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雨の日は、キライ、スキ。

 雨の日は嫌い。ずっとそう思ってた。めぐみに会うまでは。

 6月。新学期でもないのに転校生がやってきた。
「天野めぐみです。よろしくお願いします」
 頭をさげると、胸のあたりまである長い髪がサラサラ揺れた。透き通るような色白の肌に薔薇色の頬。お人形さんみたい、思わず葵はつぶやいた。
 めぐみは机の間を進んで、葵の隣に置かれた机に座ると、よろしくね、と静かに笑った。片方の頬にえくぼができて、葵は思わずどきりとした。
 休み時間になると、5年2組の女子がめぐみの周りに集まった。沙希が質問係だ。
「天野さん、どこから引っ越して来たの?」
「隣の県から」
「お家はどこ?」
「……健康ランドの近く」
 男子も遠くからちらちら見ている。転校生というだけでも気になるのに、こんなにきれいな女の子だったら尚更だ。

 葵は給食の時におしゃべりしよう、と意気込んでいた。なんてったって隣の席なんだから。担任の南先生は結婚して名字が東から南に変わったんだよ、とか、給食のカレーがとってもおいしいの、とか、いろいろ教えてあげなきゃと思っていたのに、4時間目が終わると、めぐみはいつの間にかいなくなっていた。
 
「昨日、午前中で帰ったの?」翌朝、登校しためぐみに沙希が声をかけた。めぐみが目を伏せると、それはそれは悲しげに見えて、思わず葵は話しかけた。
「今日の給食は魚のフライだよ。明日はね、一押しのカレー!」
「教えてくれてありがとう。だけど……今日も帰らなきゃいけないの」
そしてその日も給食の前に、めぐみは帰って行った。

 次の日、4時間目が終わった瞬間に、葵は小さな声でめぐみに聞いた。
「今日は給食食べる?」
「うん。一押しのカレーなんでしょう?」
「わあ、よかった!緑小学校名物なんだよ。一緒に食べよう!」机をガタガタと動かして、めぐみの机にくっつけた。

「わ、おいしい!」めぐみは目を見開いた。
「でしょ。うちの小学校、給食室があって、おばさんたちの手作りなんだよ。どれもおいしいんだけど、カレーは特別」葵が得意げに説明すると、めぐみはにっこり笑った。

 その日、めぐみは6時間目まで出席していた。転校3日目にして初めてのことだ。ふと外をみると、雨が降り出していた。
「天気予報では雨って言ってなかったはずなのになあ」
 みんなロッカーから置き傘を取り出して、帰り支度を始めた。めぐみは、と見ると、傘を持っていないようだ。葵は思い切って声をかけた。
「天野さん、私の傘で一緒に帰らない?」
「ありがとう。でもそんなに降ってないから大丈夫」
 玄関までくると、雨が強くなっていた。
「ね、一緒に帰ろ!私の家も健康ランドの方向だから」葵はぐっとめぐみの腕を引っ張った。
「うん……じゃあお言葉に甘えて入れてもらうね」
 大人びた受け答えをして、めぐみは葵の傘に入った。すらりとしためぐみは葵よりも背が高い。
「私が持つね」
 めぐみに傘を渡すと、急に視界が広がった。葵は、南先生が1ヶ月前まで東先生だったこと、時々間違えて東先生って呼んじゃうこと、学級委員長はしっかり者の沙希で、自分は図書委員だというようなことを話した。小さな傘の下、めぐみの髪が揺れるたび、いい香りがして葵はドキドキした。

 健康ランドの前までくると「ちょっと、待っててね」と、めぐみは雨の中を走り出し、建物の中に入っていった。
 葵が戸惑っていると、ビニール傘をさしてめぐみが走って戻ってきた。
「ランドセル、濡れちゃったから」とタオルを差し出した。健康ランドの名前が入っている。
「あの……私、今、ここに住んでるの。うちね、大衆演劇やってて、私も舞台に出てるから、昼の部に出番がある時は、早退しなきゃいけないの。だけど今日は最後までいられて、給食も食べることができて、とってもうれしかった。傘、ありがとう」

「あら、葵、帰ってたの?雨降ってきたけど大丈夫だった?」
「うん。あのさ、今、健康ランドで……」
「ああ、ポストに入ってたわよ、これ」
 〈天野劇団、参上!〉と書かれたチラシには、派手な着物を着た男の人とこってりとお化粧をした日本髪の女の人が向かい合っていた。隅に小さく並ぶ写真に、若い女性がいた。お化粧をしていて大人っぽいけれど、この片えくぼは……。天野小蝶と書いてあった。
「観に行きたいの?」
「え、ううん、そういうわけじゃないんだけど……」葵はチラシをたたんで勉強机の引き出しにしまった。

 翌日も朝から雨だった。
「みなさん、校外学習の日は帰宅時間がいつもより遅くなりますので、お家の方にちゃんと伝えておいてね」南先生がプリントを配った。観劇に行くのだ。めぐみはプリントをじっと見ていた。
「天野さんも行ける?」
「……この日は無理そう」
「お昼の公演があるの?」葵は小声で聞いてみる。
めぐみは小さく頷いた。
「でもね、今日は最後までいられるよ」

