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手話ってどこで誰と勉強するの??


手話は言語だけど、英語や中国語といったメジャーな言語(という表現は適切ではなさそうですが)とは学習の環境が全然違うのです。

どういった点が違うのか、私の経験に基づいてご紹介したいと思います。これが全てではないですが、あくまで「こんな違いがあるのか...」程度に知っていただけると幸いです。

1.間口が広い


営利企業としての語学学校で授業が提供される他の言語とは違い、手話は主に手話サークルだったり自治体の勉強会で学ぶのがメインです。「◯◯(お住まいの地区) 手話サークル(講習会)」と検索すると団体が出てきます。日本全国すべての自治体にあるわけではないですが、地域の手話団体へのアクセスは悪くないはずです。誰でも学び始めることはできます。
なぜ自治体ベースなのか?
それは、「手話を第一言語とするのは誰か」「その人たちは社会でどのような立ち位置にいるのか(あるいは強いられているのか)」ということを考えると答えは見えてくると思います。

2.と思いきやそうでもない


手話サークルって日本全国津々浦々にある!とワクワクした皆様に少し残念なお知らせ。この手話サークル、高確率で平日昼間に活動しています。私が所属していたサークルは夜部門(午後6時から10時)もありましたが、会社勤めの社会人+通勤時間のこともあり、毎週大遅刻しつつ通っていました。手話通訳講習会は遅刻しないように仕事量を調整、退勤後は分刻みで電車の乗り換えをしつつ自転車を全力で漕いで講習会場に向かっていました。
手話サークル、どこにでもあるけど誰でも通えるわけではないです。正直、平日の日中に在宅している人以外は継続が難しいかもしれません。夜間の活動があったとしても、その時間帯に家を空けられる人も限られているかと思います。となると、手話サークル員の年齢層や性別ってどこも同じ感じではないでしょうか?
あとはシンプルに身体が辛かった。電車の乗り換えで東京駅を地下5階から地上3階まで階段で駆け上がっていました。なぜ駆け上がっていたかというとここでタイムロスするとその後の乗り換えにも影響が出て講習に遅刻することになるからです。今やれと言われても多分無理です。体力落ちました。

3.最終ゴールは「通訳者」


これはもう手話学習の宿命のような気がします。自治体の手話通訳講習会に参加する学習者の講習会外の手話へのアクセスの受け皿として手話サークルが機能しているケースがよくあるなのでこんなことが起こります。
私は手話サークル→講習会という順で、これはレアなパターンです。講習会受けていない状態で手話とはなんたるかが何もわからないままサークルに通いだしたのですが、当時の活動内容の一部が「ホワイトボードに書かれた日本語文章を手話に翻訳しよう」というものでした。手話単語どころか指文字もわからない状態なのに、順番が回ってきてみんなの前に立って手話表現をやる。恐ろしいものです。最初の2週間くらいは「こんな荒療治な語学学習はありなのか」と思っていましたが、今となっては人前で失敗したり間違いのロールモデルになることについて何ら抵抗感がなくなったのでいい経験でした。
あとは講習会に通っている諸先輩方に追いつけるように指文字と数字は毎日自主練しました。手話を日常的に使わなくなった今でもこの二つだけはまだしっかりできます。

4.地域によって”文化”がある


この文化というのは方言とか伝統とかそう言った話ではなく(もちろん手話にも方言がありますし伝統もありますが)、日本手話なのか対応手話なのか、ナチュラルアプローチスタイルのなのか、首領がいるとかいないとか、そういう話です。
あとは地域のイベントに参加することを勧められる場合もあります。私もそうでした。手話サークルに参加して、自分の街のイベントの多さに驚きました。イベントに参加する、その地域をよく知ることは大切なことです。

SDGsな手話サークルを考えたい

今パッと思いつく違いはこれくらいです。もちろん手話サークル文化はとてもいいことだと思いますし、持続可能な形で発展して欲しいと思う一方で、いろんな意味で多様性があればいいのにな、とも思います。高等教育機関で手話クラスを履修して修得した単位を地域の講習会にトランスファーできたらいいのに、とか、通訳者以外の手話学習者のロールモデルが知りたい、とか、当時はよく考えていました。
今はアメリカにいて日本の手話学習現場の当事者ではありませんが、いずれ日本に戻ったときにはまた手話サークルに通いたいです。

いずれは手話を勉強しているというだけで押しつけられるイメージのあれこれとかも共有していこうと思います。まずは春学期の生存戦略を立てなければ。


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