるということをしていたみたいですよ」

「へえ、お詳しいですね。シャーマニズムですね」と松本さん。そういう可能性があるかもしれないですねぇとうなずかれる。

 Fさんの推理は続く。「あるいは、土地の風習のようなものがあって、一度土葬してからシャレコウベだけを掘り返してきたのかも。沖縄には洗骨という風習があるそうですし」

「ああ、そうですか。しっかりとした骨のママ残っていましたから、そういうことなのかもしれませんねぇ。なるほどねぇ」
 感心される松本さん。なんとなく、もやっとした会話ながらこの場は収まった。読者の中にあるいはこういうケースが考えられるという方がいたら教えてほしいところである。

つづく☞次回は松本さんが石屋に転職するに至るまでの話

取材・文=朝山実
写真=山本倫子

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