 帰り道、葵は赤い傘、めぐみはビニール傘。
「あーあ、コッペパン、雨じゃなければもっとふんわりしてたのになあ。せっかく天野さんが給食食べられる日だったのに。だから雨って嫌い」
「雨の日は嫌い?」
「うん、お気に入りの白いスカートもはけないし、髪の毛だって広がっちゃうし。男子が教室の中を走り回るし、廊下はすべるし、いいことなんて何にもない」
 めぐみはくすくす笑っていたけれど、私は雨の日、好きだな、とつぶやいた。
「昼と夜の公演の間にチラシ配りするの。お化粧したまま。もしかしたらクラスの子に会っちゃうかな、って恥ずかしくて。雨の日はしなくていいから」
「そうなんだ……」葵はチラシの小蝶を思い浮かべた。
「今度の校外学習も行きたいけれど、公演があるから。時々ね、なんでうちは、って思うの。早退しなきゃいけないし、行事は参加できないし。お友達ができたと思ったら転校しなきゃいけないし」そう言うとめぐみは寂しそうに口元だけで笑った。

 金曜日、めぐみは給食前に帰っていった。
「天野さん、今日も給食前に帰っちゃったね」
「アレルギーとか?好き嫌いが多いとか?」
「だったら特別食とかお弁当とかあるじゃん」
「だよね。それに普通は午後の授業は出るよね」
 沙希を中心に数人の女子がめぐみの噂をしていた。
「え、おまえら知らないの?」
 豪太が手に持っているのは、あのチラシだ。葵は思わずチラシを奪い取ろうと手を伸ばした。
「なんだよ、葵」
「それはダメ」
ひらひらさせていたチラシが豪太の手から離れて床に落ちた。沙希が拾う。
「天野劇団参上?」
「あ、これ、天野さんじゃない?」
「ホントだ」

「何騒いでるの、ほらほら、席について」
 南先生が教室に入ってきた。沙希が持っているチラシを取り上げると、みんなにも話しておいた方がいいわね、と教壇にたった。
「天野さんのおうちは大衆演劇というお仕事をされているの。天野さんも舞台に立っているのよ。小学生だけど女優さん。それで公演がある時は早退しているの」
 クラス中ざわざわしている。葵は下を向いていた。
「全国を回ってお芝居をしているのよ。だからこの学校には6月の間しかこれないの。7月には次の公演の場所に行って、そこの学校に通うのよ」
 急にみんなシーンとした。
「だからね、緑小学校はいい学校だったな、5年2組は楽しかったな、と思ってもらえるように、たくさんいい思い出作ってもらおう。ね?」 
 葵は賛成!と手を挙げた。続いて沙希も、豪太も。クラスのみんなが手を挙げた。

 休み時間に葵は沙希に相談した。
「天野さん、校外学習に行きたいみたいなんだけど、公演があるから無理だって。なんとかならないかな」
 しばらく考えていた沙希は、ノートに文字を書き始めた。
〈天野さんを校外学習に参加させてあげて下さい〉と大きく書くと、その下に自分の名前を書いた。
「署名活動よ。クラスのみんなに名前を書いてもらって、天野さんちに持って行くの」
「さすが沙希!」葵も名前を書いた。あっという間にクラス全員が署名して、その日の帰りに葵と沙希が届けることになった。

 健康ランドの入り口でうろうろしていると、葵ちゃん?と声がした。
振り返ると、チラシの小蝶がいた。お化粧をして着物を着ている。
「わあキレイ!天野さん?」沙希が声を上げると、ちょっと困ったような顔を見せたが、すぐににっこり笑って「そう」と答えた。
「あの、これ、お父さんとお母さんに渡して」葵が封筒を差し出した。
「何?先生から?」
「そう、緊急のお知らせだから、届けに来たの。絶対に渡してね」 
 その時、奥から男の人が出てきた。チラシの真ん中にいた役者さんだ。
「お客さんかい?」
「座長、学校のお友達が届け物を持ってきてくれました」
「めぐみの友達か。もう友達ができたのか」
 座長と呼ばれた派手ないでたちの男性はめぐみのお父さんだった。受け取った封筒をビリビリと開けると、中から出てきたノートをちぎった数枚の紙をじっと見た。
「めぐみ、校外学習に行きなさい」
「えっ」
「1日ぐらい公演はなんとかなる。観劇は勉強にもなるだろう」
「わーい!よかったー!ありがとうございます!」葵と沙希は飛び上がって喜んだ。めぐみはきょとんとしている。
「お嬢さんたち、めぐみのためにありがとう。くーぅ、泣けるじゃねえか。初めてきたこの街で、学校に馴染めるか心配してたんだ。それが一週間もたたねえうちに、こんな」と言うと、ボロボロと大粒の涙を流した。

 校外学習の帰りのバスの中は、賑やかなことこの上なかった。
「すごかったね」葵もめぐみも頬が上気したままだ。
「女優さん、かっこよかったな。私、やっぱりお芝居が好き。将来はあの女優さんみたいになりたい」
「うん、めぐみなら、なれるよ」
 パラパラパラ。バスの窓に雨粒が当たる。
「私ね、雨が嫌いだったけど、めぐみと会って、好きになったよ」
「ふふ、雨が降ったら私のこと思い出してね」
「もちろん」
 来年6月、また傘をさして一緒に帰ろう。 

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