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小説/女優の子 十四
司水菫 五(前編)
翌日から、私は智世子お姉さんの学校の図書室に通うようになった。
「森沢のおばさまが民俗学者だなんて知らなかったわ」
隣の智世子お姉さんが難しそうな本を二人の真ん中に置いて開く。今日も長机に並んで座った私たちの他に、利用者は二、三人しかいない。ね、と彼女も同意した。
「直接耳にしなくても、ご近所の間で話題になりそうなものなのにね」
開いているのは分厚い郷土資料だった。編者は森沢都──森沢のおばさまだ。智世子お姉さんによると、卒業後民俗学者になった彼女編の図書は十何冊もあるそうだ。少女好きで資産家の未亡人としか捉えていなかった森沢のおばさまの、思ってもみない一面を知って少し戸惑っている。
ただ気味悪いと思っていただけの彼女の言動にはひょっとするときちんとした裏付けがあるのかも知れないと思い直すと、今まで言われたことにどんなものがあっただろうと思考が過去に遡ってゆく。
この地域の歴史は古い。
平安の昔、近くに朝廷が置かれていたとあって、言い伝えやら曰くやらは小さな頃から大小さまざま聞かされていた。ただ、こちらは都中心からは若干離れた田舎なので、政治やら貴族やらといった教科書に載るような堂々たる言い伝えは少ない。
「委員になっておばさまの本を読み漁ったわ。それで知ったのだけれど、民俗学の研究ってとても地道な作業らしいの。ほら、考古学者の先生は立派で偉そうにしているように思えるけれど、遺跡を発掘するために実際にやっているのは、ひたすら覆われた土を慎重に取り除くことだったりするでしょう。民俗学は文化の遺跡だから、昔からここに住んでいる人にしらみ潰しに聞き込みをしたり古い文献を調べたりして、当時の様子を探っていくのがメインみたい。その過程で色んなひとが関わっているから信憑性も高いんですって」
でね、ここにね、と何枚かページを繰っていた智世子お姉さんの手はある箇所を見つけてぴたりと止まった。
「本当は、折を見て私から切り出そうと思っていたけれど」
そんなに悠長なことをしている場合じゃないのかもしれない、と智世子お姉さんは身体ごと私に向き直った。それにしても今日の彼女は随分とお喋りだ。
「──あなたの家のことが書いてたあったの」
*
【水呼びの儀】
平安の世において、庶民は見捨てられたも同然の扱いであった。華やかで煌びやかな王朝国家体制の確立によって、貴族など一部の特級階級を除き多くの民の暮らしは悲惨なものとなった。朝廷は地方統治を事実上放棄し、結果として治安が悪化、無政府状態に陥り、通りには失業者や死人が溢れたという。災厄の際、朝廷で当時持て囃されたのは陰陽師の安倍晴明であったが、庶民に手を差し伸べたのは司水家であった。この家系の女人には人の心の禍害を水を用いて浄める力のあることが知られており、民の苦痛を和らげていたという。やがて司水家は民から敬われるようになった。公家である司水家は名字を授けられた由緒ある家系であったが、「司水」の命名は“水を司る”ことに由来する。
伝承によると、司水家は年に一度「水呼び」と呼ばれる儀式を行っていた。この水呼びを行うことで、司水の女人は自らに溜まった禍害を定期的に浄化していたという──。
「これって──」
私はしばらく二の句が継げないでいた。自分の家はごくありふれた中流家庭なのだと思っていた。家系の古さや特殊さ、それにまつわる伝承のことなど、ただの一度も聞いたことがない。
「菫さんのおじさまやおばさまも、そんな事情おくびにも出さなかったでしょ。でも、あえて言わなかったというよりか、そもそも知らなかったのじゃないかしら。何か聞いたことある? 」
「何も。だって、曽祖父以前のご先祖のことだって碌に知らないの。曽祖父が事業に成功したから、その資産で今の代まで司水は恩恵を受けてるって、それくらい。だいたい司水なんてありふれた名字──」
自分で言いかけて、止めた。
水を司る一族。司水なのであって、一般的な清水姓とは違うのである。
「司水家は」
智世子お姉さんが本のほうに顔を傾げて、水引みたいなお下げが揺れた。
「ここでは安倍晴明と並べられているけれど、決して陰陽師とか呪いとか占いとか、そういう能力を持っている訳ではなかったみたいよ。ただ、水の扱いに非常に長けていた」
「何それ」
「森沢のおばさまがそう書いたのをそのまま読んでる。ここはほら、“主体は司水家ではなくてあくまで「水」であった”──」
私たち三姉妹の、理由も分からず水を慕い、水に引き寄せられるあの感覚。
その心当たりに胸がずきりとした。
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