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緑の夜


Twitterでフォローしている暦生活さんから、今日はこんな季節の情報が流れてきた。


緑の夜。

私が真っ先に思い出したのは俳人石田波郷の句だ。

プラタナス夜も緑なる夏は来ぬ

石田波郷

たしか中学校の国語の教科書で出会って、“プラタナス”の語句の洒落た感じと夜を“緑”と表現した意外さが強く印象に残っていた。以後、プラタナスを見かけるたびにこの句を思い出していた。

調べてみると「緑夜みどりよ」というのは夏の季語だそうで、光の乏しい夜でさえも主張する新緑のみどりは多くの人の共通観念だったらしい。こういう土台あってのあの句だったのだ、と初めて自分の中に落ちていくように腑に落ちた。




石田波郷といえば、私は何年か前、図書館の書庫で眠っていた彼の古い詩集を借りて読んだことがある。クリーム色の堅表紙に、古くてところどころ欠けた印象的なフォント。存在そのものが素敵な詩集だった。

金魚店少女が開けて水も打つ


なぜかこの句がお気に入りになった。可愛らしくて、見える景色が鮮やかだ。

私は俳句含め、詩の良し悪しが分からない。分からないから読んで生じる自分の感覚を楽しむ。以前、俳句というのは言葉で絵を描く技術ではないかと思ったことがある。だから有名な句はどれも説明くさくない。短い言葉を用いてセンス良くその場の空気を切り取るのだ。

詩集の幾つかの副見出しのなかに、あるスランプの時の野遊、という題があった。その副見出しの言葉が一番印象的だった。あるスランプの時の野遊。
いつかそのタイトルで小説を書きたいと長年目論んでいて、でも未だ実行できずにいる。

緑の夜の話から、石田波郷経由で全然違う話題に着地してしまった。













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