「いなかはいいねえ」はいつ頃からあるのか

 都会の人の「いなかはいいねえ」はいつ頃からあるのか考えてみた。

 NHKのテレビ番組「新日本紀行」は1963年に始まっている。1969年頃には現在の「新日本風土記」「小さな旅」の「いなかの(あるいは昔ながらの)人たちはいいねえ」という路線になっているようである。

 1966年、NHKのテレビドラマ「太陽の丘」が放送される。静岡県の伊豆にある架空のユースホステル(今で言えば民泊に近い?)の親父の森繁久彌一家と訪れる若者たちを描いた。

 1960年代後半から、カニ族と呼ばれる若者が現れた。大きなリュックを背負い、夜行の急行列車等で(通路は横歩きになる)、北海道等の果ての地を目指す傾向があった。ユースホステル利用はもちろん、夜行の急行・普通列車を宿代わりに使ったり、駅で寝るのもいた。

 1967年頃からSLブームが始まる。蒸気機関車を求めてマニアが地方に行くことは、それ以前からあったが、NHKのテレビドラマ「旅路」放送やキネマ旬報「蒸気機関車」の発売でその数がそれまでのマニア層より拡大した。

 1967年、航空会社が12歳から22歳までの若者を対象にしたスカイメイトという割引制度始める。

 1968年、渥美清主演のテレビドラマ「男はつらいよ」放送される。最終回で寅次郎は奄美大島でハブに噛まれて亡くなるが、これに非難が殺到し、翌年から映画版として復活する。寅次郎が全国各地を巡る人気シリーズとなる。

 1970年、国鉄が「ディスカバージャパン」キャンペーン。都市部では失われてしまった風景を撮影したポスターが駅に貼り出される。同年、永六輔主演の関連のテレビ番組「遠くへ行きたい」が放送開始。いなかの人たちとのふれあいがメインテーマだった。

 1970年代中頃「アンノン族」が現れる。ファッション誌の写真と同じ場所を求めて、若い女性達が地方を訪れた。

 1978年、山口百恵の楽曲「いい日旅立ち」発売。これも国鉄のキャンペーンの一環で、予約システムを作った「日立」が入っているのは気付かなかった。この時も駅に地方の風景のポスターが貼り出された。

 だいたいこの辺で出来上がったんじゃなかろうか。

 柳田國男がその最初であるという意見も聞いた。「遠野物語」は大きいだろう。石川啄木や宮沢賢治に影響されて東北を旅した人も結構いるだろう。

 旅行や滞在ではなく定住となると1981年のテレビドラマ「北の国から」がすぐに浮かぶが、これが最初かどうかは分からない。

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