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小説/女優の子 二十(最終話)

エピローグ



いつのまにか眠り込んで、目覚めたときには日が昇るところだった。樹々の葉陰からちらちら差し込む光が揺れて、澄んだ沼の水面に反射している。
自分がこんな場所にいることに一瞬驚いたけれど、やがて昨日の出来事を思い出した。

年に一度、春の新月の夜にだけ咲く珍しい花があるという。その花は暗闇の中でもほの明るく光を発し、えも言われぬ美しさなのだそうだ。
──そんな情報を図書室にある古い郷土資料で知り、どうしても自分の目で見たくなった私は昨晩こんな山奥にまで強行突破で来てしまったという経緯だった。
立ち上がって服に付着した草を払う。布団もないこんな場所で無防備に寝てしまったのにもかかわらず、不思議と驚くほどに身体が軽い。
昨晩の出来事はまるで夢の中のようだった。
花は、資料本に書かれていた通り儚く美しかった。幻想的に光り、沼のほとりに浮かんでいた。水花の一種らしいけれど、聞き慣れない名前だった。なんという名前だったか。
名残惜しくて沼を覗いてみたけれど、一晩限定の花との記述は本当で、花は勿論、葉も萼も跡形もないのだった。
本当はもっと余韻に浸っていたかったのだけれど、そうは言っていられない。私は昨夜、両親に内緒で家を抜け出しここまで来てしまっている。頭の草も払い、急いでお下げを編みなおしてから山を駆け下りた。山に満ちている朝霧が心地好く、沼から流れる澄んだ水音も耳に優しく、人生ではじめて朝を迎えたように新鮮に感じるのが不思議だった。まるで、世界がまるごとぐるっと洗濯されたかのようだ。
そんなに大層な山ではないので、すぐにふもとに着く。沼からの小さな流れに沿って進み、大きな川と合流する地点で橋を渡り、その先の神社に沿ってカーブする道を進めば両親が普段起きる時間までには家に着ける。

ふと、橋に差し掛かる前に足を止めた。

下半分が水に浸かった美しい家があった。もともと川のほとりに建っていたが、いつしか住人が居なくなり川に侵蝕され、そこだけ独立した水辺となり廃墟と化してしまったものだ。廃墟といっても不気味さはなく、ふかふかした苔と蔦植物が装飾のように壁を縁取り、それはまるで芸術作品の体をなしているのだった。
いつも気にせずに通り過ぎているはずなのに、今朝は引き留められているように気になって仕方がない。なぜかこの家の内部の間取りを、知っているような気がした。
光の入らない長い廊下。その奥に和洋折衷の応接室。応接室に繋がるお勝手。お手洗いは廊下の右に──。
いつのだか知れない記憶に少し惑う。昔入ったことがあったか。いや、入れるわけがないのだから他のお宅の記憶と混じっているのだろう。新築ならいざ知らず、廃墟は一年二年でできるわけがない。なのに、初めて目にしたように新鮮に映ったのは朝日が昇って間もないこの時間帯のせいかも知れない。
戴いたコーヒーの苦い味。完璧な線対象の形で微笑む唇と、美しい女の子たち。まるでお人形みたいな真っ白い顔の童子こどもが抱きしめる丸いお盆……。
起き抜けの頭のまま小走りで急ぐ私に、フィクションかも分からないいつかの記憶が混濁して、浮かんだ途端に泡のようにぱちんぱちんと消えていった。
橋を渡り、神社を過ぎたらすぐ家が見える。お向かいに住んでいる司水家は土地持ちの老夫婦二人暮らしだから、騒がしくしないようにことさら足音に気を付けて進んだ。何事もなく無事家に着いて少しほっとする。


裏口からそっと入って表玄関へ靴を持っていきながら、私はもう一度神秘的にふんわり光るあの水花の不思議な美しさを思い出し、噛み締めていた。













世界は循環する、水を介して。その巡りは清らかであり、その形態はロゼットである。水漬く娘が落ちたなら、彼女は彼女のままで居られない。ただ清く、けがれず衰えず、安らかなる白い林で濾過され眠ったのちまた巡る。幸福なる循環である。


どうして世界がこういう形態になっているのか、私は知らない。




〈了〉







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