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文字化す。


『言語化す』だったんです、最初のタイトル。

『言語化』…自分の主張を端的に説明する事。
ちょっとイメージが固いなぁと思ったりして。

しかし、これなら
『文字化(もじか)す』あるいは
『文字化(もじばか)す』なんて読めそうで

楽しいですね、言葉遊び。


私がnoteを書く理由の一つは、頭の整理。
何に悩み、何を考えて、どう感じたのか。
漠然とした感情を『文字に化かす』と形が見える。

不特定多数が見れる所に公開している以上
『読んでる人もいるだろうなぁ』と思いつつ
なるべく読み手を意識せず書くようにしてます。

意識し始めると「こんなの読んで楽しい人いる?」
とか考えだして何も書けなくなってしまうので。
できるだけリアルな自分を書いていたい。

何故かというと、文字で饒舌に自分を書く癖に
対面した人に感情を伝えるのが苦手なんです、私。
つい言葉を飲んで小気味いい相槌を打ってしまう。

なのでいつもカウンセリングに苦労する。
何も準備せずいくと、本当に話したいことが言えずに終わってしまう。
折角高いお金かけていってるのにそれは悔しいので
こうしてnoteに書いて、考えをまとめておく。
それでも実際は上手く行かない方が多いけど。

「自分を描く時は読み手を意識せず」ですが
これが物語になると話は変わります。

作品として仕上げる時点で
読み手の目線を意識する機会が増える。

私が今かいている物語の大半は
小さい頃の空想から形が出来たもの。
なのでゼロから自分で考えたという意識はなく
彼らの人生を追ってたら物語が産まれたという感覚

単純にそれを書くだけならそこまで悩まないけど
作品として書くなら、誰かに読んでもらいたい。

私が『作品』に拘るのはそこでもあります。
読み手がいると意識して、完成度を上げる理由も。

1〜10の場面があるなら、どの順番から描けば
この先の展開が面白くなるかを考える。
この人物の言葉に、私の思いを乗せてもらおう。
そうして少しずつ物語に『私』が混ざるので
たまにちょっと恥ずかしい。

同じ作者の作品を幾つも見ていると
だんだん書き手の思考や好みが分かると思います。
それは頭の中を読まれている様で恥ずかしい。
「何故この話を書いたのかな?」とか
「この場面はこういう事を言いたいんだろう」とか
読み手の解釈が、物語から一歩踏み込んだ時点で
作者は読み手に描かれている。…と私は思います。

ものかきとして交流を避けるのは
これが理由でもあります。

自由に物語を解釈して欲しいってのもある。
書き手が語ったらそれが答えになっちゃうしね。
完成した物は自分の手から離れて欲しい。
だから自分は、一歩引いたところにいたい。

不思議ですね。
作者は物語を描き、読み手は作者を描く。
実際にそこまで読む人がいるいないは別にして
『読まれる覚悟』で書かないと面白くないし
ただ頭にある文章を並べるだけなら
こういう日記で充分。

作品として書き上げる以上、意図を込めたい。
じゃないとモチベーションも上がらない。
それは中々エネルギーを必要とする事だし
こだわり出すと手放したくなくなるし
公開した所で、自己満足といえばそうだけど。

でも、彼らの物語を描きたい気持ちも
自分を表現したいという気持ちも本当なので
これからも気長に文字化していこうと思います。

忘れた頃にふわっと。
お付き合い頂けたら幸いです。

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